ラッセラー!

「オルゴォル」の連載が、青森県八戸市の「デーリー東北新聞」さんで、7/30から新たに始まったそうです。
たしか、母方の祖父が青森県人会に入っていたはずなので、うれしいです。青森のみなさま、どうぞよろしく。。。

ついったーはじめました

ついったーはじめました。
なんでかっていうと、昨日、日経ビジネスアソシエの見本誌が届いて、その記事で勝間和代さんが薦めてたので(笑)
ビジネスパーソンみたいでしょ?

堀内誠一 旅と絵本とデザイン展

きょうは、世田谷文学館「堀内誠一 旅と絵本とデザイン展」に行った。
アンアンの創刊時のアート・ディレクターで、絵本作家で挿絵画家で、絵と文によるおしゃれな旅行記のはしりでもあった、多才な人。
「たろうのともだち」とか「秘密の花園」とか、読んでたなあ…。

わたしはデザインのことはよくわからないし、なにも言うことはないんだけど、デザイナーの人が描いたイラストって、ほんとに過不足がないというか、印刷した時にいちばん映えるように最適化されてて、不要な部分は一切描いてない。
だから、額に入れて飾ったときに良いとはかぎらない。昨日見た小林かいちも同じ。
これってほんとにすごいことなのだ。デザインの力ってほんとに大きい。

イラストレーションって、やっぱり印刷されてなんぼのものだから、ほんとうは、イラストレーターの側が、印刷の条件に合わせて、出版された時に一番きれいに見えるように計算して描くべきで、「印刷したら色が再現されなかった」なんて文句をいうのは責任放棄だと思う。

でも、デザインの専門家じゃない人間が、イラストだけずーっと描いてると、どうしても、印刷で再現できないこともあれこれやってみたくなってしまうし、必要のない細部にこだわってしまったり、力の加減が難しいところがある。

さらに個展をやろうとか思うと、どうしても、文字とかは抜きにして、額に入れて展示した時にいちばんかっこよく見えるように描きたくなってしまう。
だからイラストレーターに徹するならば、個展はたまにやるサービスくらいに考えて、深入りしないようにしたほうがいいんじゃないかとも思うんだよね。
展示は営業の一環だから、それはそれで必要なものなんだけど。。。

でも、そうやって自己主張せずにいられない、性というか業みたいなものが、絵描きの面白いところなのかもしれない、と開き直って暴れるしかないのかな…。

謎のデザイナー 小林かいちの世界展

きょうは、ニューオータニ美術館「謎のデザイナー 小林かいちの世界展」へ。
最近になって注目されたそうだけど、大正~昭和初期に京都で活躍した図案家。封筒とか、絵はがきのデザインをたくさん手がけたらしい。
でもそれは10年間くらいで、その後は友禅の図案をしていたという。
そんな、経歴もはっきりわからない人が再評価されてるってすごいことだ。

かいちの作品は、アール・ヌーボー調で、ちょっとエルテ風のものもある。
金色・銀色の使い方と、薄紫のグラデーションの美しさが印象的だった。
一枚一枚を単品で見ると、絵としての完成度は高くないが、たくさん並んでるのをみると、なんともいえない情緒があるし、素朴な木版の印刷が味わい深くて、とにかくセンスがいい。

人物の顔はほとんど描き込まれてないし、手の描き方なんかも少し適当だけど、たぶん仕事が速くて、ものすごく大量にデザインしてたんだと思う。
これは絵はがきなので、買った人が上に文章を書き込んで使うには、このくらいスキのあるくらいが、邪魔にならなくてちょうど良いのかも。
世相に敏感に反応して流行を自由自在に取り入れたり、図案家に徹してるなあ、仕事人だなあ~、って感じだった。

意外だったのは、この絵ハガキを使ってたのは主に女学生だったということ。
昔の女学生、大人っぽいな!うーん、たしかに嘆美的なんだけど、少女趣味とはちょっと違うような?いや、同じなのかな?よくわからないな。
これを今このまま真似すると、関西マダム風味になっちゃう気もする。
本物は素敵なのだけど。。。

