充電

きょうは清澄白河と上野でギャラリーめぐり。
奈良美智の陶芸と、カプーアの大きなつぎはぎ鏡にわくわくした。

上野公園でタイフェスやってたのでガパオご飯たべた。うまー

いまのとこ自分の展示の予定はまったくないです。
去年まではグループ展をたくさんやってて、得たこともたくさんあったけど、でもそうやってエネルギーを小出しにするのは、いまは控える時期かなと。
目先のことをこなしただけで、頑張ったような気になって満足しちゃうとこあるから。
いまは、頭の中でいろんなことがまとまらないままふわふわしてる状態。
ただ、どっかに具体的な目標地点を設定しておく必要はあるんだよね。
ふわふわすることと具体的に動くことを同時にするって難しい。

裏技

【衣服に染みついたイオウの匂いを取る裏技】
洗濯するときに(うっかり)グリーンガムを一緒に入れる。
。。。ガムが飛び散るので後始末が大変ですが、いい匂いにはなります。

怪ダレ4「恐怖の教室」4刷!4並び(笑)
ぎゃ〜〜〜〜

後遺症

先日の旅行で日焼けしてしまった。やばー。。。
とくに、手の甲が黒くなって、おまけに湿疹まで出ちゃって辛かった。
顔もなんとなくひきしまったような(目の錯覚)。ちゃんといろいろ塗ってたのに!
こんな焼けたの久しぶり。とくに自転車でうろうろしたのががきいたかも。もし今度どっかにでかけるときは、夏でも手袋用意しないとだめだなー。

恐山温泉の湯上がりに着てた服に硫黄の匂いが染み付いて漂白剤を使っても取れない。
これからの人生、硫黄の匂いを嗅ぐたびに、恐山を思い出してしまいそうだ。。。

寺社めぐりと自分探しの旅

きょうも晴れ。上野を発って以来ずっと晴れで、高気圧をしょって歩いてるみたい。

バスやタクシーの運転手さんには、2、3日前までは寒かったんだよと必ず言われた。
ホテルをチェックアウトするとき、あれ鍵がないな~と思って探したら、ドアに刺しっぱなしになってた。そのまま寝ちゃったよ。危ない危ない。

朝イチで観光案内所に行き、自転車を借りた。
窓口に置いてあったガイドマップを片手に、盛岡市内をまわることにした。
まずは盛岡八幡宮へ。石清水八幡宮の分社だそうで、大きくて立派な神社だった。

それからガイドのコース通りにいくと、十六羅漢というのがあった。
一応案内板はでていたけど、一見ごくごくふつうの、風通しのいい小さな公園に、大きくて丸っこい石の羅漢像が、ぐるりと無造作に並んでいた。
もとあったお寺はなくなってて、石像だけが残っていた。土俗的な雰囲気ぷんぷん。
ああ、石に彫るのもいいなあ。質感、重量感、それに耐久性。すばらしい。

湧き水も何カ所かみかけた。町中なのに。飲料水とか洗濯用とか4段にわけてあった。ゆったりと流れる北上川に沿って走るのも、なかなか気持ちよかった。

盛岡城跡公園は、石川啄木の十五の心が空に吸はれし不来方のお城のあと。
啄木のお墓は、函館の父方のお墓のすぐ近くにあるので、なんとなく親近感がある。
ふもとには大きな岩が祀られてた。昨日の三ツ石神社といい、岩手には良い岩が多い。

報恩寺の五百羅漢像を見るのには拝観料が必要だったけど、受付には誰もいない。
お皿の上におつり用の100円玉が数枚、ばらばらと蒔いてあった。
それほど広くないお堂に入ると、四方の壁にぐるりと何段もの棚が作り付けられていて、木彫りの羅漢像がぎっちりと並んでいた。立体曼荼羅!全部で499体あるらしい。たった9人の仏師が作ったということは、ひとり55体以上彫ったってことか。すご~。

それからガイドのコースをはずれて山のほうへ。
グーグルマップに岩清水という地名が載っていたので、これはぜひ行ってみたいなと。

まるで夏のような日差し。暑いし、坂だし、ゼイゼイいいながら自転車を漕いだ。
iPhoneの画面を見ながら、住宅地のような農道のような道をうねうね進んで行くと、グーグルマップによれば、すぐ近くに「岩清水不動尊」というのがあるらしい。
しかし、そこまで行く道が、地図の中にも、リアル景色の中にも見あたらない。自転車を道の脇にとめて、自分の位置の表示が不動尊のほうに動くのを見ながら、こっちかな?いやこっちかな?と歩いて行くと、人んちの敷地の中に入ってしまった。

小高い丘があって、上を見上げると小さな建物があって、農作業中の人がいたので、勇気をだして「お不動さんはここですか?」と聞くと、ぐるっとまわるとあちらから登れるよ、と身振り手振りで教えてくれた。
それで道を探したけど、これがまたケモノ道みたいのが幾筋かあるだけ。こわごわ登ると、小さな鳥居と、岩清水不動尊と書かれた石、そして小さな祠があった。鍵が開いていたのでのぞいてみると、中はきれいで、鏡餅やお酒がたくさん並んでいた。

お参りしたあと、自転車にもどり、岩清水の集落をうろうろしてみた。
看板とか電柱とかに、あたりまえだけど、みんな岩清水って書いてある。
岩清水1番地は、山の斜面の住宅と、きれいな畑。のんびりした風景だった。
これがほんとの自分探しの旅。満足して、自転車で坂道を市街地へと一気に走り降りた。

自転車を返したのはちょうどお昼ころで、暑かったのでさっぱりしたものが食べたくて、また冷麺屋さんへ。今度は盛岡冷麺の元祖のお店「食道園」。やっぱりおいしかった。
おとといの「盛楼閣」のほうが、はじめて盛岡冷麺を食べたインパクトと、上にスイカがのってたのとで、わたしの中ではポイントが上だけど。

