あたまがカオス

さいきんもうあたまがカオスでカオスで。。。
もともと言語能力が低いし、頭の中を整理したり、時系列を把握するのも苦手なんだけど、ふた月ほど、日記(やメール)を書くのをさぼってたら、ますます頭がカオスになって、どこから手をつけたら上手にほどけるものやら、わからなくなってしまった。
ツイッターも、つぶやきが、というか人々が、ただの文字にしか見えなくなってきた。
それにしても、日記を書かないですごす日々は、ほんとにもう気楽で気楽で、いちいち出来事を言葉に変換するのがこんなに精神的な負担になってたとは思わなかった。

いろんなことが言葉にならないままワッとそこらじゅうにある感じはエキサイティングで、このカオスが、ある意味ではいちばんわたしらしい部分だとも思うのだけど、たまには、感じたことを日記でもなんでもいいから言語化していかないと、このままでは頭の中が完全にガラパゴス化してしまうかもしれない。

友人Kはちょっと前に「頭の中の本棚がいっぱいになってこれ以上本が読めない。でも頭の中のDVDラックにはまだ余裕があるから、最近は映画ばかり見ている」と言っていたのだったが、しばらくしたら、今度は、「頭の中の古典のコーナーに空きがあったので最近は古典を楽しく読んでいる」と言う。
彼女の頭の中には本棚というより本屋さんか図書館があって、脳みそのしわしわのひとつひとつがジュンク堂みたいな重厚な本棚になってるのだろう。

わたしの頭の中には、本専用の棚ははじめからない。
そのかわり、頭の中には、ぽっかりと、鍾乳洞みたいな真っ暗闇のスペースがある。
そこに一応岩棚もあるけど、湿気が多いので本を置いておくにはあまり適していないのだ。

実家にいる88歳の祖母は何年か前からだんだん魂が抜けていってる感じで、重大な病気はないけれど、この春頃からは完全に要介護の人になってしまった。
両親がかなり大変そうなので、役には立てないけど、なるべく実家に顔を出そうと思う。

祖母は、15年前に祖父が死んだ後、函館から縁もゆかりもない千葉にひきとられてきて、その時点で、社会的な役割も、世界とのつながりもまったくゼロになってしまった。
もともと頭は悪くないけど、不器用で、性格が悪い(そのあたり血のつながりを感じる)。
でも、性格の悪さをカバーするような教育やテクニックも身につけていないので、変に卑屈になって、びくびくして、ますます性格がねじれているように見えてしまう。年齢のせいもあるかもしれないけど、それをうまく隠すこともできなくなっていた。(と言っても、悪意はないし、なにか悪いことができるほどの力も持っていない)

祖父が死ぬまでは、自分の小さな世界で、自分の好きなように生きてきたので、誰かに何かを頼むとか、自分の思ったことを言葉にして伝える必要もなかったんだと思う。
おそらくもう何十年もまともに文章を書いたり読んだりしていないはずだし、今はもうぼんやりしてしまっているけど、ボケるずっと前から、あまり頭を使っていない。

だからこの人の中ではいろんな記憶がカオスなまま、無自覚なままになっている。
幼い頃に養女に出されたり、赤ん坊を何人も亡くしたり、戦争で樺太から逃げ帰ったり、昔はよくある事だったのかもしれないけど、今なら信じられない酷い目にあってるのに、自分が可哀想なのだと気づいてないし、誰かに優しい言葉をかけてもらったこともない。

父や母に身の回りの世話をしてもらっても、素直に受け入れることができない。
ボケる前には辛い思い出話を何度も繰り返してたから、やっぱり傷ついていたのだろうが、話の整合性がないし、客観性もないし、時系列も変なので、聞いててけっこう苦痛だった。
この人を見てると、コミュニケーション不全は昔からあった問題なんだと思う。
もともとカオスな性格の人が、カオスなまま年をとるとこんな最後をむかえるのか。

いったい、わたしとこの人はどこがどう違うんだろうと思う。
実家は千葉の片田舎で不便なところではあるけど、祖母自身、外の世界におびえていて、家のまわりから自力で出て行こうとしなかったし、一種の引きこもりだったと思う。
でもふしぎと生命力だけは残っていた。その生命力が、目に見えて消えていく。こうやって人は死んでいくのか。この人の人生はなんだったんだと考えてしまう。

それに、世界とつながるってどういうことなんだろう。

で、ああ、時間は無限ではないのだなあ、カオスはあまりよろしくないなあと、絵本のことをもう一度ちゃんと考えようと思った(何度も忘れては思い出している)。
ひとつアイディアがあったので、友人Kに入れ知恵してもらったら、それを元にあまりにも鮮やかにお話を作ってくれて、かえって戸惑ってしまったりしつつ、やっと、なんとなくあらすじらしきものがみえてきた。ここまで3年くらいかかった。

もともと絵本に興味がないのに、なぜ一枚絵でなく絵本にするのかというのもみえてきた。
そこで、昨日、編集さんに、ここまではできるんです、でもここからが大変なんです、岩清水さんはカオスなんで、この先は言葉じゃなくて絵で考えてくださいと言われた。
おおお、、、やっぱりそうですか。。。
絵というのも、言葉とは違うけど、けしてカオスではないので、すごく面倒くさい。
でもこのカオスの中から何かビビッドなものを取り出せるのならば、わたしの場合それは絵だし、できるだけ取り出して形にしていかなきゃなとは思う。

