雑記帳」カテゴリーアーカイブ

アイロン台

最近、アイロン台を買い替えた。
前のはもう20年前に買ったものだった。当時、足付きじゃないのがいいなと思って何軒かお店を回って探した覚えがある。くるんである布がアルミコートのやつ。
わたしはアイロンがけが必要なような服はめったに着ないけれど、学生時代に舞台の衣装を作るときにさんざん使ったし、絵を描くようになってからは裏側を台代わりにしたりしてたので、
かなり汚れてしまって、これではたまにアイロンがけしたときに服に変な染みがついてしまいそうだったので、ヨドバシの通販で探して新しいのを買った。
そしたら前のと全く同じアイロン台が届いた。
縦横の長さは微妙に違うけど、表面の布地も裏側に貼ってある紙の柄も全く同じ。
この20年ってなんだったんだろうと思ってしまった。
アルミコートの布は、アイロン台界におけるすごい技術革新だったと思うんだけど、その後はあんまり変わらないのかなあ。
ただ、注意書きが増えておせっかい気味なのはいまの時代を反映してるのかもしれない。

同期会

今日は大学のミュージカルサークルの同期との新年会。
このごろは昔ほどはお酒飲めなくなってたけど、久々にけっこう飲めた。
楽しかったからかなー。
ここ数年は、誰かしら鬱病で休職中とかなんとか言ってたりしてたんだけど、今年はわりとみんな体調が良さそうで、いい雰囲気だった。
今日知ったのは、わたしはてっきり考古学というのは古代文明とか文字のない時代の研究をする学問なのかと思ってたんだけど、大学で考古学を専攻してた友達曰く、考古学はゴミから歴史を研究する学問なので江戸時代もぜんぜんアリという話だった。
そうだったのか〜。
加曽利貝塚の資料館では貝塚はゴミじゃないって書いてあったけどな笑

ホームページ、リニューアル

久々にホームページをリニューアルしました。前にリニューアルしたのは2008年だから7年ぶり。
会社員時代におぼえた古い作り方でずっとやってきてて、シンプルな作りで気に入ってはいたんだけど、もういいかげん時代に合わなくなってきたので、夏の終わりころから少しずつ新ページを作り始めて、年末にやっと独自ドメインを取ってサイトアドレスを移転して、ついでにブログとホームページを統合しました。
まだデータをアップしただけなので、細かい設定ができてから旧ホームページなどで移転のお知らせをする予定。ほんとは年内に公開したかったんだけどなー。

いままでずっと独自ドメインを取らないでプロバイダのおまけのアドレスを使ってたのは、手作りっぽくていいんじゃないかなと思ってたからと、みんな直接アドレスを入力したりしないでまず検索するんだから、アドレスなんてなんでもいいんだろうというのもあった。

でも、最近は古い作りのサイトだとスマホとかタブレットとかにスムーズに対応できなくなって、検索にもひっかかりにくくなってしまってた。
このサイトは絵が中心だから、いくら解像度が高くなったとはいえスマホの小さい画面で見てもらってもね、、、と思ってたけど、最近はやっぱりスマホで見ている人の割合が多くなった。去年webアクセシビリティに関する本のお仕事もさせてもらって、それなのに自分のサイトが古いままというのもアレだな〜と思ったのもあった(あの本に書いてあったことを全部実行するのは難しかったけど、できる範囲で参考にした)。

画像もたくさん作りなおしたし、日記も全部読みなおした。なにしろ12、3年ぶんくらいのデータなので、ものすごい量で、なかなか大変な作業だった。

日記を読んで、わたしという人間は、いまもむかしも、その時々はふつうにしているつもりでも、ずっと変わらず揺れつづけているんだなあと思った。
この仕事を始めたころのわたしはとにかく生意気で、いっちょまえのつもりでああだこうだと書き散らしてみたり、いま思うと危ないなとか失礼だなとか思うようなことをよくわからないでやってたりしてハラハラする。でもそうじゃないとやってこれなかったよねとも思う。
いまと同じようなこと考えてるときもあるし、全然ちがうことを考えてるときもある。生活はあんまり変わらないけど、絵に関しての考え方はけっこう変わった。そのときは一生懸命でも、けっきょくうまくいかなかったり、忘れてしまっていたこともたくさんあった。
いまはほかの作家さんの展示を見て落ち込んだりはしなくなったけど、だからといって心が揺れなくなったというものでもない。
日々暮らしていると、そんなに大きく動いてる感じはないし、10年前といったってそんなに昔のこととも思えないんだけど、小さな揺れが、つもりつもって、やっぱりいろいろ変化してる。