駅に向かう途中、宮沢賢治ゆかりの「光原社」のカフェで可否を飲んだ。
わたしは宮沢賢治は好きでも嫌いでもないというか、早い話興味がないんだけど、たしかにレトロで素敵なカフェだった。ギャラリーも併設されていて、中に入ると、賢治の童話の、東北弁での朗読の音声が流れ、申し訳ないがちょっと不気味だった。

1時間に1本ほどしかない東北本線で、奥の細道の終点、平泉についたのは2時半すぎ。駅に「みちのく 義経/弁慶最期の地 平泉へようこそ」と書かれていた。
わたしは歌舞伎の演目の中では「勧進帳」が一番好き。ま、あの舞台は加賀だけど。

まだまだ時間に余裕があるつもりだったが、お寺って5時くらいで終わっちゃうよな、と着いてから気がついて焦った。しかも、にわかにゴロゴロと雷の音が聞こえだした。
急いで歩き出したが、すぐにポツポツ降り出した。折り畳み傘を持ってて良かった。

柳之御所遺跡は発掘中の囲いだけ、無量光院跡はきれいな広場。ちらっと見てスルー。
源義経の終焉の地「高館」は北上川の大きなカーブが見渡せる気持ちのよい場所だった。
そりゃ一句詠みたくもなるわという感じで、芭蕉の「兵どもが夢の跡」の石碑もあった。

このあたりで雨足はだいぶ強くなり、中尊寺の入り口についたころはもう土砂降り。
ところがこのお寺はすごく広くて、そこから先がかなり長い。しかも、また坂道。
木が多いので多少の雨よけにはなったけど、外国人観光客は雨宿りしながら途方にくれ、遠足の子どもたちをつれた先生は、見学をあきらめ、電話でバスの手配をしていた。
わたしはひらきなおって、靴もズボンもずぶぬれにしながら、ずんずん歩いていった。たくさんあったお堂は本堂以外ほとんど素通りして、ようやく金色堂にたどりついた。

しかし愕然としてしまった。建物の中に入っていくと大きなガラスのケースがあって、その中に、小振りな金色堂の建物ごと、仏像や棺がすっぽり収まっている!
さらに、ガラスケースの前まで行くと、自動音声による説明が流れだした。げげえ。
豪華な細工なのは遠目でもよくわかったけど、はっきりいって全然感動しなかった。
あまりのことに、お賽銭も、お参りすることも忘れたまま雨の中に出た。そのあと見た、旧覆堂や、雨ざらしの能舞台のほうがわたしには面白かった。

宝物殿で立派な仏像や金字で書かれたお経を見てから外にでると、急に雨があがり、ぺかーっと晴れた。なんだったんだ。秀衡公がもう家に帰れと言ってるんだろうか。

毛越寺には5時ぎりぎりについた。なのにゆっくりして下さいと言われてうれしかった。
が、、、広々とした芝生のところどころに、失われたお寺の跡の印が立っていて、平安時代の遺構だという遣水があり、池には龍の形の何かが浮かんでいる。

なんだこりゃ。テーマパーク? 中尊寺もそうだけど、、、平泉、ちょっと痛いかも。
町じゅうきれいに整備されていて、ドライブのついでに立ち寄るにはいいとこだけど、世界遺産て、、、大人の事情はよくわからんが、そりゃ無理でしょ。。。

駅前に戻ると、駅の売店はしまっていて、それどころか駅自体も無人駅になっていて、数少ない電車を待つ人が所在なさげに待合室にたむろしていた。食べ物屋さんもほとんど5時閉店のようで、まだ空は明るいのに町は止まっていた。
田舎ではこんなものかもしれないが、観光地風のこぎれいな町並みとの落差がすごい。
お腹がすいて途方にくれたけど、どうにか開いてるカフェをみつけて一息ついた。

そうして、平泉から二駅の一ノ関から新幹線に乗って、無事に帰京しましたとさ。
日本て広いなあ、というのが感想です。ちょこっと見てきただけだけど。
はー、、、やれやれ、日記書くの大変だったわ。。。

岩と泉の国へ

きょうはほぼ一日中バスで移動。路線バスだけどかなり長距離だから酔いそうで心配。
盛岡市街地を抜けるとすぐに山になり、それからはずっと山山山山山、ときどきダムとか川。わたしは、景色がよく見える一番前の席に座った。
でももう山も見慣れて、きれいな川も奥入瀬のあとではインパクトが弱い(なんて贅沢な)。

乗客はとても少なくて、旅行者風なのはわたしともう一人の女性だけだった。でもたまに、周りに木しかないけどいいの?みたいな場所で乗ってくる人や降りる人がいた。
運賃表は、千円、二千円とどんどん値上がりしていった。

少しバスに酔って、だんだんうんざりしてきたころ、道の駅三田貝分校というところでトイレ休憩があった。路線バスなのに。
気分転換にフリスクでも買おうと売店を見ていたら、バスの運転手さんが話しかけてきた。ここのカレーパンは美味しくて、いつも売り切れてるのにきょうは珍しくまだ残ってると。運転手さんはカレーパン嫌いだったのにこれを食べてから大好きになったんだとか。

内心、揚げ物食べるような気分じゃないなあ…と思ったけど、言われるままに、そのカレーパンと、ついでに岩手短角牛コロッケも買い、バスに戻った。カレーパンはたしかに美味しかった。もう一人のお客さんにもひと口お裾分けした。
ふしぎと気分も良くなり、ここからは3人でおしゃべりしながら行くことになった。

岩泉町の中心部に入ると、バス停も乗降客も少し増えた。バスを降りていく人や前を横断する子どもたちはみんなバスに向かって深々とお辞儀してた。
そして2時間以上かかって、ようやく終点、龍泉洞前に到着した。