絵の中にしか存在しない時間

わたしは小説の挿絵からイラスト描きの仕事をはじめたので、絵とは、連続する時間(ストーリー)の中の一瞬を切り取るものだと思っていた。

瞬間の積み重ねが時間になっていくという、微分積分的なイメージ。
お話の要点をまとめた説明的な絵や、重要なアイテムを描くこともあるけど、わたしがいちばん描きたいのは(お話のネタバレにならない範囲で)、人物が何かに気づいて、驚いたり、ときめいたりして、世界がぱっと開ける瞬間。
けして、ただ単に美しかったり見栄えがする場面というのではない。

わたしは怖いお話の挿絵を描くことが多いのだが、なるべく、怖いものそのものではなくて、怖さに気づいた瞬間の人物の表情を描く。
何に気づいたか、何が怖いかは、読者の想像にまかせたほうが、より怖い絵になる。
挿絵を描くときには、小説の力と、受け取り手の想像力を利用させてもらっている。
すごく面白い作業だと思う。

でも同時に絵というのは、前後の時間とはまったく関係なく切り離されたもので、忽然と現れた「瞬間」は、それ自体が永遠の時間でもある、という見方もできる。

たとえば階段の真ん中に立っている人物の絵を見たら、その前後の連続する時間に、上がるか降りるかする様子を反射的に想像してしまうのではないだろうか。
でもこれは一枚の絵であって、写真でもアニメーションでもないから、前後の時間ははじめから存在しないし、人物が移動することは絶対にない。(その瞬間が出現する前は、ただの真っ白な空間と画材だったともいえる)

その人物は、なんの理由も脈絡もなく突然その階段の真ん中に出現したのだが、存在してしまったものはないものにはできないので、そのまま受け入れるしかない。
絵は物体だから壊れる可能性もあって、厳密には永遠ではないかもしれないけど、少なくともその人物がその階段から離れることはありえない。

こんな時間の感覚は現実には存在しないけれど、絵だからこそ存在し得る。
わたしは実物を見たりせずに全て想像で描くから、よけいそう思うのかもしれない。
そこにストーリーは入り込む余地がない。
ストーリーの入る余地がなければないほど、絵としては完璧なような気もする。

どんな抽象画であっても、絵からストーリーを読みたがる人は多いだろうと思う。そうでなければ、技術的なこととか歴史とかを評価したりする見方になるのかな。
いろんな見方をしていいのだけど、想像力をいったんとめて、できるだけ頭を使わずに、絵の中にしか存在しない永遠を味わうのも、絵を見るひとつの楽しみ方だと思う。

そのためにはもとは画材だったことを想像させない完成した世界を見せる必要がある。
そういう絵を見せられるようでありたい。
(ライブペインティングとかで描く途中を見せるのもまた別の面白さがあるけどね)

『オルゴォル』オブジェと挿絵

去年新聞で挿絵を連載させていただいた、朱川湊人さんの小説『オルゴォル』の、単行本がこの秋(発売日は未定)に講談社さんから出版されます。

それで、その装幀に、主人公の等身大オブジェの写真を使うことになって、5月ころに制作して、撮影がどうこうと大騒ぎしていたのはそれなんですが、まだ秘密なのかなと思ってたら、編集者さんにブログで紹介していいと言われました。

それで、ホームページに、オブジェの制作過程の写真をスライドショーにしたものと、新聞連載時の挿絵のスライドショーをアップしてみました。

挿絵は全部で246回ぶんもあって、最初のころと最後では絵がけっこう違ってるし、連載中は〆切ギリギリで慌てて描いているので、やっぱり手直しする必要があって、一気には公開できないので、今回は第1回から第30回までだけ。
続きはまた追々アップしていきたいと思います。まあ単行本が出るころまでには。
小説読まないで絵だけ見てもねー、って感じもしますが、、、これはこれでけっこう面白いんじゃないかなあ。良かったら見てみてください。

撮影のため京都に行っていた『オルゴォル』の主人公・ハヤトの等身大オブジェは、今月の始めころに自宅に戻ってきたんだけど、京都から講談社への輸送中に事故にあい、なんと、足首のところがポッキリ折れて、手の指のところも潰れた状態になっていた。
まるで古代遺跡から発掘された、ミロのヴィーナスか、サモトラケのニケみたい。
今回、二足で直立する形に作るのが難しくて苦労したところで、足首は糊で貼りあわせたので弱いっちゃ弱かったけど、表面は樹脂でコーティングしてた。
糊付け面が剥がれただけじゃなくてスチロールの組織ごと割れてしまっていたし、使用した発泡スチロールは、ソファの材料に使われるほどのしっかりしたもので、ちょっとやそっとの力がかかっただけではあんな潰れ方をするわけがないので驚いた。
それは、一度作ったものは、いつか壊れる可能性はあるのだけれど。。。

作ってからひと月以上たち、もう過去のものという気分でいたので、電話で話を聞いたときも、実物を見たときも、わたしはわりと冷静で、怒るとか悲しむとかいった感情はおこらなかった。ただやりきれず、空しかった。
でも編集者さんがすごく怒ってくれて、「講談社の戦う部署」の方たちが、わたしの代わりに運送屋と戦ってくれるんだそうな。
講談社の戦いのプロ。。。味方にするにはたいへん心強い。
法律とかわからないのでありがたいけど、同時に個人事業主の無力さも感じた。