絵ハガキって、絵をかく人はみんなわりと気軽に作るし、名刺代わりに使ったり、展示のついでに販売したりしてるけど、元々、一般に広まったのは、日露戦争の時に、戦地の兵隊さんと手紙をやりとりするために使われて、大流行したのがきっかけだそう。
ハガキひとつとっても、歴史とか政治とか、関係してたりするのだな。

今回は見逃してやる…

きょうは英会話教室で、beetleというのはカブトムシのことだけじゃなく、カナブンとかてんとう虫とか蛍とかのこともbeetleと呼ぶ、ってのを学習して、家に帰ったら玄関の扉のすぐ横の窓枠の、ちょうど目の高さのとこに、それはそれはでっかいゴキブリが、常夜灯に照らされて、黒々と光っていた。

生きてるゴキブリってなんであんなに大きく見えるのだろう。。。
ドア開けたら室内に入っちゃいそうで、10分間くらいにらみあってしまった。
うう、こいつもa beetleだなあ、とか思いつつ。
どうにか奴の隙をついて帰宅できたけど、ほんとイヤな気分。。。

いま住んでるのは古いアパートだが、ホウ酸団子を山ほど仕掛けてるせいか、奇跡的に、これまで室内でゴキブリをみつけたことはない。
もし室内ででくわしたら速攻で成敗するんだけどね!

暑い一日

昨日の晩、用事があったので実家に帰った。
今日はハングルプロジェクトの会合だったので、夕方には東京に戻った。

ちょうど、この週末は地元の七夕祭りだった。
子どもの頃は、商店街いっぱいの七夕飾りを見るのを毎年楽しみにしていた。
駅の周辺には露店がたくさん出て、けっこうにぎわってるようだった。
でも以前に比べたら、お祭りやってるエリアがずいぶん狭くなってる気がする。

今日はあまりのカンカン照りだったので、ちらっとひやかしただけだったが、飾りのスポンサーに介護施設の名前が入ってたりして、なんだかなあと思った。
そういうことには昔は気がつかなかったってだけかもしれないけど。

最近は「よさこい」とかもやってるらしく、サイトによれば、昼間っから千葉じゅうのヤンキーが集結してるようだったので、それはちょっと見てみたかったが、この暑さじゃとても無理。
食欲もわかず、バナナチョコもりんご飴も買わずに電車に乗った。

ハングルプロジェクトは、お酒が入る前に、喫茶店でみっちり打ち合わせ。
これで現行メンバー11人全員とようやく顔を合わせることができた。前川さんは芝居の稽古中で、そっちのことで頭がいっぱいのようだったけど。
すでに、それぞれの役割の人が少しずつ作業をすすめていることもあり、いままで漠然と話してたことが、やっと現実的にまとまってきた感じ。
プロジェクトサイトの立ち上げも、デザインなど、具体的につめる段階に来た。

去年の夏に前川さんに声をかけてもらってからまる一年、最初の計画からは二転三転したが、思ってたよりきちんとしたサイトになりそう。
わたしは、スタッフ通信的な、コミックエッセイを寄稿することになってます。
マンガ描くのは初めてで、どんなもんかわかんないけど。。。

またまた観ちゃったよ、エリザベート

きょうは、宝塚月組「エリザベート」の新人公演を観に行った。
今回の主演は、逸材・明日海りおだから、すごく期待していた。

宝塚の新人公演に出演するのは入団7年目までの人だそうだ。全然関係ないけど、わたしも今年でイラストレーターになって7年目。
7年って長い。もういいかげんしっかりしないと。

願いがかなう魔法の杖

きょうは、大鹿さんに誘っていただいて、「パーソンセンタード表現アートセラピー」のワークショップに行った。会場は、両国のアートトレイス・ギャラリー。講師は相澤るつ子さん。

まずクレヨンを使って、みんなで巨大マンダラを描いてウォームアップしてから、木の枝にいろんなガラクタをくっつけて「魔法の杖」を作った。
1つだけ、願い事を考えながら作ると、叶うんだって。
それはそうかもって気がする。具体的に願い事を思い浮かべるのって大切だもん。
作ってるうちに、いつのまにか無心になっていて、あっというまに時間がたった。