龍泉洞は日本三大鍾乳洞のひとつで、ここの水は世界でも有数の透明度を誇るのだそうだ。
入り口の前にも渓流が流れていて、洞窟に入るといきなり、驚くほど青く透明な水たまり。水路の上に木で組まれた通路を通って奥に進んで行くと、これまた澄んだ、深い深い地底湖。
まるで宝石みたいな色。のぞきこんだまま、しばしのあいだ放心してしまった。

水の中に照明が仕込んであったので、水深98メートルの底まで見えているらしいけど、あまりにも水が透明すぎて、98メートルと言われてもピンとこない。
照明の色が変化したりするのはやりすぎな気もしたが、でもとても感動した。ときどきコウモリがばさばさーーーっっと顔をかすめて飛んでくのにはひやっとしたけど。
外に出ると隣にもう一つ小さな鍾乳洞があって、そちらには資料などが展示されていた。再び外に出たら、入り口とは全く見当ちがいの場所で、すぐ目の前が道路だったのには驚いた。

岩泉町産のブルーベリーを使ったソフトクリームを食べてると、次に乗るマイクロバスが来た。
龍泉洞からさらに山奥に30分ほど行ったところにある安家洞は、日本で最長最古の洞窟らしい。
バスは10人乗りくらいで、ほかの乗客は地元のお年寄り数人だけだった。

町営の龍泉洞と違い、安家洞(あっかどう)は私営なのでいろいろと素朴で、掃除用のブラシやホースがそのへんの岩の上に放置されてたのには笑った。
ほかに見学者はなく貸切状態だったので、友人Kの芝居の曲をくちずさみながら入っていった。

足もとはコンクリートで適当に固められていたし、わりと平坦で歩きやすかったが、ところどころ天井が低いところがあって、入り口で借りたヘルメットが非常に役に立った。
途中まではただの洞窟という感じで、龍泉洞のような湖があるわけでもなく地味だったが、やがて、これぞ鍾乳洞!という白い見事な「神殿」にたどりついたときには本当に感動した。

見学コースの終点には柵があって「ここで終わりです」という手書きの看板が置かれていた。
地図によれば、奥には千枚皿もあるらしかったのに、見られなくて残念。えーん。。。
しかたないのでそこで引き返して、もう一度ゆっくり神殿を見たり写真を撮ったりしていると、なんと、誰もいないはずの洞窟の奥のほうから足音がきこえてきた!!!
これには心の底からドッキリした。

で、その足音がまた速くって、どんどん近づいてくるので、岩のくぼみに隠れてたら(笑)、あらわれたのは本物の探検の人だった(ま、それ以外ありえないけど)。
いかにも探検家らしい格好の彼はにこやかにこんにちは!と言うと入り口のほうに消えてった。
わたしも、なごり惜しい気持ちで洞窟を出ると、さっきの探検家氏がどこかに電話をかけて、鍾乳洞の奥のどこが危険だとか、修復しないといけないとか、そんな話をしているようだった。

帰りのマイクロバスの客はわたしひとりだった。
さっきと同じ運転手さんに、鍾乳洞の感動を伝えると、本当に好きなんだねえとあきれられた。
おいしい湧き水のところで車を停めてくれたので、ペットボトルのお茶を捨てて水を汲んだ。

龍泉洞前で盛岡行きのバスに乗り換えると、乗客はふたりだけ。朝と同じ道の駅で休憩があり、朝とは別の運転手さんが、こんどは龍泉洞の水を使った缶コーヒーをおすすめしてくれた。
素直にそのコーヒーと、行きに食べて気に入った短角牛コロッケもまた買った。
龍泉洞の水はモンドセレクション金賞受賞だそうな。コーヒーも後味スッキリでおいしかった。

この道の駅は、運転手さんがお客に話しかけるポイントなんだろうなー。わたしは帰りも一番前に座ってたし、いかにも旅行者風で、どうやら話しかけやすいらしい。(単に食い意地がはってそうにみえただけかもしれないけど)学生さんですか?と聞かれて、一応社会人です、と答えてしまった。一応ってなによ(怒)。

ところが、今度はもう一人のお客の地元のマダムがものすごくしゃべりたがりの人で、身内の自慢話とか、今日辞任した鳩山総理の悪口とか、堰を切ったようにまくしたてはじめ、面倒だったので、運転手さんに相手をまかせて、わたしはほとんど黙っていた。

運転手さんは話題を変えようと、わたしにあれが岩手山ですよとか教えてくれたり、今の季節の木々の緑はそれぞれの木ごとに色が違ってるけど、もうしばらくすると、みんな同じ緑色になってしまうんだよ、とか話してくれた。
しかし必ずマダムが割り込んできて話をすりかえてしまう。
でも盛岡のグルメ情報や観光スポットなどを教えてもらえたのは良かったのかも。

終点盛岡駅の少し手前でバスを降りたのは夕方6時すぎ。風情のある寺町の周辺を散歩した。
岩手の県名の由来の岩が祀られてる三ツ石神社にも行った。マダムに教えてもらったので。
鬼が、もう悪さをしませんといってこの大きな岩に手形を残したという伝説があるんだって。
わたしは千葉育ちだけど千葉の語源なんて知らないなあ(あとで調べてもわからなかった)。

それからやはりマダムにすすめられた、名物じゃじゃ麺を食べに、白龍というお店に行った。
はまる人ははまりそうな味だったけど、んー、わたしはあんまり、、、だったかな。
疲れたのでさっさとホテルに戻った。
ロビーにたくさん置いてあったパンフレットを参考に、あしたどこに行こうか考えよう。