オブジェ自体は、足がないので床に転がして置いておくしかなくて、すごくジャマ。なのでなるべく早めに修理しようと思ってます。ちゃんと直立するといいんだけど。
秋に単行本が発売されたら、朱川さんのサイン会とかで、このオブジェも、もしかしたらみなさまとお会いする機会があるかもしれないので、そのときはどうぞよろしくお願いします。

黒くて楕円形の何か

基本的にわたしは好きな時間に寝て好きな時間に起きる生活で、眠るときは眠いから寝るので、暑いから眠れないということはありえない。
常に熟睡しているはずなのに、きょうはなぜだかふっと目が覚めた。

ふくらはぎのあたりになんだかモシャモシャした感触があって、何度か手で払っても消えないので、目を開けてよくみると、夜中で暗かったけど、足の上に「3cmくらいの黒くて楕円形の何か」が貼り付いているのが見えた。

あまりにびっくりして声も出せずに、跳ね起きたらそいつは床の上に落ちた。
わたしはベッドの下にあった古新聞をつかみ、深呼吸して自分を落ちつかせながら、まーね、一発でしとめて、電気をつけてみるとやっぱり、ゴキブリが潰れてた。

速攻で新聞でぐるぐる巻きにして、さらにレジ袋7重ぐらいにして入れて捨てて、床も洗剤でゴシゴシ拭いて、シャワーを浴びて着替えたけれど、「生足の上をゴキブリが這っていた」「そのゴキブリを素手で払ってしまった」というショックが大きすぎて、すっかり眠気も覚めちまったよ。。。

ここの家に越してきてから5年くらい、室内では一度もゴキブリ見てなかったのに。部屋じゅうに徹底的に駆除剤をしかけていて、半年に一度は必ず交換してるのに。
さては夕方に花の水やりをしたときに開けた窓から入ってきたか。

だけど、ゴキブリもゴキブリだよ。
ゴキブリならゴキブリらしく、シンクの下とか冷蔵庫の裏とかにいればいいものを、なぜに、なぜに、わたしの生足の上なんかを通り道にするかなあ。

わたしだって、蒸し暑い夏の夜に、一人で家に帰る道の途中なんかで、暗いアスファルトの上をゴキブリがとぼとぼと歩いてるのを見かけたりすると、ああ生きてくって大変だよね、なんてちょっとシンパシーなんか感じたりしてさ、自分の家の中にさえいなきゃ可愛いと言ってもいいとさえ思うのだけど、いやさすがにそれは言いすぎだけど、あいつがこの世に存在してることは認めるの。
ただただ、わたしのテリトリーに立ち入るのだけはもう勘弁していただきたい。

30代からのお金のトリセツ

「30代からのお金のトリセツ」(伊達直太さん著/泰文堂刊)という実用書で、山のようにカットを描かせていただいたのだけど、その見本がきょう届きました。

カット描きって地道な仕事で、じつはかなり苦手意識があった。思い入れしすぎてもいけないし、気を抜きすぎてもいけないし。
こういう仕事が苦手なのは社会的に役立たずだからだ、、、なんて思ってた。
でも今回は、過不足なく手堅くこなせた、と自分で思えたのがとてもうれしい。
これでちゃらんぽらんが治るわけでもないから、やっぱり向いてないとは思うけど、ひとつ達成感を得られたので、これが次の支えになると思う。

不景気を嘆いてもしかたないから自分でできる対策を考えよう、という本で、地に足がついているのと同時に、とても前向きな内容だと思います。ツタヤのレジ横とかに並ぶそうですので、もし見かけたら手に取ってみてください。

30代からのお金のトリセツ (Earth star books)

  • 作者: 伊達直太
  • 出版社/メーカー: 泰文堂
  • 発売日: 2010/06/24
  • メディア: 単行本

のんびりランチ

昨日は表参道で大学時代の友人3人+ベイビーとのんびりランチ。
仕事と関係なしの友達と世間話をするような、こういう時間も大切にしないとね。
ずっと自分の世界に入りこんでいるうちに、忘れてることがあるような気もするし。

きょうは吉祥寺で、わたしと生年月日と血液型が同じ占い師Sさんとまったりランチ。
もうすぐ誕生日、そしてSさんはいま臨月。19日に生まれたら面白いんだけどな(笑)

充電

きょうは清澄白河と上野でギャラリーめぐり。
奈良美智の陶芸と、カプーアの大きなつぎはぎ鏡にわくわくした。

上野公園でタイフェスやってたのでガパオご飯たべた。うまー

いまのとこ自分の展示の予定はまったくないです。
去年まではグループ展をたくさんやってて、得たこともたくさんあったけど、でもそうやってエネルギーを小出しにするのは、いまは控える時期かなと。
目先のことをこなしただけで、頑張ったような気になって満足しちゃうとこあるから。
いまは、頭の中でいろんなことがまとまらないままふわふわしてる状態。
ただ、どっかに具体的な目標地点を設定しておく必要はあるんだよね。
ふわふわすることと具体的に動くことを同時にするって難しい。

裏技

【衣服に染みついたイオウの匂いを取る裏技】
洗濯するときに(うっかり)グリーンガムを一緒に入れる。
。。。ガムが飛び散るので後始末が大変ですが、いい匂いにはなります。

怪ダレ4「恐怖の教室」4刷!4並び(笑)
ぎゃ〜〜〜〜

後遺症

先日の旅行で日焼けしてしまった。やばー。。。
とくに、手の甲が黒くなって、おまけに湿疹まで出ちゃって辛かった。
顔もなんとなくひきしまったような(目の錯覚)。ちゃんといろいろ塗ってたのに!
こんな焼けたの久しぶり。とくに自転車でうろうろしたのががきいたかも。もし今度どっかにでかけるときは、夏でも手袋用意しないとだめだなー。

