池田晶子さんのこと

文筆家の池田晶子さんが亡くなられた。
毎日中学生新聞の「考える時間」と、サンデー毎日の「暮らしの哲学」で、1年半の間、毎週挿絵を描かせていただいていた。
まったく偶然だが、池田さんはわたしと同じ大学の哲学科の先輩にあたり、それに、池田さんといえば「14歳」のための本が著名だけれども、わたしが14歳のときにちょうど池田さんが連載開始時のわたしの年齢くらいだったということもあって、勝手に縁のようなものを感じていた。

とつぜん2週連続で休載になったが、病気のことも知らず、亡くなるなんて思わなかった。
でも、呆然とするのと同時に、なんとなく腑に落ちたような感じもあった。

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「考える時間」の文章は、どのテーマも冴えていて、透明な宝石みたいだった。
挿絵は、文章によって描かせていただくものである。
いい文章ならいい絵が描けるわけでもないが「考える時間」はわたしの代表作だと思っている。

毎中が休刊になって掲載誌がサンデー毎日に移ると、死や老いについての文が多くなった。
わたしももう30代だけれど、そういったテーマはまだ実感としては遠くて、ほんとうに難しくて、わたしが挿絵を描いていていいのかなと思うこともあった。
わたしが池田さんの年齢になったときどう考えるのだろうかと考えさせられたりもした。

池田さんには一度もお会いすることができなかったが、毎週挿絵を描くことで、わたし自身と対話する貴重な時間を持つことができた。

もしお会いしたとしても、こちらから言いたいことなど何もなかった。
ただ、絵描きとして、一度、ご本人のお顔を拝見したかった。
わたしは優しくないので人が死んだから悲しいという感覚はよくわからない。
ましてや、死はわからないものだから怖くない、年をとるのは面白いことだとくり返しくり返し書いていらした池田さんのことなのだから、悲しくはない。
でも涙が出てきて止まらなくなってしまって自分ですごくびっくりした。

池田晶子さん、ほんとうにありがとうございました。