青函紀行 その4

叔母の家の窓からは津軽海峡が見える。今朝は少しガスがかかり、下北半島が霞んでいた。(そういえば昨日の朝もホテルの窓の外が真っ白で、びっくりして起きたんだった)
でもお天気は良く、名物の朝市を冷やかしに行ったときは、だいぶ日差しが強かった。
地元の人は朝市や観光客向けの海鮮丼屋さんが軒を連ねるエリアなどには行かないので、叔母にとっても珍しいらしく、ちょっとはしゃぎながらひとめぐりした。

駅前で見送ってもらって10:40発の特急に乗った。ここからは一人旅。
青函トンネル記念館というところに、ずっと行ってみたいと思っていた。
いちおう地上からも行けるのだが、地下の坑道を見学するには電車で行くしかない。
今年12月に青森まで新幹線が開通するけど(青森ではポスターがたくさん貼られてた)、いまは北海道新幹線開通にむけての工事中なので、二つある海底駅の片方は閉鎖されて、見学できるのは本州側の最北端、竜飛岬の地下にある竜飛海底駅だけ。
この駅に停車する電車も1日にたったの4便のみ。新幹線開通後はたぶん見学できなくなる。

予約が必要ということで渋谷駅に行ったとき、窓口の人がこの記念館を知らなかったので、そんなマイナーな海底140mの駅で、他に見学者がいなかったらどうしようと不安だった。
でも、停車前に、2両目からしか降りられないので集まるようにというアナウンスがあり、出口に行ってみると、リタイア後とおぼしきおっさんや鉄ちゃんがごちゃっと集まってた。
それはそれで不安になったが、あとから家族連れも来たのでひと安心した。
坑道内の案内係の人もいっしょの電車に乗っていた。

海底駅の、人ひとりしか通れない、暗くて細いプラットホームに降り立ってからは大興奮。電車の走る「本坑」に並行している「体験坑道」を歩いて記念館に向かった。

ごつごつした壁や天井、地下水を排出するための太いパイプ、火災発生時のための風門、メンテナンスの人たちがトンネル内を移動するために使う自転車(ふつうのママチャリ)。
ここができた昭和63年当時、見学者でにぎわったころを偲ばせる、さびたジオラマや、使われなくなって久しく、土に還りかけている「竜宮水族館」も興味深かった。

工事に使われた機械や、資料の展示にはあんまり興味なかったけど、係の人の説明も聞きたいし、いろいろ見るのも忙しいし、ばたばたダッシュしまくって、ふつうに体験コースを歩く距離の1.5倍くらいは走ってたんじゃないかなあ。
そしてケーブルカー「もぐら号」に乗り、長~い斜坑を通って地上の記念館へと登った。(もぐらはここのキャラで、80年代風の絵柄。こんなとこにももれなくキャラがいるのね)

海底駅といっても、ほんとの海のド真ん中にあるわけじゃなくて、工事中や、有事に地上と出入りできるように、海と陸地の境界あたりにある。
実際、記念館のあるところは、工事中には基地だったらしい。

やっと地上にでると海がまぶしく見えた。記念館は道の駅もかねているけど人はまばら。
記念館自体もちょっとした展示物と映像コーナーがある程度で、本物のトンネルを見てきたあとではどうということもなかったが、プロジェクトX的な映像は、なかなか感動的だった。

何度も起きた事故や、開通式の様子。とにかく昭和っぽいというか、青春っぽいというか。
工事中にいっぱい人死んでるし、現代の感覚だと、よくまあこんな無茶したよなって感じ。
でも、実際にその跡地に立ってみると、やっぱり圧倒されるものがあったし、なんだかよくわからないけど、ここで人間のものすごいエネルギーが発揮されたのは確か。
ナレーションは、最後に、いつか北海道に新幹線が通るのが夢だ、と語っていた。兵どもが夢の跡だなあ、と思った。

また海底駅まで戻って電車に乗って、三たび青森駅に着いたのは15時近くだった。
そのままタクシーで青森県立美術館へ。美術館行きのバスが少ないのでしかたなく。
まず入り口にあるシャガールの「アレコ」の背景画がほんとに素晴らしかった。バレエの舞台背景用の3枚の巨大な幕。これずっとみてるだけで満足できそうなほどだった。

企画展が「ポンペイ展」で、元々あまり興味がなく、常設展だけ見るつもりだったけど、おととい三内丸山遺跡に行ったせいで、ちょっと見てみようかなという気になった。
壁に描かれていたのを剥がして復元した、フレスコとモザイクの絵が面白かった。
絵のいい悪いではなく、前に立つとその家で暮らしていた昔の人々の気配が感じられるようで、これが、ふつうの絵画よりも生活に密接した壁画というものの力なのかなあと思った。

それから常設展。青森出身の人の作品を集めているので、ばらばらといえばばらばらだけど、「あおもり犬」をはじめ、奈良美智の作品をまとめて見られるし、棟方志功のでっかい肉筆画がすごく良かったし、寺山修司の部屋も独特の雰囲気だった。
時間を忘れて見ていたら、帰りのバスの時間に遅れそうになってしまった。またばたばた走って、ちょっと離れたとこにある奈良美智の「八角堂」を一応見るだけ見た。
なんとかバスに間に合い、青森駅に戻ると、そこでまた別の長距離バスに乗り換えた。ここの乗り換えの時間が短くて心配だったのだけど、どうにかうまくいった。

高速道路からみる景色は、こないだの八甲田山の道路なんかに比べると単調だったし、だんだん暗くなってきたので、ちょっとウトウトしたりしているうちに、盛岡に到着した。

盛岡に来るのはまったく初めてだけど、曾祖父の出身地。どんなところなんだろう。
朝からまともなものを食べていなかったので、まずは駅前の盛楼閣で盛岡冷麺。
疲れていたし、こんな冷麺は初めてで、とても美味しく感じた。もう8時過ぎていたけれど、今晩泊まるところを決めていなかったので、食べながら検索。

