青春の残照、あるいは苦い思い出もまた思い出

友人の婚礼当日。それはわたしにとっては〆切を意味する。絵を仕上げることは諦めをつけることであり、〆切はそのための時間だ。
徹夜明け、5分で菖蒲湯に入り、髪洗いっぱなしのスッピンで横浜へ。
携帯も腕時計も無いので時間が分からなくて焦ったが、ギリギリセーフで式場係の人にウェルカムボードを渡した。しかし本人たちには会えず、サプライズみたいになってしまった。(そのあと時間があったのでお化粧はきっちりできた)

披露宴は、久々に会う友人も多くて、たいへん楽しかったし、いい会だった。
ほとんどの招待客が大学の演劇サークル時代の仲間だったので、寸劇やらビデオレターやら、いろいろ工夫を凝らしているようだった。

で、しみじみ思ったのは、今は真っ当すぎるくらい真っ当な職業(主婦含む)についている彼らにとってあの頃というのは、美しく楽しい思い出なのだ、ということだった。
わたしはもう演劇には関わっていないけれど、納得しないままやめたので、いまだに、思い出すと苦々しい気持ちになるし、大部分はもう忘れた。
当時作った公演チラシのイラストは、まだ迷いがある時期のものなので、あまり思い出したくはない。

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来場者でウェルカムボードに気付いた人はあまりいなかったようだ。
席札やカードの絵も、出来合いのものと思われてしまったフシがある。宴の本筋には関係ない装飾だし、個人作業だし、仕方ないといえば仕方ない。ブライダルを意識してエッジを立てず、可愛くしたぶん印象も薄かっただろう。もっと素人っぽく描いたり、内輪受けに走ってしまえば、手作りであたたかみがある、と思ってもらえたかもしれない。

わたしも、仕事ではないと割り切ってしまえばもっと楽しめたかも知れないが、親族もいるし、二人の希望でもあり、悪ふざけせずにいつものように仕上げた。
打合せの時、イラストレーターの友人がいるのを自慢したいと言われたけど、そもそもそんなことは自慢にはならない。

この結果は、事前にだいたい予想がついていたのだが、後に残るものなので、わざと素人っぽく描いたものを部屋に飾られたら困るし、わたしにとって絵を描くことは思い出ではないので、ずいぶん悩んだ。
頼まれたことは、たしかに嬉しかったのだ。
それに過不足なくこなせたと思う。でもとてもむずかしかった。

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世の中にはイラストが溢れているし、誰でも簡単にダウンロードして使える。イラストは日常的に消費されてゆく風景の一部になってしまっているので、有名なイラストレーターの作品でさえ、例えば雑誌などに載っていても、見る人は、普通は、その絵を誰が描いたかなんて考えもしないものなのだ。

そういう意味では、気付かれない方がプロの仕事ってことになるのかも知れないが、現に寝不足だし、あれだけ人がいて手ごたえがないのは複雑だ。
まー、あれこれダメ出しされてもイヤだっただろうけど…。
もちろん素人でも勘のいい人には痛いところを見抜かれてしまうこともあるし、聞く耳を持たないわけではないけれども、わたしは気難しいのである。

こういうのを楽しめる性格なら、もっと一般受けするものを描けるのかなあ。(明るく親切な性格のイラストレーターだってたくさんいる。多分。)どうしたらこういうことを気持ちよくやれるんだろう。こうも性格が悪く、かつ不器用だと、真っ当な人生を送ることはむずかしい。
どんな職業でも苦労はあるのだろうが、30代の所得格差は拡大するばかりだ。

それでも本日の主役たちが幸せそうだったのは救いではあった。