体調管理

しばらくの間、毎週実家に顔を出して手伝いをすることになった。
昨日は、父が庭のザクロを収穫したので、実を皮から外す作業をした。
それで腰を丸めて、へんな姿勢をしていたせいか、
自宅に戻った後、椅子に座ってPCに向かうと腰に違和感があった。
これはまずいと思って、ヨガのポーズをしてみたり、
ストレッチポールを使ったりして、筋肉をほぐしたらだいぶ良くなった。
一昨年ギックリ腰やったのも秋のこの時期だったし、気をつけないと。。。
 
実家だとついつい美味しいものを食べ過ぎてしまうので、
自宅にいるときはカロリーを抑えてバランスをとらないとなー。

根っこ

観葉植物のこまかい根っこがにょろにょろと伸びてきておもしろい。

水栽培に使っている牛乳ビンは、中学生のときに、北海道の牧場で飲んだしぼりたて牛乳の空きビン。フォルムが可愛いので、ずっと花瓶代わりに使ってた。
三年前に同じ牧場に行ったときも牛乳飲んだけど、ラベルが印刷されたビンになってて、あんまり可愛くなかった。

アップデート

中学とか高校のときに勉強したこと、とくに歴史とか地理は、その後、大人になってからも、物事を考えるときのベースになっている。(受験勉強したことも無駄じゃなかった。)

だけど、あれからずいぶんたって、いろんな情報がどんどん更新されて、当時正しいと思っていたことが、今では間違いとなっていることも多いのだろう。
と思ってとりあえず日本史の本なんかを読んでみたりしているけど、現代史にかぎらず、近代以前の歴史も、新たな発見やら研究やらで、想像していたよりずっと大きく変化しているらしい。

ぼちぼち、わたしの脳内環境もアップデートしていかなくてはいけないな。

3拍子

ZUMBAはいろんなリズムの曲に合わせて踊るのだけど、その中でも苦手なリズムがわかってきた。どうもなー、、、3拍子のステップがうまく踏めないんだよなー。
ゆっくりだったらできるんだけど、曲にのって動こうとするとグダグダになってしまう。あ、つぎ3拍子だ、と思うとよけいに足が動かなくなるし。足を意識すると手の動きがお留守になってしまうし。

あと6拍子というのもだめだ。。。
どうやったらできるようになるのかなー。慣れるしかないのかなー。

怪ダレ脳

街を歩いててたま~に出くわす、コンクリート壁いっぱいに手形をベタベタつけて「木」とかに見立てたコミュニティアート的なやつが怖くて怖くてたまりません。

。。。怪ダレ脳なのでしょうか。

それはさておき、怪ダレシリーズの電子書籍版が発売になっています。(1巻『タタリの学校』、4巻『恐怖の教室』、5巻『悪霊の教科書』)
ニンテンドー3DS専用のコンテンツです。

今までにも挿絵を描いた実用書が電子書籍化されたことはあったのですが、電子化の作業にはわたしはノータッチでした。
でも今回はきちんとチェックさせてもらえたので、本当に良かったです。やはり、元々紙に印刷される前提で描いているものなので、電子化しても全く同じというようにはできません。
3DSは特に、2画面の状態で表示されるので絵が真ん中でちょん切れたり、画面に合わせて縮小されてしまったりするので、見やすくなるように、あちこち手直しさせてもらいました。

電子書籍は、印刷という工程を通さないので、パソコンで描いたのに近い状態で絵を見てもらえるという面白さもあります。
機械的に、ただ紙の本を電子データ化するだけではもったいないし、本とは全く別の媒体として、やろうと思えばもっといろんなことができる可能性があるなあと思いました。

ZUMBA

さいきんZUMBAというのを習いはじめた。
教室をやってる場所まで片道35分くらいかけてトコトコ歩いていく。遠いけど、日頃運動不足なので、まあ、ちょうどいいかな。