ここまで来たんだから宿まで行って実際に見て、気に入ったところに泊まろうと考えた。それで少しうろうろして、安くて便利そうで、古いけどいい雰囲気のところをみつけた。
ネットで予約した方が安いだろうと、某サイト経由で何度か申し込んだけどうまくいかず、電源は減っていくし、ちょっと焦ったが、べつの旅行サイトを使ったらすんなり取れた。
無事チェックインできて、ほっとした。

青函紀行 その3

ここのホテルでは自分でコーヒー豆挽いてドリップして飲むの。
なんつう優雅な朝よ。のんびり起きて、また露天風呂(ちょっと日差しに無防備)。

今日もまたいいお天気で、夜景よりむしろ朝の景色のほうが良かった。
北国の色とりどりのトタン屋根や、ペンキで思い切って塗られた家並みが可愛い。
朝食は「ラッキーピエロ」で、一番人気のチャイニーズチキンバーガーを食べた。
ご当地バーガーで日本一って書いてあったけど。。。ほんとかなあ?エビチリ味でまあおいしかったけど、また食べに来ようとまでは思わなかった。
函館出身のGLAYが昔ここでよくだべってたんだそうで、ファンが巡礼に来るらしく、GLAYへの感謝状が飾ってあったが、彼らの曲を全く知らないのでピンとこなかった。

それから函館山の急な坂道を上って、教会などのあるエリアを散策。子どもの頃はよくわからなかったけど、いろんな宗派の教会が隣接して建てられてる。
ライラックとか、チューリップとか、八重桜とか、いっせいにまぶしく咲いていた。
ハリストス正教会の中に入って、山下りんの描いたイコン画を眺めた。

今回の一番の目的は、うちの祖父が創業して、いまは従兄弟が運営している、「函館公園こどものくに」にある、日本最古の観覧車に乗ることだった。
ここに来たのは中学生のとき以来。観覧車に乗ったのはたぶん3歳とかが最後のはず。
園内は遠足にやってきた子どもたちで、思ったよりにぎわっていた。
ほんとに古くて小さくて、門も入場料もなくて自由に出入りできるし、雨が降ったらお休みという、ハメハメハ大王の国みたいな遊園地(晴れてよかった)。

乗り物に乗るには、まず切符を買って、係の人が来るまで待たなければならない。
でも、大きな遊園地もいいけど、こういうのも人のぬくもりがあって素敵だと思う。遊んでる子どもたちも、ひいき目じゃなく、すごく楽しそうだった。
観覧車以外の遊具も、素朴なカエル釣りとか「アポロ2000」とか、レトロで面白い。園内にかかってた曲は「ひょっこりひょうたん島」。たぶん狙ってるんだろうけど。

従兄弟は出張中で、残念ながら会えなかった。でも無料券を3枚ずつもらったので、サメ型の乗り物に1回、観覧車に2回乗った。大人二人で乗っても全然大丈夫だった。
観覧車はカゴが8つしかなくて、ひとつひとつのカゴは、横がけで二人乗り。乗る時に好きな色のカゴを選ばせてもらえた。
回転の外側を向いてゆっくりと上がって行き、てっぺんまで登ると海が見える。それから後ろ向きで、回転の中心側を見る形で降りてくる。写真を撮ろうと体を動かしたりすると、カゴがぐらぐら揺れてスリルがあった。満足。

遊園地の隣を降りていくと、これまたちいさな動物園がある。子どものころ、わたしはここのことを「したのどうぶつえん」と呼んでいた。口蹄疫予防のため、ヤクとかヤギの檻には近寄れなかったのにはびっくりした。

それから五稜郭の近くまでタクシーに乗って移動した。
運転手さんは、昨日の夜景はとくにきれいだったと言っていた。わたしたちのことを学生と勘違いしてたくらいだからあてにならない気もするけど。(いったいなぜ主婦二人組には見えないのだろうか?お土産あまり買ってないから?)
小腹満たしに立ち寄った六花亭のカフェはなんとコーヒーが無料だった。さすが観光地。五稜郭タワーにのぼってひととおり景色をながめてから、五稜郭公園内を散歩した。
上から見ると反対がわに通り抜けできそうだったのに、工事中でだめだった。

前に来た時に食べて美味しかった「函太郎」で遅めの昼食。回転寿司なのに、ウニとかカキとかボタンエビとかトロとかすごく美味しいの。それでたらふく食べてひとり2400円くらいってどうなってんの。安すぎる。

Aさんはそろそろ帰りの飛行機の時間。少し海辺で時間つぶしをしてからお見送りした。

今晩は、叔母と従姉妹が暮らすマンションに泊めてもらうことになっていた。
このマンションのお風呂は温泉。昨晩の赤湯とは違って、透明な湯の川温泉。
着いた時にはまだ明るかったので、車でご先祖さまのお墓参りにつれていってもらった。
父方のお墓は函館山の左側、母方のお墓は右側にあって、どちらからも海が見える。でも全く場所を覚えていないので、叔母たちにつれていってもらわなければ無理だった。
その足で函館山と反対側にある山に登って、函館の夜景を裏から眺めようと思ったが、またまた口蹄疫予防のために通行止めになっていて、途中であきらめて引き返した。
温泉に、料理上手な叔母の大ごちそう、それにおしゃべり。今日も楽しい夜だった。

青函紀行 その2

十和田市現代美術館は9時オープン。早起きして(早くもないか)朝イチで入館。
常設展も、企画展「草間彌生 十和田でうたう」もオブジェ中心で、明るくて大胆な雰囲気。
いい天気だったので、ガラス越しに見える青空と、美術館の空間がさわやかで気持ちよかった。