それから、一人一人、魔法の杖を持って、ちょっとしたパフォーマンス。
わたしはみんなに手拍子してもらいながら、舞をひとふし披露したのだが(笑)、勢いあまって転んで膝をしたたかに打ち、さらに壁に頭をぶつけた。あいたた…。
これでわたしの願い事は叶うんだろうか。。。とても楽しかったけど。

このプログラムの一番の目的は、まわりの人のことをむやみに気にしたり、恥ずかしがったりせずに作るということのようだ。
でもこれは、絵とか音楽とかなにかしら作ってる人にはあたりまえのことなので、ふだん「表現」をしない人が参加したほうが、もっと新鮮に楽しめるんだろうなー。

恥ずかしいならば、わざわざ「表現」なんかしなくてもいいのではとも思うが、その恥ずかしさを飛び越えたいのに飛び越えられないという人には良いのかも。
いくらテクニックがあっても、ここを飛び越せないとどうしようもないし、かといって全く恥ずかしさを知らなかったら、ろくなものは作れないと思う。

「表現アート」のサイトには、基本原則は「自分も人も批評しないこと」とあった。
最初の一歩の段階ではそうなのかもしれない。

ワークショップのあと、クレヨンのカスや、杖作りに使ったキラキラのラメが、そこいらじゅうにひっついてしまったので、かなり念入りにぞうきんがけをした。

帰りは大鹿さんと原田さんと三人で、ギャラリー周辺をうろうろ見物。
古い重厚なデザインのビル、元禄2年操業の質屋さん、お相撲さん向けのお店、へんな名前のコインランドリー、何か出そうなお屋敷など、見所がたくさんあった。
原田さんは、日蝕の影響で(?)身の回りに大異変が起きているとのこと。
えー。わたしはこのごろすごく元気でワクワクしてるけど、それは日蝕のせいなの?

マックスコーヒー

誰かにマックスコーヒーをさんざんにけなされ、「でもほら、あの黄色い缶が可愛いでしょ???」と言って必死でくいさがる、…という夢を見た。

マックスコーヒーかあ。昔はよく飲んでたけど。。。甘いんだよね。
最近は近所の自販機でも見かけるようになったが、元々は千葉、茨城、栃木あたりの地域限定商品だったなんて知らなかった。千葉で売られてるものってだいたい東京と同じだから。

夢分析したら、やっぱりマックスコーヒーは千葉の象徴なのだろうか?
そんなに千葉に思い入れはないつもりなのになあ。

猫好きの道は毛ものみち

豆本とかを扱っているすてきなブックカフェ、高円寺書林に遊びに行った。
去年挿絵などを描かせていただいた、婚活本の担当編集者さんが作られた、「猫毛フェルトの本」(猫の抜け毛を集めて作った指人形などの作り方の本)の著者さんの展示(簡単な人形劇つき)のご案内をいただいたので。
ここのカフェ(←ご飯も美味しかった!)にも行ってみたいと思っていたし。

猫好きの道の奥深さをかいま見た。。。
抜け毛で人形(もちろんモチーフも猫)を作る人までいるのだから果てしない。猫を飼ってて、抜け毛がもったいないな~と思っている人には超おすすめ。
わたしは、ゴミから人形を作りたいという欲求はすごく理解できるのだけどね。

イラストレーターはなぜか猫が好きだと思われがちだし、猫を描く仕事も多い。(猫が描ければイラストレーターは食いっぱぐれない、という説もある)
わたしは猫は嫌いじゃないけど、たまたま居合わせたら遊びたいと思う程度で、猫好きの人ってとことん猫好きだから、好きですなんてとても言えない。
犬なら昔飼ってたからなじみがあるのだけど、猫は描くの難しいなと思う。
一度飼ってみないと、ほんとの魅力はわからないんだろうなー。

だめんず・ゴーギャン

きょうは昼過ぎに友人Kと待ち合わせて、うな丼を食べてから、国立近代美術館「ゴーギャン展」へ。入場の行列ができてるかと覚悟してたのだが、全くそんなことはなく、館内に入ると絵の前に人だかりができてたけど、絵の点数自体が少なかった。