恐山温泉の湯上がりに着てた服に硫黄の匂いが染み付いて漂白剤を使っても取れない。
これからの人生、硫黄の匂いを嗅ぐたびに、恐山を思い出してしまいそうだ。。。

寺社めぐりと自分探しの旅

きょうも晴れ。上野を発って以来ずっと晴れで、高気圧をしょって歩いてるみたい。

バスやタクシーの運転手さんには、2、3日前までは寒かったんだよと必ず言われた。
ホテルをチェックアウトするとき、あれ鍵がないな~と思って探したら、ドアに刺しっぱなしになってた。そのまま寝ちゃったよ。危ない危ない。

朝イチで観光案内所に行き、自転車を借りた。
窓口に置いてあったガイドマップを片手に、盛岡市内をまわることにした。
まずは盛岡八幡宮へ。石清水八幡宮の分社だそうで、大きくて立派な神社だった。

それからガイドのコース通りにいくと、十六羅漢というのがあった。
一応案内板はでていたけど、一見ごくごくふつうの、風通しのいい小さな公園に、大きくて丸っこい石の羅漢像が、ぐるりと無造作に並んでいた。
もとあったお寺はなくなってて、石像だけが残っていた。土俗的な雰囲気ぷんぷん。
ああ、石に彫るのもいいなあ。質感、重量感、それに耐久性。すばらしい。

湧き水も何カ所かみかけた。町中なのに。飲料水とか洗濯用とか4段にわけてあった。ゆったりと流れる北上川に沿って走るのも、なかなか気持ちよかった。

盛岡城跡公園は、石川啄木の十五の心が空に吸はれし不来方のお城のあと。
啄木のお墓は、函館の父方のお墓のすぐ近くにあるので、なんとなく親近感がある。
ふもとには大きな岩が祀られてた。昨日の三ツ石神社といい、岩手には良い岩が多い。

報恩寺の五百羅漢像を見るのには拝観料が必要だったけど、受付には誰もいない。
お皿の上におつり用の100円玉が数枚、ばらばらと蒔いてあった。
それほど広くないお堂に入ると、四方の壁にぐるりと何段もの棚が作り付けられていて、木彫りの羅漢像がぎっちりと並んでいた。立体曼荼羅!全部で499体あるらしい。たった9人の仏師が作ったということは、ひとり55体以上彫ったってことか。すご~。

それからガイドのコースをはずれて山のほうへ。
グーグルマップに岩清水という地名が載っていたので、これはぜひ行ってみたいなと。

まるで夏のような日差し。暑いし、坂だし、ゼイゼイいいながら自転車を漕いだ。
iPhoneの画面を見ながら、住宅地のような農道のような道をうねうね進んで行くと、グーグルマップによれば、すぐ近くに「岩清水不動尊」というのがあるらしい。
しかし、そこまで行く道が、地図の中にも、リアル景色の中にも見あたらない。自転車を道の脇にとめて、自分の位置の表示が不動尊のほうに動くのを見ながら、こっちかな?いやこっちかな?と歩いて行くと、人んちの敷地の中に入ってしまった。

小高い丘があって、上を見上げると小さな建物があって、農作業中の人がいたので、勇気をだして「お不動さんはここですか?」と聞くと、ぐるっとまわるとあちらから登れるよ、と身振り手振りで教えてくれた。
それで道を探したけど、これがまたケモノ道みたいのが幾筋かあるだけ。こわごわ登ると、小さな鳥居と、岩清水不動尊と書かれた石、そして小さな祠があった。鍵が開いていたのでのぞいてみると、中はきれいで、鏡餅やお酒がたくさん並んでいた。

お参りしたあと、自転車にもどり、岩清水の集落をうろうろしてみた。
看板とか電柱とかに、あたりまえだけど、みんな岩清水って書いてある。
岩清水1番地は、山の斜面の住宅と、きれいな畑。のんびりした風景だった。
これがほんとの自分探しの旅。満足して、自転車で坂道を市街地へと一気に走り降りた。

自転車を返したのはちょうどお昼ころで、暑かったのでさっぱりしたものが食べたくて、また冷麺屋さんへ。今度は盛岡冷麺の元祖のお店「食道園」。やっぱりおいしかった。
おとといの「盛楼閣」のほうが、はじめて盛岡冷麺を食べたインパクトと、上にスイカがのってたのとで、わたしの中ではポイントが上だけど。

駅に向かう途中、宮沢賢治ゆかりの「光原社」のカフェで可否を飲んだ。
わたしは宮沢賢治は好きでも嫌いでもないというか、早い話興味がないんだけど、たしかにレトロで素敵なカフェだった。ギャラリーも併設されていて、中に入ると、賢治の童話の、東北弁での朗読の音声が流れ、申し訳ないがちょっと不気味だった。

1時間に1本ほどしかない東北本線で、奥の細道の終点、平泉についたのは2時半すぎ。駅に「みちのく 義経/弁慶最期の地 平泉へようこそ」と書かれていた。
わたしは歌舞伎の演目の中では「勧進帳」が一番好き。ま、あの舞台は加賀だけど。

