乙女は文学部に行くべし

私が大学の文学部に行ったのは、子どものころに読んだ、『赤毛のアン』や『あしながおじさん』の影響では、とハタと思いあたった。
あの手の小説の主人公ってみんな優等生で、文学部なのに異常に猛勉強してる。
現実には私は彼女たちみたいに作家になりたいなんて思ったこともないし、ちゃらんぽらんなので、落第したりしてたけど。

でも、大学生というのは、キャンディーを引っ張ったり、絹の靴下をはいたり、ギリシャ語の奨学金をめざしたりしてるようなイメージが植え付けられてたし、今思うとたしかにそんなような生活だったような気がしないでもない。

***

映画とか音楽とか本とか美術とかに詳しい人って、そういうものを言葉で情報処理して記憶していくみたい。
私は映画は本編を見ればいいもので、パンフレットは記念品だと思っていた。
俳優や監督の名前なんて気にしたことがなかったし物語にも関心がなかった。
たいていの人は絵を見るときでも言葉が必要みたいなんだよね。そういうことがわかっただけでも大学に行ったことは無駄ではなかった。
知ってる人は生まれつき知ってることだ。でも大学の利用法なんて人それぞれ。見聞きしたものを言葉に変換するのを練習したことで感動は増えた。
私は絵を描く時はいろいろ考えるけど見る時はなにも考えない人だったから。

しかし所詮言葉を使うことは苦手なので、記憶の容量も少なくて、(特に固有名詞が覚えられない。この日記の文も固有名詞が少ないと思う)今も、うっかりしてると、映画・舞台・音楽・小説、感動したこと・等々、日記にでも書いておかなければ、片っ端から忘れてしまう。
忘れてしまうのは、じつは、私にとって必要ないからでもあると思うけれど。
だから一番好きな映画は何かなんて聞かれてもひたすら困るだけだ。

日本の大学は入るのが難しく卒業するのは簡単だと一般にはいうけれど、こんな要領の悪い私が卒業するのはほんとうに難儀なことだった。