ゴーギャンは34歳のときに画家になる決意をしたそうな。
遅いスタートだって説明書きがあった。まあ、遅いっちゃ遅いか。

で、妻子を捨てた上に、モデルの女の子を妊娠させたままタヒチに行っちゃう。
ゴッホが耳を切っちゃったのだって、ただゴッホの気が狂ったんじゃなくて、どうしても切らずにいられなくなるような酷いことしたんだろう、ゴーギャン…。

絵は、どれもギラギラした生命感にあふれている。でもものすごく暗い。
あんなに強い色彩を使う人なのに、印象に残るのは暗闇の黒だ。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の絵、ずっと見てみたいと思っていたのだが、実際に絵の前に立ってみたら、さほど心を動かされなかったので、拍子抜けしてしまった。迫力はあるし、気合いは伝わるんだけど、なんだか理屈っぽくって。

この絵を描いたときにすでに健康を害していて、本人が、もうこれ以上のものは描けないと言ったらしいが、最後の部屋に展示されていた、最晩年の絵が一番いいと思った。
たしかに、元気な時に比べて人物の影が薄いし、構図も計算されてないけど、肩の力がぬけていて、背景の木々の描写がやわらかで、素敵だった。

でもやっとタヒチになじんだのかと思ったら、最後はさらに遠い島に行っちゃう。
気狂いになることも、自殺することもできない人だったんだろう。

見終わったあと、友人Kと、二階のカフェの木陰のテラス席で、ぼーっとお茶。

「ありゃあ…ダメ男だね。」「最低だね。」
「ゴーギャンの絵は、うな丼と同じ種類のものだったね。」
「“わたしは”じゃなくて“我々は”どこから来たのかだよ。」
「わたしらも、どこから来たのやら。」
「どこへ行くのやら。」

などと言いあった。

夕飯は、新宿「ハレルヤ」で韓国料理。よしながふみの漫画に出てくるお店。そりゃもう、鉄板で美味しいでしょー。
ううー、また食べすぎたー。

メキシコ20世紀絵画展

梅雨が明けて、真っ昼間の砧公園は、緑がギラギラ。
きょうは占い師Sさんと、世田谷美術館「メキシコ20世紀絵画展」に行った。

フリーダ・カーロの「メダリオンをつけた自画像」が目玉。
小さい絵なのに、これが一番最初にぽつんと1点だけで展示されていた。
確かにほかの画家たちとは明らかに違う、なにか超越した感じがあった。

わたしのお目当ては、フリーダの夫、ディエゴ・リベラの「夜の風景」。
本物を見られるとは。絵の前でじーーーーーっと立ち尽くしてしまった。

昔、実家にあった美術書でよく眺めていて、すごく印象に残ってたのだけど、題名も、画家の名前も、描いたのがメキシコ人だということも知らなかった。
で、この展覧会のチラシに「夜の風景」の写真が載ってたのを見たときは、ええっ、これ描いたのってディエゴ・リベラだったのか!と、ヘレンケラーがウォーターと言った瞬間のように驚いてしまった。
リベラのほかの絵はMOMAとかで見たことあったのになー。

ほかは、メキシコ革命を描いた絵とか、力強いけど暗い絵ばかりで気が滅入った。そういえば昨日見たエリザベートの夫、フランツヨーゼフ1世の弟は、19世紀に銃殺されたメキシコ皇帝、マクシミリアン1世だったな。不幸だ。。。

ホセ・グァダルーペ・ポサダのイラストを集めた展示も面白かった。悪趣味なゴシップ記事とかに添えられた、なにやら不穏な挿絵。
素朴というのは違うけど、洗練されているわけでもなく、ただ凄みがある。モチーフは骸骨が多くて、これが人々に大人気だったそう。

かの地では生け贄の髑髏を祭壇に供えるというから自然に受け入れられるのかも。
日本の「新聞錦絵」の、いわゆる「血みどろ絵」を思い出した。
でも血みどろ絵ほど凄惨な雰囲気ではなく、もっとからりとしていたけど。
これがメキシコ絵画に影響を与えたのだそうだ。ふーん。

それからSさんと、夜までえんえんとおしゃべり。カウンセリングの勉強もしているとのことで、さすがの聞き上手。
いろいろ話してるうちに、次にやりたいこととかが、少し明確になった気がする。