まだまだ時間に余裕があるつもりだったが、お寺って5時くらいで終わっちゃうよな、と着いてから気がついて焦った。しかも、にわかにゴロゴロと雷の音が聞こえだした。
急いで歩き出したが、すぐにポツポツ降り出した。折り畳み傘を持ってて良かった。

柳之御所遺跡は発掘中の囲いだけ、無量光院跡はきれいな広場。ちらっと見てスルー。
源義経の終焉の地「高館」は北上川の大きなカーブが見渡せる気持ちのよい場所だった。
そりゃ一句詠みたくもなるわという感じで、芭蕉の「兵どもが夢の跡」の石碑もあった。

このあたりで雨足はだいぶ強くなり、中尊寺の入り口についたころはもう土砂降り。
ところがこのお寺はすごく広くて、そこから先がかなり長い。しかも、また坂道。
木が多いので多少の雨よけにはなったけど、外国人観光客は雨宿りしながら途方にくれ、遠足の子どもたちをつれた先生は、見学をあきらめ、電話でバスの手配をしていた。
わたしはひらきなおって、靴もズボンもずぶぬれにしながら、ずんずん歩いていった。たくさんあったお堂は本堂以外ほとんど素通りして、ようやく金色堂にたどりついた。

しかし愕然としてしまった。建物の中に入っていくと大きなガラスのケースがあって、その中に、小振りな金色堂の建物ごと、仏像や棺がすっぽり収まっている!
さらに、ガラスケースの前まで行くと、自動音声による説明が流れだした。げげえ。
豪華な細工なのは遠目でもよくわかったけど、はっきりいって全然感動しなかった。
あまりのことに、お賽銭も、お参りすることも忘れたまま雨の中に出た。そのあと見た、旧覆堂や、雨ざらしの能舞台のほうがわたしには面白かった。

宝物殿で立派な仏像や金字で書かれたお経を見てから外にでると、急に雨があがり、ぺかーっと晴れた。なんだったんだ。秀衡公がもう家に帰れと言ってるんだろうか。

毛越寺には5時ぎりぎりについた。なのにゆっくりして下さいと言われてうれしかった。
が、、、広々とした芝生のところどころに、失われたお寺の跡の印が立っていて、平安時代の遺構だという遣水があり、池には龍の形の何かが浮かんでいる。

なんだこりゃ。テーマパーク? 中尊寺もそうだけど、、、平泉、ちょっと痛いかも。
町じゅうきれいに整備されていて、ドライブのついでに立ち寄るにはいいとこだけど、世界遺産て、、、大人の事情はよくわからんが、そりゃ無理でしょ。。。

駅前に戻ると、駅の売店はしまっていて、それどころか駅自体も無人駅になっていて、数少ない電車を待つ人が所在なさげに待合室にたむろしていた。食べ物屋さんもほとんど5時閉店のようで、まだ空は明るいのに町は止まっていた。
田舎ではこんなものかもしれないが、観光地風のこぎれいな町並みとの落差がすごい。
お腹がすいて途方にくれたけど、どうにか開いてるカフェをみつけて一息ついた。

そうして、平泉から二駅の一ノ関から新幹線に乗って、無事に帰京しましたとさ。
日本て広いなあ、というのが感想です。ちょこっと見てきただけだけど。
はー、、、やれやれ、日記書くの大変だったわ。。。

岩と泉の国へ

きょうはほぼ一日中バスで移動。路線バスだけどかなり長距離だから酔いそうで心配。
盛岡市街地を抜けるとすぐに山になり、それからはずっと山山山山山、ときどきダムとか川。わたしは、景色がよく見える一番前の席に座った。
でももう山も見慣れて、きれいな川も奥入瀬のあとではインパクトが弱い(なんて贅沢な)。

乗客はとても少なくて、旅行者風なのはわたしともう一人の女性だけだった。でもたまに、周りに木しかないけどいいの?みたいな場所で乗ってくる人や降りる人がいた。
運賃表は、千円、二千円とどんどん値上がりしていった。

少しバスに酔って、だんだんうんざりしてきたころ、道の駅三田貝分校というところでトイレ休憩があった。路線バスなのに。
気分転換にフリスクでも買おうと売店を見ていたら、バスの運転手さんが話しかけてきた。ここのカレーパンは美味しくて、いつも売り切れてるのにきょうは珍しくまだ残ってると。運転手さんはカレーパン嫌いだったのにこれを食べてから大好きになったんだとか。

内心、揚げ物食べるような気分じゃないなあ…と思ったけど、言われるままに、そのカレーパンと、ついでに岩手短角牛コロッケも買い、バスに戻った。カレーパンはたしかに美味しかった。もう一人のお客さんにもひと口お裾分けした。
ふしぎと気分も良くなり、ここからは3人でおしゃべりしながら行くことになった。

岩泉町の中心部に入ると、バス停も乗降客も少し増えた。バスを降りていく人や前を横断する子どもたちはみんなバスに向かって深々とお辞儀してた。
そして2時間以上かかって、ようやく終点、龍泉洞前に到着した。

龍泉洞は日本三大鍾乳洞のひとつで、ここの水は世界でも有数の透明度を誇るのだそうだ。
入り口の前にも渓流が流れていて、洞窟に入るといきなり、驚くほど青く透明な水たまり。水路の上に木で組まれた通路を通って奥に進んで行くと、これまた澄んだ、深い深い地底湖。
まるで宝石みたいな色。のぞきこんだまま、しばしのあいだ放心してしまった。