ロン・ミュエク「スタンディング・ウーマン」、ハンス・オプ・デ・ピーク「ロケーション(5)」、それに栗林隆「ザンプランド」も面白かったなー。
オノ・ヨーコのインスタレーションは明らかに恐山をイメージしてた。
美術館自体はそんなに広くないけど、美術館前の広場にもたくさん大きなオブジェがあって、草間彌生のでっかいかぼちゃのてっぺんによじ上ってる子どもがいた。すごい身体能力。。。
大人も子どもも理屈抜きで楽しめる素敵な美術館で、わたしもとっても楽しかった。企画展には周辺の商店街も協力していて、赤い水玉が窓にいっぱい貼られてたのも可愛かった。

もともと車を使う予定ではなかったので、このあと電車で函館に向かうつもりだった。
しかしここは十和田市。近くに奥入瀬渓流と十和田湖がある。

じつはわたしは恐山や奥入瀬渓流が青森にあるということすら知らなかったのだけど、同行者がいると、視野が広がって、思いがけない場所に行くことができてすばらしい。
奥入瀬渓流は薄緑の日本画の世界。岩絵の具の色彩だった。東山魁夷の絵の中にいるみたい。歩いたのはほんの一部だったけど、マイナスイオンをいっぱい吸い込んだ。滝も素敵で、思わず滝壺まで走り寄っちゃったりして、運動神経ないのに、危険。。。(スパイクつきのトレッキングシューズを履いていったのは本当に良かった。水にも強いし)
でも、水がゆったり流れているところと木々と苔々の、ふしぎな緑色がいちばん心に残った。

十和田湖はカルデラ湖で、微生物が少なく、透明度が高い(昨日の宇曽利湖もカルデラだった)。湖の底が、けっこう遠くまで見えた。ここの水が、水門を通って奥入瀬に流れていく。
湖畔を少し散歩してから、また車に乗り、湖の周りをぐるりと回って、八甲田ゴールドライン経由で再び青森へ。今日は一日中緑のトンネルの中を走ってた。

夕方、4時半ころに青森市内について、まだちょっと時間があったので、三内丸山遺跡へ。
立派なつくりの入り口の建物をくぐると、広々とした公園に復元された竪穴式住居や謎の柱など。またわたしは走りまわって柱の跡やらお墓やら見物し、Aさんはゆったりあたりを見回していた。ここは30分もあれば十分楽しめる。同じ敷地内の青森県立美術館は5時閉館なのでまた今度。

無事に青森駅に到着して、レンタカーを返して、特急スーパー白鳥で函館へ。
疲れて眠くなってしまったけど、青函トンネルに入るまでは起きていたかった。でも思わせぶりな短いトンネルがいくつもあって、気がついたら眠ってた。
北海道の地上に出たころに目が覚めた。夜7時半過ぎても、緯度が高いのでまだうす明るい。
木古内という駅に停車した時は、電車の音も止み、外もしんとして、乗客もみんな押し黙り、異様に静かで、時間まで止まってしまったようで、思わずひそひそ声になってしまった。
やがて街の灯が海に沿って見えてきて、8時過ぎに函館に着いた。

函館は両親の出身地だけど、駅に来るのは久しぶりだったので、新しくなっていて驚いた。
駅前から市電に乗り、函館山方面へ。宝来町(元々はこのあたりが本籍地だった)で降りた。
よく父が懐かしがっていた「小いけ」のカレーを食べてみたかった。
昔とは経営が変わって(そりゃ何十年も経ってるし)味も変わってしまったという話だけど、食べログでの評価は高いので「元祖小いけ」(すぐ隣に「本家小いけ」もある)でカツカレー。
すごく美味しかったけどな。安いし。冷凍カレーを持ち帰りできるというので、実家に送った。

それからロープウェーで函館山に登り、函館の夜景を見た。夜景は子どものとき以来。
展望台のガラス越しより、外に出て生で見るのが何十倍もきれいで、ずっと眺めていたかった。
それにお月さまが、ほぼ真ん丸の月が、異様に大きく、オレンジ色に光って禍々しいほどで、それが海に映って、光の道がくっきりとこちらに向かってきていた。なんなんだあれは。。。

またロープウェーで山を降り、ぶらぶらとベイエリアを歩いて、ホテルへ。
「ラビスタ函館ベイ」はなかなかこじゃれたホテルで、夜景を見ながら赤湯の温泉に浸かれる。お風呂からみたお月さまは、もうふつうの大きさに戻って、光の道もおだやかに拡散していた。

青函紀行 その1

昨日の晩、上野発の夜行列車に乗って、北へと旅立った。
寝台特急「あけぼの」は車内販売がないので、食糧をいろいろと買い込んで。
今回の旅の道連れは、編集者のAさん。と言ってもまだ一度も一緒に仕事をしたことがないので、実質ただの友達なんだけど、お互いに敬語を使いあうことで、なにかを守っているという関係(笑)。

今回も、当初は函館に取材に行こうと言ってたのに、青森にも行きたいなんて欲張って、すでに目的がよくわからなくなっている(当然ふたりとも自腹)。
なにしろ月末の金曜の夜だから、Aさんは会社の仕事を無理矢理片付けてきたそうだし、わたしも来週のぶんの〆切までまとめてやっつけてからきたので、すごい開放感だった。

ソロ寝台はひとりずつ個室になっていて、個室の窓から景色が見える。
2階のわたしの個室で、お菓子を食べ食べ、打ち合わせ(←いちおう仕事の)。まるで夜逃げして行くみたいですね~なんていいながら。
わたしが飛行機嫌いなので電車にしてもらったのだが、夜行列車もなかなかいいもんだ。

深夜頃には解散して眠った。でもこの季節なので4時すぎには外が明るくなった。東北の田んぼは今がちょうど田植えの時期で、早朝から農作業をしてる人の姿が見えた。
新緑の木々や、いろんな花(林檎の花もまだ残ってた)を眺めてると飽きなかった。

