第四の壁

昨日、電車で、となりの席に座ってた奥様ふたり組が、テレビドラマで女装した俳優について楽しそうにおしゃべりしたあと、奥様たちの知人の旦那さんの趣味が女装することだったのがばれて、それが原因で離婚してしまったという話をしていた。
ふたりは、女装を見つけてしまった奥さんのほうに同情していた。

実際にどういうことがあったのかはその当事者にしかわからないことだけど、この奥様たちは、芝居を観るのが好きでも、客席で観ているだけで満足で、たとえば自分がステージに立ってみたいとか、テレビの画面の向こう側を見てみたいとは思わないのかもしれないな。

見えない第四の壁は、ステージと客席の間だけではなく、日常生活の中にも存在しているようなのだ。

わたしは役者じゃないが、ものを作って見せる側だという自覚はあるので、こういう場面に遭遇すると、なんだか複雑な気持ちになる。
わたしがお芝居を見るときは、ただの観客のひとりにしかすぎないわけだけど、どこかで世界が地続きになっているような感覚がある。
もしかしたら完全に別世界だと思ってたほうが純粋に楽しめるのかもしれないが、壁は、ほんとにあるのだろうか。あるとして、その壁は壊されるべきものなのか、壊さずにそっとそのままにしておくべきものなのか。

絵を展示すると、それを見に来る人もやはり、絵描きや、ものを作る人が多い。
でも、できるだけいろんな人に見てもらいたいのは確かだ。見るだけで満足の人たちも、きっと心を動かしてくれているのだろうけど、見る側と見せる側は、いったいどの程度までコミュニケーションできるのだろう。