水の中に照明が仕込んであったので、水深98メートルの底まで見えているらしいけど、あまりにも水が透明すぎて、98メートルと言われてもピンとこない。
照明の色が変化したりするのはやりすぎな気もしたが、でもとても感動した。ときどきコウモリがばさばさーーーっっと顔をかすめて飛んでくのにはひやっとしたけど。
外に出ると隣にもう一つ小さな鍾乳洞があって、そちらには資料などが展示されていた。再び外に出たら、入り口とは全く見当ちがいの場所で、すぐ目の前が道路だったのには驚いた。

岩泉町産のブルーベリーを使ったソフトクリームを食べてると、次に乗るマイクロバスが来た。
龍泉洞からさらに山奥に30分ほど行ったところにある安家洞は、日本で最長最古の洞窟らしい。
バスは10人乗りくらいで、ほかの乗客は地元のお年寄り数人だけだった。

町営の龍泉洞と違い、安家洞(あっかどう)は私営なのでいろいろと素朴で、掃除用のブラシやホースがそのへんの岩の上に放置されてたのには笑った。
ほかに見学者はなく貸切状態だったので、友人Kの芝居の曲をくちずさみながら入っていった。

足もとはコンクリートで適当に固められていたし、わりと平坦で歩きやすかったが、ところどころ天井が低いところがあって、入り口で借りたヘルメットが非常に役に立った。
途中まではただの洞窟という感じで、龍泉洞のような湖があるわけでもなく地味だったが、やがて、これぞ鍾乳洞!という白い見事な「神殿」にたどりついたときには本当に感動した。

見学コースの終点には柵があって「ここで終わりです」という手書きの看板が置かれていた。
地図によれば、奥には千枚皿もあるらしかったのに、見られなくて残念。えーん。。。
しかたないのでそこで引き返して、もう一度ゆっくり神殿を見たり写真を撮ったりしていると、なんと、誰もいないはずの洞窟の奥のほうから足音がきこえてきた!!!
これには心の底からドッキリした。

で、その足音がまた速くって、どんどん近づいてくるので、岩のくぼみに隠れてたら(笑)、あらわれたのは本物の探検の人だった(ま、それ以外ありえないけど)。
いかにも探検家らしい格好の彼はにこやかにこんにちは!と言うと入り口のほうに消えてった。
わたしも、なごり惜しい気持ちで洞窟を出ると、さっきの探検家氏がどこかに電話をかけて、鍾乳洞の奥のどこが危険だとか、修復しないといけないとか、そんな話をしているようだった。

帰りのマイクロバスの客はわたしひとりだった。
さっきと同じ運転手さんに、鍾乳洞の感動を伝えると、本当に好きなんだねえとあきれられた。
おいしい湧き水のところで車を停めてくれたので、ペットボトルのお茶を捨てて水を汲んだ。

龍泉洞前で盛岡行きのバスに乗り換えると、乗客はふたりだけ。朝と同じ道の駅で休憩があり、朝とは別の運転手さんが、こんどは龍泉洞の水を使った缶コーヒーをおすすめしてくれた。
素直にそのコーヒーと、行きに食べて気に入った短角牛コロッケもまた買った。
龍泉洞の水はモンドセレクション金賞受賞だそうな。コーヒーも後味スッキリでおいしかった。

この道の駅は、運転手さんがお客に話しかけるポイントなんだろうなー。わたしは帰りも一番前に座ってたし、いかにも旅行者風で、どうやら話しかけやすいらしい。(単に食い意地がはってそうにみえただけかもしれないけど)学生さんですか?と聞かれて、一応社会人です、と答えてしまった。一応ってなによ(怒)。

ところが、今度はもう一人のお客の地元のマダムがものすごくしゃべりたがりの人で、身内の自慢話とか、今日辞任した鳩山総理の悪口とか、堰を切ったようにまくしたてはじめ、面倒だったので、運転手さんに相手をまかせて、わたしはほとんど黙っていた。

運転手さんは話題を変えようと、わたしにあれが岩手山ですよとか教えてくれたり、今の季節の木々の緑はそれぞれの木ごとに色が違ってるけど、もうしばらくすると、みんな同じ緑色になってしまうんだよ、とか話してくれた。
しかし必ずマダムが割り込んできて話をすりかえてしまう。
でも盛岡のグルメ情報や観光スポットなどを教えてもらえたのは良かったのかも。

終点盛岡駅の少し手前でバスを降りたのは夕方6時すぎ。風情のある寺町の周辺を散歩した。
岩手の県名の由来の岩が祀られてる三ツ石神社にも行った。マダムに教えてもらったので。
鬼が、もう悪さをしませんといってこの大きな岩に手形を残したという伝説があるんだって。
わたしは千葉育ちだけど千葉の語源なんて知らないなあ(あとで調べてもわからなかった)。

それからやはりマダムにすすめられた、名物じゃじゃ麺を食べに、白龍というお店に行った。
はまる人ははまりそうな味だったけど、んー、わたしはあんまり、、、だったかな。
疲れたのでさっさとホテルに戻った。
ロビーにたくさん置いてあったパンフレットを参考に、あしたどこに行こうか考えよう。

青函紀行 その4

叔母の家の窓からは津軽海峡が見える。今朝は少しガスがかかり、下北半島が霞んでいた。(そういえば昨日の朝もホテルの窓の外が真っ白で、びっくりして起きたんだった)
でもお天気は良く、名物の朝市を冷やかしに行ったときは、だいぶ日差しが強かった。
地元の人は朝市や観光客向けの海鮮丼屋さんが軒を連ねるエリアなどには行かないので、叔母にとっても珍しいらしく、ちょっとはしゃぎながらひとめぐりした。

