長電話の覚え書き

ここ2ヶ月ほど、しょっちゅう友人Kと長電話していて、たぶん平均したら毎日一時間以上しゃべってるんじゃなかろうか。ヒマなのか?

もう15年のつきあいで、なにをそんなに話すことがあるんだと思うが、というか、わたしからはもうほとんど話すことはないので、いつものように友人Kがいっぱいしゃべってわたしが適当に相づちを打つ。
話題はおもに演劇についてなので、わたしには専門外。でも雑談にしては濃い話。何でも話せる相手が親友だとか、ともに笑いともに泣けるのが親友だとか、いろいろあるけど、わたしたちの場合はなんかもうこういう関係性なのだよね。

脚本&演出家である友人Kとこれだけたくさんしゃべってるんだから、わたしにも少しくらいは演技力とかついてそうなものだけど、、、(笑)
まあそんな力がついてたとしても、試す機会もないか。
それに友人Kのやりかたで演技力がつくかっていうと、それは目的ではないだろうし。わたしも、ちがう自分を演じたいとかまったく思わないし。

友人Kには役者の本質に近いものを見つけだす才能があるんだと思う。
友達になった頃は、まさかそんな才能をもった人だとは思わなかったけど。

これこれこういう人だからこういう役を当て書きしたんだよねーとか、こういう役を当てて書いてみたら、ほんとにその人にはそれに似た部分があったとか、芝居や、役者について説明するのをこれだけたくさん聞いてると、知りあいでもなんでもない役者さんたちのことを、わたしまで好きになってしまう。
辛辣なこともいうけど、その役者さんの魅力について話すほうがずっと面白い。
最近は、役者を魅力を演出することで、観客を悶絶させる面白さに目覚めたという。(それは怖い挿絵を描いて小学生たちを夜トイレに行けなくする面白さとは違うのかな?)

その人の本質を引き出すのは、本質に近いほうが魅力的だからということらしい。本質に魅力があるのってふつうの人でもそうだし、それがスターだったらなおさら。

すべてのことに理由があるというのは危険な考え方だと思うけど、やっぱり誰かに興味を持つには無意識だとしてもなにか理由があるんだろうし、それが役者と観客の関係だとしても、なんで魅かれるのか知りたいって思うものね。
でも別人を演じることでかえってその人の本質に近づいてくってなんだかすごく不思議。

素の表現、というのは先日見学した、前川さんのワークショップのテーマだった。
友人Kも、ずいぶん昔、学生時代に前川さんのワークショップに参加していたことがある。といってもほんの数ヶ月間だったので、その後の経験のほうがはるかに多いに違いない。
でも、ぐるっと一周まわって、いま、180度くらい作風もメソッドも違う二人が、素とか本質とか、同じことのような気もするし全然違うような気もするけど、なんとなく似たようなこと言ってるのはちょっと面白いなと思う。
演劇というのが全般的にそういうものなんだろうか。。。いや、そうでもないような。とにかく、舞台の上でふつうでいるのはむずかしいことらしい。

友人Kの場合、さらに同時進行で表面を華麗にデコレーションする作業もした上で、描きたいのは人間と人間との関係性なのだという。
日常ではありえない状況を作って、じわじわ追いつめて、感情を爆発させるんだけど、たしかに、その爆発はつねに人間関係に反応することで起こるように作られている。
それをじーっと観察してるんだから、わが友人のことながら、なんとも意地悪だよなー。

友人Kの舞台は、セリフに書かれてないこともたくさん読み取らなきゃいけないので、ストーリーは単純なんだけど実はすごく情報量が多くて、観るのがたいへん。
わたしなんか空気読めない人なのにさーーー!
そういう人にもわかるように作らなきゃいけないんだから難しい仕事だよまったく。

で、ためしに、友人Kに、そんならわたしになんか当て書きしてよ。と聞いてみたら、「うーん、、、女流漫画家?」とかいう。
それは、たぶん、いまのわたしとそんなにかけはなれてないよね。
てことは、ふだんからわたしはほぼ本質に近い状態で生活してるってことなのかな。
まあ、それがふつうか。。。