切ないペットボトルの話

近所に甲州街道があって、どこに行くにもたいていそこを通るのだけど、いまの季節はけやき並木のちっちゃな若葉がとてもきれいで、とくに夜、オレンジ色の街灯がともったときの、光があたるところと影になるところのコントラストには見とれてしまう。

甲州街道は交通量が多いので、歩道には頑丈なガードレールが作られている。
そしてよくみると、ガードレールの内側にひっそりと花が飾られていたりする。
わたしがよく通る範囲にも、一カ所、そういう場所があって、毎年春先になると、誰かの手で、半分に切ったペットボトルに花が飾られる。

そこを通る人は、その花がだんだん枯れて、排気ガスにまみれながら腐っていき、いつしか得体の知れない真っ黒な煤が入ったペットボトルだけになって、次の春までそこにそのままぽつんと残されているのを、毎年見届けることになる。

横を通るたびにやりきれない気持ちになるけれど、無視することもできない。はっきりいって汚いけれど、捨ててしまうこともはばかられる。春になり新しい花が活けられても、その花のたどる運命を知っているので切ない。

近くに住んでもう8年になるけど、どんな事故があったのか知らないから、事故はそれよりも前のことだったのだろう。
亡くなったのがいったいどんな人だったのか知るすべもないのに、ただ空しい。
ガードレールが補修された跡はないから、事故は車道側で起きたのだと思われる。なのに歩道の内側を歩く人だけがペットボトルの存在に気づくのだ。

わたしにはあのペットボトルが亡くなった人そのものみたいな感じさえしている。