駅前で見送ってもらって10:40発の特急に乗った。ここからは一人旅。
青函トンネル記念館というところに、ずっと行ってみたいと思っていた。
いちおう地上からも行けるのだが、地下の坑道を見学するには電車で行くしかない。
今年12月に青森まで新幹線が開通するけど(青森ではポスターがたくさん貼られてた)、いまは北海道新幹線開通にむけての工事中なので、二つある海底駅の片方は閉鎖されて、見学できるのは本州側の最北端、竜飛岬の地下にある竜飛海底駅だけ。
この駅に停車する電車も1日にたったの4便のみ。新幹線開通後はたぶん見学できなくなる。

予約が必要ということで渋谷駅に行ったとき、窓口の人がこの記念館を知らなかったので、そんなマイナーな海底140mの駅で、他に見学者がいなかったらどうしようと不安だった。
でも、停車前に、2両目からしか降りられないので集まるようにというアナウンスがあり、出口に行ってみると、リタイア後とおぼしきおっさんや鉄ちゃんがごちゃっと集まってた。
それはそれで不安になったが、あとから家族連れも来たのでひと安心した。
坑道内の案内係の人もいっしょの電車に乗っていた。

海底駅の、人ひとりしか通れない、暗くて細いプラットホームに降り立ってからは大興奮。電車の走る「本坑」に並行している「体験坑道」を歩いて記念館に向かった。

ごつごつした壁や天井、地下水を排出するための太いパイプ、火災発生時のための風門、メンテナンスの人たちがトンネル内を移動するために使う自転車(ふつうのママチャリ)。
ここができた昭和63年当時、見学者でにぎわったころを偲ばせる、さびたジオラマや、使われなくなって久しく、土に還りかけている「竜宮水族館」も興味深かった。

工事に使われた機械や、資料の展示にはあんまり興味なかったけど、係の人の説明も聞きたいし、いろいろ見るのも忙しいし、ばたばたダッシュしまくって、ふつうに体験コースを歩く距離の1.5倍くらいは走ってたんじゃないかなあ。
そしてケーブルカー「もぐら号」に乗り、長~い斜坑を通って地上の記念館へと登った。(もぐらはここのキャラで、80年代風の絵柄。こんなとこにももれなくキャラがいるのね)

海底駅といっても、ほんとの海のド真ん中にあるわけじゃなくて、工事中や、有事に地上と出入りできるように、海と陸地の境界あたりにある。
実際、記念館のあるところは、工事中には基地だったらしい。

やっと地上にでると海がまぶしく見えた。記念館は道の駅もかねているけど人はまばら。
記念館自体もちょっとした展示物と映像コーナーがある程度で、本物のトンネルを見てきたあとではどうということもなかったが、プロジェクトX的な映像は、なかなか感動的だった。

何度も起きた事故や、開通式の様子。とにかく昭和っぽいというか、青春っぽいというか。
工事中にいっぱい人死んでるし、現代の感覚だと、よくまあこんな無茶したよなって感じ。
でも、実際にその跡地に立ってみると、やっぱり圧倒されるものがあったし、なんだかよくわからないけど、ここで人間のものすごいエネルギーが発揮されたのは確か。
ナレーションは、最後に、いつか北海道に新幹線が通るのが夢だ、と語っていた。兵どもが夢の跡だなあ、と思った。

また海底駅まで戻って電車に乗って、三たび青森駅に着いたのは15時近くだった。
そのままタクシーで青森県立美術館へ。美術館行きのバスが少ないのでしかたなく。
まず入り口にあるシャガールの「アレコ」の背景画がほんとに素晴らしかった。バレエの舞台背景用の3枚の巨大な幕。これずっとみてるだけで満足できそうなほどだった。

企画展が「ポンペイ展」で、元々あまり興味がなく、常設展だけ見るつもりだったけど、おととい三内丸山遺跡に行ったせいで、ちょっと見てみようかなという気になった。
壁に描かれていたのを剥がして復元した、フレスコとモザイクの絵が面白かった。
絵のいい悪いではなく、前に立つとその家で暮らしていた昔の人々の気配が感じられるようで、これが、ふつうの絵画よりも生活に密接した壁画というものの力なのかなあと思った。

それから常設展。青森出身の人の作品を集めているので、ばらばらといえばばらばらだけど、「あおもり犬」をはじめ、奈良美智の作品をまとめて見られるし、棟方志功のでっかい肉筆画がすごく良かったし、寺山修司の部屋も独特の雰囲気だった。
時間を忘れて見ていたら、帰りのバスの時間に遅れそうになってしまった。またばたばた走って、ちょっと離れたとこにある奈良美智の「八角堂」を一応見るだけ見た。
なんとかバスに間に合い、青森駅に戻ると、そこでまた別の長距離バスに乗り換えた。ここの乗り換えの時間が短くて心配だったのだけど、どうにかうまくいった。

高速道路からみる景色は、こないだの八甲田山の道路なんかに比べると単調だったし、だんだん暗くなってきたので、ちょっとウトウトしたりしているうちに、盛岡に到着した。

盛岡に来るのはまったく初めてだけど、曾祖父の出身地。どんなところなんだろう。
朝からまともなものを食べていなかったので、まずは駅前の盛楼閣で盛岡冷麺。
疲れていたし、こんな冷麺は初めてで、とても美味しく感じた。もう8時過ぎていたけれど、今晩泊まるところを決めていなかったので、食べながら検索。

