絵の中にしか存在しない時間

わたしは小説の挿絵からイラスト描きの仕事をはじめたので、絵とは、連続する時間(ストーリー)の中の一瞬を切り取るものだと思っていた。

瞬間の積み重ねが時間になっていくという、微分積分的なイメージ。
お話の要点をまとめた説明的な絵や、重要なアイテムを描くこともあるけど、わたしがいちばん描きたいのは(お話のネタバレにならない範囲で)、人物が何かに気づいて、驚いたり、ときめいたりして、世界がぱっと開ける瞬間。
けして、ただ単に美しかったり見栄えがする場面というのではない。

わたしは怖いお話の挿絵を描くことが多いのだが、なるべく、怖いものそのものではなくて、怖さに気づいた瞬間の人物の表情を描く。
何に気づいたか、何が怖いかは、読者の想像にまかせたほうが、より怖い絵になる。
挿絵を描くときには、小説の力と、受け取り手の想像力を利用させてもらっている。
すごく面白い作業だと思う。

でも同時に絵というのは、前後の時間とはまったく関係なく切り離されたもので、忽然と現れた「瞬間」は、それ自体が永遠の時間でもある、という見方もできる。

たとえば階段の真ん中に立っている人物の絵を見たら、その前後の連続する時間に、上がるか降りるかする様子を反射的に想像してしまうのではないだろうか。
でもこれは一枚の絵であって、写真でもアニメーションでもないから、前後の時間ははじめから存在しないし、人物が移動することは絶対にない。(その瞬間が出現する前は、ただの真っ白な空間と画材だったともいえる)

その人物は、なんの理由も脈絡もなく突然その階段の真ん中に出現したのだが、存在してしまったものはないものにはできないので、そのまま受け入れるしかない。
絵は物体だから壊れる可能性もあって、厳密には永遠ではないかもしれないけど、少なくともその人物がその階段から離れることはありえない。

こんな時間の感覚は現実には存在しないけれど、絵だからこそ存在し得る。
わたしは実物を見たりせずに全て想像で描くから、よけいそう思うのかもしれない。
そこにストーリーは入り込む余地がない。
ストーリーの入る余地がなければないほど、絵としては完璧なような気もする。

どんな抽象画であっても、絵からストーリーを読みたがる人は多いだろうと思う。そうでなければ、技術的なこととか歴史とかを評価したりする見方になるのかな。
いろんな見方をしていいのだけど、想像力をいったんとめて、できるだけ頭を使わずに、絵の中にしか存在しない永遠を味わうのも、絵を見るひとつの楽しみ方だと思う。

そのためにはもとは画材だったことを想像させない完成した世界を見せる必要がある。
そういう絵を見せられるようでありたい。
(ライブペインティングとかで描く途中を見せるのもまた別の面白さがあるけどね)