ZUMBAはフィットネスプログラムの一種だけど、エアロビクスみたいな無機質さはあまりなくて、よりダンスっぽく、しかもいろんな種類のダンスがごちゃ混ぜになっている。
でも人に見せるためのものではないから、かっこよく踊れなくてもいい。
昔は、動きをなかなか覚えられないのが恥ずかしくてたまらなかったけど、今はもう、周りがどう思おうと気にならないし、周りの人たちがわたしのことなんかまったく気にしてないのもわかる。曲に乗って、なんも考えないで体を動かしていればいいので、あほみたいに楽しい。
でもかっこよく踊れたらもっと楽しいんだろうなー。

ただ、おうちに帰ったあと、疲れて眠くなっちゃうのが難点だ。。。

ザ・基本

わたしはとくに料理好きではないけど、外食というか外出自体が好きじゃないので、毎日なにかしら適当に料理して食べている。

それでも以前は雑誌や本でレシピを見たりしてたものだけど、最近はネットで間に合うのでそういうものを買わなくなった。
で、もともと適当なのがますます適当になっていって、自分の作ったものが美味しいんだかまずいんだかわからなくなったというか、たぶん、かなりまずくなってた。

で、料理本を久しぶりに買ってみた。その名も「ザ・基本」
これ見て作ったら、なんでも美味しく出来てびっくりした。。。
高い材料を使うわけでもないし、作り方も簡単なのに。。。
いつもと違うのはちょっとした切り方とか調味料を入れる順番とかくらい。
なのになんでこんなに美味しくできるんだろう。。。不思議だ。。。

The基本200 (ORANGE PAGE BOOKS)

    • 作者: 小田真規子
    • 出版社/メーカー: オレンジページ
    • 発売日: 2008/05/17
  • メディア: 大型本

母校訪問

きょうは、高校時代の恩師に会いに、母校に遊びに行った。
先生に母校で会えるのはたぶん今年度いっぱいなので、行ってみたかった。
今の学校は平日だけなので、同行の友人には有給を取ってもらった。

通っていたのはもう20年も前なのだけど、向かいのコンビニが無くなったり、校舎が耐震補強されたくらいで、一見、時間が止まったみたいに、学校には大きな変化はないようだった。

なのに、昇降口や職員室がどこにあったかとか、もうすっかり忘れていた。
そう、高校時代は、自分で思っているより、ずっと昔のことなのだ。
わたしたちが使っていた離れの棟の教室は、いまは講義室に変わっていた。校内は独特の匂いがしたし、廊下はなぜか狭く感じた。(…そんなに狭く感じるほど太っただろうか。笑)
廊下ですれ違った生徒さんたちはみんなすごく可愛いし優しそうだし、なんだか上品できちんとあいさつしてくれて驚いてしまった。
田舎の公立高校なのにすごい~。昔はもっとガチャガチャしてた気がするけどなあ。

20年の間に他の学校に移ってまた戻って来た先生が意外に多いようで、恩師のほかにもむかしお世話になった先生が何人かいらっしゃって、担任でもないのにわたしのことを覚えていてくださってたりして驚いた。
珍しい名前だからだな、たぶん。

高校時代のことをよく覚えていないように、わたしはもう大学時代のこともあまり覚えてないんだけど、やっぱり高校の先生にとっては大学受験のことは今もリアルな問題なので、自然と、出身大学とか、同級生の誰がどの大学行ったとかいう話になった。
記憶を呼び起こすのはパズルみたいで楽しいけど、今となってはほんとにどうでもいい話だなー。

お土産に、わたしがカバーの絵を描いた本の中から、高校生が主人公の「フライ・バイ・ワイヤ」と「ジンリキシャングリラ」を持って行って、図書室に寄贈させてもらったら、とても喜んでもらえて嬉しかった。

そのまま先生と友人と飲みに行き、結局6時間くらいしゃべり続け、せっかくカメラを持って行ったのに、話に夢中で一枚も撮影しなかったことに帰りの電車に乗ってから気づいた。

先生は本当に数学と人間が好きなのだと、ご本人もそう言ってたし、元生徒から見てもその通りなのだろうとしか思えない。好きなことを仕事にするってよく言うけど、それはたとえば絵描きとか世間的に珍しい職業の人のことだけじゃなくて、いろんな職業においてありうる話なのだよな、と思った。