10時くらいに終点青森駅に着き、2両編成の東北本線に乗って下北半島に向かったが、、、乗換駅の野辺地で1時間も待たなければならないことが判明した。
でもAさんは慣れたもので、じゃあレンタカー借りましょうということになった。
わたしはペーパー・ゴールド免許保持者なので、ここから先はぜんぶおまかせ。もと営業部でならしたAさんの運転で、一路、恐山へ。

Aさんはとても旅慣れているので、肩の力が抜けていて、すごく適当。
わたしは滅多に旅をしたことがないし行動力もないけど、計画性もなくて、やっぱり適当。
経験か行動力か計画性のどれかがあれば上手に旅もできそうだけど、わたしには何もない。しかし今回Aさんは先に帰ることになっていたので、途中からは一人旅になってしまう。
こりゃ無理だと思って、出発前日にあわててiPhoneを買いに走り、最低限のアプリを入れた。(そろそろ新機種が出そうだけど、いま買わなきゃしょうがない)
だったら乗り換えくらいiPhoneで調べとけよって話なんだけど、ほら、まだ使い方がよくわからなかったし、ソフトバンクだから圏外のことが多くて。

海沿いの、ずうっとまっすぐの道路わきには、漁に使う丸いガラス玉がごろごろ転がっていた。菜の花畑の黄色い長方形も目に鮮やかだった。下北名産センターというところに立ち寄って、ホタテの味噌貝焼きというのを食べた。

そこからもう一息。山道を登って行くと、若返りの水というのがあったのできっちり飲み、さらに行くと目の前がぱっと開けて宇曽利湖が見え、同時に硫黄の強烈な匂いに包まれた。「三途の川」を渡って、ようやく霊場恐山に到着。(そういえば、こないだ「asta」さんの挿絵で三途の川の絵を描いたばっかりだ)

新緑の季節のせいかもしれないけれど、意外に明るく、清潔感のあるところだった。
イタコのおばあさんのいる建物をのぞいてみたけど、口寄せして欲しい人もいないので、お寺にお参りしてから、白い火山岩に覆われた「地獄」の岩山を登った。
たくさん小石が積み上げてあって、これみんな誰かが積んだのかと思うと気が遠くなる。
当然ソフトバンクは圏外だったので「恐山なう!」はできなかったけど、まさに岩山にいた時に、ドコモユーザのAさんに仕事の電話がかかってきたのには驚いた。
地獄の奥には白い極楽浜と、エメラルドグリーンの湖、黄色やオレンジ色の小石に黄緑の山。すごくカラフルで、怖いというよりポップな印象で、けっこうのんびりと散策を楽しんだ。

それからお寺の境内にある温泉に入った。粗末だけど清潔な木造の小屋の中にあるヒノキ風呂。湯船があるだけで、洗い場もない。湖と同じ、ちょっと濁った薄緑色の熱ーいお湯。
これはほんとに極楽でございました。いい温泉って長く浸からなくてもスッキリするんだな。
お土産に、ふつうの4倍くらいの太さの恐山線香を買った。

Aさんはゆっくり景色を見ながら運転したがっていたけれど、後ろの車に煽られまくって、まだうす明るいうちに今晩の宿泊地、十和田市についた。
泊まったホテルのすぐ近くに文化会館みたいのがあって、そこによく演劇の公演が来るらしく、出演者(すごい顔ぶれ)の寄せ書きの色紙が、ホテルの壁にたくさん飾られていた。
きっとホテルの社長が演劇好きなのだな。演劇好きに悪い人はいない(バカが多いだけ)。

明日見に行く予定の十和田市現代美術館を下見に行くと、カラフルにライトアップされていた。
夕飯は馬肉料理「吉兆」で、馬刺と馬肉鍋(味噌味のすき焼き風)とバラ焼き(生姜焼き風)。iPhoneで食べログ使って調べた(はじめて役立った)。美味しかったー!
ふたりともグルメには興味ないなんて言ってたのに、しっかりご当地グルメを食べ歩いてる。
日帰り入浴できる温泉を探したけど、目指して行ったところは潰れていたのであきらめた。
1泊3,090円朝食つきという激安ホテルだったので、隣の部屋の学生がうるさかったけど、なんかもうそんなことはどうでもよくなってぐっすり眠った。

いただいた本

今日はらっきょう漬けの下ごしらえしてました。食糧危機に備えて。

去年ダンチュー増刊「ソース焼きそばの本」で絵を描かせていただいたのですが、そのシリーズの「お好み焼き90%たこ焼き10%の本」(←すごいタイトル)が出たそうで、見本をお贈りいただいたのでご紹介します。

。。。やばいです。目に毒!!!おいしそうーーー!!!
そういえば最近お好み焼き(&粉もの)食べてないなあ。
まえに大阪で食べたのがおいしすぎて東京で食べる気しなくなっちゃったんだけど、この本見たらよさげなお店がたくさん。。。だれか誘ってまた食べに行きたいな~

お好み焼き90%たこ焼き10%の本 ― 粉もん100%レシピ&店ガイド (プレジデントムック dancyu)

お好み焼き90%たこ焼き10%の本 ― 粉もん100%レシピ&店ガイド (プレジデントムック dancyu)

    • 出版社/メーカー: プレジデント社
    • 発売日: 2010/04/27
  • メディア: 大型本

ソース焼きそばの本 (プレジデントムック dancyu)

ソース焼きそばの本 (プレジデントムック dancyu)

    • 出版社/メーカー: プレジデント社
    • 発売日: 2009/10/29
  • メディア: 大型本

それから、わたしが粉は粉でも発泡スチロールの粉にまみれていた間に、山本幸久さんの新刊「ヤングアダルト パパ」をお贈りいただきました。
まるで、月刊のような勢い。。。すごいなあ。。。いつもありがとうございます!