また観ちゃったよ、エリザベート

宝塚月組「エリザベートー愛と死の輪舞ー」観劇。これで8回目だ。あほか。
一長一短あっても毎回それぞれ面白いのは、大変なことなのだろうし、あのコーラスの異様な不協和音に包まれる感覚はたまらんです。

今回のトートは、目立つ癖とかが少なくて、正統派といった感じだった。一幕終わりで銀橋に後ろ向きで座る姿が超麗しくて、後光が射してた。
エリザベートは、やたら走るのが速くて、手足が細くて長くて、夢も特技もないのにバイタリティだけはある、アンバランスな女。ひとりで生きていきたいし、周囲からも浮いてるのに、たまたま絶世の美女だったのが不幸のはじまり。

ふつうのミュージカルだったら、変わり者の元気な女の子があらわれたことで、まわりのみんなの心が解放されて、幸せになる話が王道だと思うのだけど、エリザベートの場合は、彼女がいようがいまいが、みんな不幸になっていく。
あれを観おわって、元気づけられるということもない。なのにまた観ちゃうのは、やっぱり異空間にトリップできるからなんだろうな。

あんなへんな話を、茶化したりせず正攻法でやれてしまうのは、さすが宝塚。
エリザベート観た翌日は、頭の中であの音楽がぐるぐる鳴りつづけるのだけど、「全ての不幸をここに始めよう、ハプスブルクの栄光の終焉~」なんてのがエンドレスで回ってると、ほんとに暗い気持ちになるよな。

夏の匂い

早朝、ゴミをだそうとドアを開けたら、空が夏の色だった。
そのあと寝てしまったので、カーテンは洗わなかったけど。
夕方、近所のお宅で植木に水やりをしていて、横を通りすぎたら、むわあっと夏の匂いがした。

村山知義と三匹の小熊さん/ZINE’S MATE THE TOKYO ART BOOK FAIR

きょうは、まず、渋谷の松濤美術館の近くにある、ギャラリーTOMへ。
展示していたのは、村山知義の絵本、紙芝居、それにアニメーション。「三匹の小熊さん」というキャラクターが登場する作品を集めた展示。

村山知義は、演劇とか舞台美術とか挿絵とかプロレタリア文学とか転向文学とか、いろんな分野で活躍した人なので、名前はなんとなく知っていたのだが、ちゃんとまとまった形でイラストの仕事を見たのははじめて。
プロレタリア文学なんていうとなんだか貧乏臭いイメージだけど、当時としては最先端のお洒落なものだったのかもしれないなあ。
それくらい、素朴なのに洗練されてて、媚びないのに可愛らしい絵だった。
でも少女趣味じゃない可愛さだから、知的で上品。

いまは日本中可愛いものが溢れてるけど、当時はさぞかし斬新だったことだろう。
絵本を見るかぎりでは、小難しいこと考えてる人にはとても思えない。
子どものため、子どものため、という説明文が、今見るとうるさい気もしたが、人々の意識が今とは違ったろうし、それくらいアピールする必要があったのかも。
で、またアニメがちょっと笑える感じで可愛いんだ。DVD買おうかとすごく迷ったけど、影響されそうだったのでやめた。
うーん、あんなにシンプルでもいいのかあ。。。

それから、寄り道しながら表参道までとことこ歩いて、だいぶ前に装幀のお仕事でお世話になったデザイナーさんが出展されてた、ZINE’S MATE THE TOKYO ART BOOK FAIRへ。
2カ所の会場はどちらも大盛況で、カッコいい本がところせましと並んでいた。
入り口でばったりR君に出くわしたのだが、混雑ですぐ見失ってしまった。

ノートにさらっと描いた落書きみたいな絵を、束にしてホチキスで留めたような、簡略な本というか冊子が多かった。ああいうの、流行ってるんですかね。
あれならわたしにもできるかな~って、ちょっと真似してみたくなっちゃった。
わたしが作ったらあんなふうにお洒落にはならないだろうけどさ。

それにしても本が好きな人ってたくさんいるんだなあ。
そして、カッコいいということは、果てしないことであるなあと思った。