ま、わたしはひねくれ者なので、あんなにあっけらかんと自分は絵が好きだとは言えないんだけど。。。

神社めぐり

自宅に戻りました。
お正月、実家にいたあいだ、家から半径5km内くらいの範囲の、田んぼの中に点在している小さな神社やお寺をお参りして回ってました。
たくさんありすぎて回れたのはほんの一部だけど、偶然見つけたお寺でかっこいい欄間の彫刻を拝んだりできて、楽しかった。
わたしは子どものころからインドア派なので、育った地域のことをほとんど知らなかった。
実家のまわりが、今後、田舎でなくなるという可能性はもう無いだろうし、とにかく不便でしかたないけど、今まで思っていたほど退屈なものでもないのかもしれないな、とは思った。

ほしふねにわ in 安曇野

去年の秋のライブ以来、活動休止中だった星舟庭ですが、バスに乗って安曇野に出かけて、久しぶりに音遊びをしました。
お天気にも恵まれ、一面に金色の田んぼとアルプス山脈が広がり、稲穂のいい匂いがする中での演奏は最高でした。

田舎道を散歩したり、近所の温泉や渓谷に行ったり、星をながめたり、お蕎麦もおやきもリンゴもキャベツもアイスもヨーグルトも、なにを食べても美味しいし、ほんとに素晴らしいとこでした。おやきって今までお土産にもらったのしか食べたことなくて正直、そんなに美味しいものだとは思ってなかったのだけど、現地で食べたらほんとに絶品だったなー。。。
でもお土産に買って帰ったおやきは、やっぱりいまいちなのだった。あればっかりは、現地で食べなきゃだめらしい。

それに、松本城と、松本城の敷地内にあった資料館が意外に面白くて、あちらでは和紙製の七夕人形をのれん状にぶらさげて飾ったり、ペープサートみたいな平べったい形状のひな人形を飾ったりする独特の人形文化があるようで、すごく興味深かった。
今度はその時期に遊びに行ってみたいな。

あの子の隠れ家のまわりにひそむリスと小鳥の話

いろいろと一段落ついたので、ちょこっと実家に帰った。
ちょうど妹と姪っ子(1歳)も来ていて、うれしかったのだけど、久しぶりだったせいか、ものすごく泣かれてしまい、まるで自分がなまはげになったような気分であった。

でも姪っ子が先日のわたしの個展のDMの絵を見て、(鹿さんの絵、といわれてどの絵のことか一瞬わからなかった)妹に「リスさんはどれ?」とか「小鳥さんは?」とか聞かれるとちゃんと探して指さしていたのには感動した。

描いた本人が言うのもあれだけど、あの絵はリアルではなく、単純化された線と色面の集まりで表された、ただの概念なのだ。(Photoshop的な考え方をすれば、ただのドットの集合)
本物のリスを見たことあるかどうかもあやしい1歳児が、どうしてあの絵を見て「リス」とか「小鳥」とかを認識できるんだろう?
まあ、何度か絵を見ながらおかあさんとお話してるうちに覚えたんだろうけど、そのうちすぐに絵のリスと本物のリスとの関係も理解するんだろうなー。

リスの絵を見たことが無い人が本物のリスを見て描いた絵と、リスの絵(誰かが一度概念化したもの)を見たことがある人が描く絵は、これはもう、絶対に別物になってしまうので、わたしの絵を見せたことで、可能性をひとつ奪ってしまったような気もする。

誰かが概念化したものの上から概念を塗り重ねることで文化が作られていくし、すべての人が絵描きになるわけじゃないから、どうでもいいことかも知れないけど。
ほんとにまっさらな状態で絵を描き始めることは不可能なんだろうな。。。他にも幼児番組や絵本などたくさん見てるし、何も知らないままではいられない。
本人が意識しようとしまいと、必ず置かれていた環境の影響が出てしまう。

わたしも子どものころに見たアニメ絵などにずいぶん呪縛されてきたと思う。環境の微妙な違いがその人の個性になるとも言えるし、たくさん知識をもっていることを武器にする人もいるので、善し悪しだけど。