ここまで来たんだから宿まで行って実際に見て、気に入ったところに泊まろうと考えた。それで少しうろうろして、安くて便利そうで、古いけどいい雰囲気のところをみつけた。
ネットで予約した方が安いだろうと、某サイト経由で何度か申し込んだけどうまくいかず、電源は減っていくし、ちょっと焦ったが、べつの旅行サイトを使ったらすんなり取れた。
無事チェックインできて、ほっとした。

青函紀行 その3

ここのホテルでは自分でコーヒー豆挽いてドリップして飲むの。
なんつう優雅な朝よ。のんびり起きて、また露天風呂(ちょっと日差しに無防備)。

今日もまたいいお天気で、夜景よりむしろ朝の景色のほうが良かった。
北国の色とりどりのトタン屋根や、ペンキで思い切って塗られた家並みが可愛い。
朝食は「ラッキーピエロ」で、一番人気のチャイニーズチキンバーガーを食べた。
ご当地バーガーで日本一って書いてあったけど。。。ほんとかなあ?エビチリ味でまあおいしかったけど、また食べに来ようとまでは思わなかった。
函館出身のGLAYが昔ここでよくだべってたんだそうで、ファンが巡礼に来るらしく、GLAYへの感謝状が飾ってあったが、彼らの曲を全く知らないのでピンとこなかった。

それから函館山の急な坂道を上って、教会などのあるエリアを散策。子どもの頃はよくわからなかったけど、いろんな宗派の教会が隣接して建てられてる。
ライラックとか、チューリップとか、八重桜とか、いっせいにまぶしく咲いていた。
ハリストス正教会の中に入って、山下りんの描いたイコン画を眺めた。

今回の一番の目的は、うちの祖父が創業して、いまは従兄弟が運営している、「函館公園こどものくに」にある、日本最古の観覧車に乗ることだった。
ここに来たのは中学生のとき以来。観覧車に乗ったのはたぶん3歳とかが最後のはず。
園内は遠足にやってきた子どもたちで、思ったよりにぎわっていた。
ほんとに古くて小さくて、門も入場料もなくて自由に出入りできるし、雨が降ったらお休みという、ハメハメハ大王の国みたいな遊園地(晴れてよかった)。

乗り物に乗るには、まず切符を買って、係の人が来るまで待たなければならない。
でも、大きな遊園地もいいけど、こういうのも人のぬくもりがあって素敵だと思う。遊んでる子どもたちも、ひいき目じゃなく、すごく楽しそうだった。
観覧車以外の遊具も、素朴なカエル釣りとか「アポロ2000」とか、レトロで面白い。園内にかかってた曲は「ひょっこりひょうたん島」。たぶん狙ってるんだろうけど。

従兄弟は出張中で、残念ながら会えなかった。でも無料券を3枚ずつもらったので、サメ型の乗り物に1回、観覧車に2回乗った。大人二人で乗っても全然大丈夫だった。
観覧車はカゴが8つしかなくて、ひとつひとつのカゴは、横がけで二人乗り。乗る時に好きな色のカゴを選ばせてもらえた。
回転の外側を向いてゆっくりと上がって行き、てっぺんまで登ると海が見える。それから後ろ向きで、回転の中心側を見る形で降りてくる。写真を撮ろうと体を動かしたりすると、カゴがぐらぐら揺れてスリルがあった。満足。

遊園地の隣を降りていくと、これまたちいさな動物園がある。子どものころ、わたしはここのことを「したのどうぶつえん」と呼んでいた。口蹄疫予防のため、ヤクとかヤギの檻には近寄れなかったのにはびっくりした。

それから五稜郭の近くまでタクシーに乗って移動した。
運転手さんは、昨日の夜景はとくにきれいだったと言っていた。わたしたちのことを学生と勘違いしてたくらいだからあてにならない気もするけど。(いったいなぜ主婦二人組には見えないのだろうか?お土産あまり買ってないから?)
小腹満たしに立ち寄った六花亭のカフェはなんとコーヒーが無料だった。さすが観光地。五稜郭タワーにのぼってひととおり景色をながめてから、五稜郭公園内を散歩した。
上から見ると反対がわに通り抜けできそうだったのに、工事中でだめだった。

前に来た時に食べて美味しかった「函太郎」で遅めの昼食。回転寿司なのに、ウニとかカキとかボタンエビとかトロとかすごく美味しいの。それでたらふく食べてひとり2400円くらいってどうなってんの。安すぎる。

Aさんはそろそろ帰りの飛行機の時間。少し海辺で時間つぶしをしてからお見送りした。

今晩は、叔母と従姉妹が暮らすマンションに泊めてもらうことになっていた。
このマンションのお風呂は温泉。昨晩の赤湯とは違って、透明な湯の川温泉。
着いた時にはまだ明るかったので、車でご先祖さまのお墓参りにつれていってもらった。
父方のお墓は函館山の左側、母方のお墓は右側にあって、どちらからも海が見える。でも全く場所を覚えていないので、叔母たちにつれていってもらわなければ無理だった。
その足で函館山と反対側にある山に登って、函館の夜景を裏から眺めようと思ったが、またまた口蹄疫予防のために通行止めになっていて、途中であきらめて引き返した。
温泉に、料理上手な叔母の大ごちそう、それにおしゃべり。今日も楽しい夜だった。