ヤングアダルト パパ

ヤングアダルト パパ

    • 作者: 山本幸久
    • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
    • 発売日: 2010/04/29
  • メディア: 単行本

自分でもめんどくさいのですが

。。。21日の日記って、わたし怒ってるように読めますか?
ただ、がっかりして疲れて寂しかったと言いたかっただけなのですが。これがいわゆるめんどうな女心というやつか(←ひとごとのように)。
パーッと書いてブログにアップした瞬間に気が済んでしまいました。
作品仕上げた直後に絶望的な気持ちに襲われるのはいつものことだし。。。が、なんと、また撮影する場合は見学させてもらえると約束いただいてしまい(!)、
それはもちろんすごくうれしくありがたいのですが、、、もしかして、わたしゴネてしまいましたか。脅迫してしまいましたか。だとしたらすみません。そんなつもりじゃないんですっっ!!!

文章力なくてすみませんすみませんすみません。絵描きなんでゆるして(←卑怯)。今回はゲリラ的な撮影だったので、のんきに見学できる余裕はなかったそうです。(まあだからこそ見学したかったんだけど、ダメならしょうがない)

それになんといっても納品が遅くなってしまったのはわたしの責任。
個人的な感情を仕事に持ち込んじゃいけないというのはわかるし、こういう場合、ビジネスマンなら感情を押し殺して、後で飲み屋のママに愚痴ったりするのだろうか。
でもわたしは作品自体には女々しい感情は絶対に持ち込んでないし、だったらこんなことブログに書かなくてもいいような気もするけど、そのときそのときの残念な気持ちというのも、ひとつのネタと言いますか、ちょこっと書き残すくらいはいいんじゃないかな、とも思うのです。
むしろ書いとかないとわたしは過去のことはどんどん忘れちゃうので(←バカ)。
甘いのかなあ。。。甘いよなあ。。。

追記
この日記の、女心って言葉、恋愛的な意味にとらないでくださいね!念のため。
さすがに人形に対してそれはない。近い気はするけど。。。って危険すぎ(笑)

ひと心地

きょうは部屋じゅうのカーテンやらテーブルクロスやらをざばざば洗いまくり、床と窓を拭き、すきまに入ったスチロールをかき出し、カーペットをゴロゴロして、いろんな画材やら工具やらを押し入れの中にしまいこみ、やっと、はだしで歩いても足の裏に白い粉がつかなくなる程度までには現状復帰。
まだ、何か動かすたびにひらひらとスチロール屑が舞うけど、ここらへんで妥協。
ふう。。。やっとすっきりして、ひと心地ついた。

意外に元気。修羅場中もご飯は簡単なものだけどちゃんと作って食べてたから。
1週間くらいならともかく、長丁場になると食事だけはちゃんとしないともちません。

ドナドナ

早朝、発泡スチロールのオブジェをむりやり仕上げた。
具体的に何を作ったかというと、秋頃に発売になる、ある小説の登場人物の等身大人形。

いままでのオブジェは完全にわたしの世界だったので、足は彫る必要がなかったんだけど、今回は2足で直立させてうまくバランスをとらなければならなかった。
それでいて単なる模型になってしまってはいけないし、なかなか難しい挑戦だった。

これをカメラマンさんに撮影していただいた写真が装幀に使われるとのこと。
まだくわしいことは書けませんが、その撮影が、本日、京都で行われた模様で。
京都は小説の中には1ミリもでてこないんですが、デザイナーさんが京都の方だそうで。むーー、、、東京で撮影だったら見学に行けたのにいい。ていうか京都でも行くつもりで、自腹切ってでも行きたいですってお願いしたんだけど。

それでもダメだと言われたらあきらめるしかないじゃんね。
なんでよー。なにも邪魔なんかしないのにいいい!
まあ結局二徹してたから京都までいくのは体力的にきつかっただろうけどさ。でも新幹線でだって眠れるじゃんね(←まだ言ってる)

撮影に間に合わせるため、編集者さんが朝6時に自宅まであの子を引き取りにやってきた。わたしはギリギリまで描いていて、後ろから同時にドライヤーで乾かしてもらい(汗)なんとかあきらめをつけて(つまり仕上げて)、プチプチで簀巻きにして、、、
そしてあの子はタクシーに乗せられて、ドナドナされて行きました。

そのまま新幹線で京都まで行って、10時から撮影に入るということで。
あの子が著者さんに似てると言われたのは意外だった。…パパ似? 複雑だわ(笑)。
まあ、あの方に似てるのならば、相当見た目のインパクトがあるってことだ。よし。
でもその後ひとり取り残されたわたしは寂しくて悲しくて悔しくて呆然としてしまった。

今回のオブジェは、最初の〆切の日から4日くらい待ってもらって、じっくり作った。彫りや着彩だけじゃなく、地塗りとかヤスリがけなどもけっこう丁寧にやった。
完璧ということはありえないので、時間があればまだいくらでも描き続けられるんだけど、それでもやっぱり制作に時間をかけると、クオリティが上がるものなんだなあと思った。

意味を伝えるだけで良いのだったら、もっと早い段階のものでも完成してたと言える。至近距離からの撮影ではなく、オブジェが風景に溶け込んだ写真を使うようだから、本当は、お仕事としてはここまでクオリティにこだわる必要はなかった気もする。

でもあの子が運び出されて行ったあとで、部屋に戻って鍾乳洞のオブジェをみたら、すごく雑で荒けずりでいいかげんで適当で、なんだかゴミみたいに見えてしまった。
あれは一個一個の形より全体を見せるのが目的ではあったけど、、、意味と雰囲気を伝えるだけのものになってしまっていたなあ、と今更ながら反省した。

それから睡眠をとって、夜中近くに息をふきかえし、食糧の買い出しに出た。
毎日徹夜してたから外が暗いのが新鮮で、ああ夜って暗いんだと妙に感動してしまった。