食糧の備蓄について

わたしは長生きしたい。
なにをやっても人より遅いので、長生きしないとモトが取れない。
絵描きは自殺しないかぎり、長生きの人が多い。性格のせいと、手先を使ってるせいと、たぶん両方だろう。わたしは自殺するタイプじゃないから長生きできると思う。運動不足はなんとかしないといけないけど。

それにしても、おそろしいのは鳥インフルエンザだ。
そのときには完全引きこもり体勢でやりすごすのだ、わたしは。

こないだ風邪ひいたときは食糧の備蓄が十日ぶんほどあったが、鳥インフルエンザが発生したときのためには、2ヶ月分くらいは食糧をプールしておかなければならないそうだ。
外国からの食糧援助も期待出来ないだろうし…。
とりあえず、お米はある。缶詰とか乾物とか買いだめしとこ。冷凍食品はかさばるし冷凍庫に入る量に限りがあるからダメだ。水は…、2ヶ月分は無理だよなあ。煮沸するしかないのかな。
あとは野菜だ。冬場なら大根とかネギとか日持ちするけど…。
もやしの種とか買っといたらいいかなあ?

そんなのかんけーねー

小島よしおが、早稲田卒なんだからもっと安定した職業につけばいいのに、なんて言われているのを聞くにつけ、心が痛む。

そんなのかんけーねーよ!!!

早稲田出身の芸能人なんてたくさんいるんだろうに、消えそうになってるから言われちゃうんだよね。あーやだやだ。売れてりゃこんな余計なことは言われないってことだ。
だけど消えたら消えたでいいじゃん。
そういう生き方もあるさ。
消えたくない気持ちはすっごくよくわかるんだけどさ。。。

怪談

小学生向けの読み物の挿絵を描いている。
子どもは嫌いじゃないけど、まわりにいないので、ちょっと遠い感じがする。
でも、今度の読み物の内容は怪談なので、子どもを怖がらせるのは面白い。
わたしが昔(今も)「かくれんぼくん」のパッケージイラストが怖かったように、何も怖いものなんか描いてないのに、異様に怖い、ああいう怖さを出したい。

この商売の魅力

わたしは小説の挿絵描きを生業にしていながら、ふだんほとんど小説は読まない。
お仕事を始めたころは、こんなに知らないでいいのかなと思ってた(←よくない)。
本ってたくさんありすぎて、本屋さんでもどれを読んでいいのやらわからないけど、プロの編集者の方々が、わたしの絵に合いそうな小説を選んでくれるので(笑)、仕事しながらいろんな作家さんの小説が読めて、非常にありがたい。

組ませていただいた作家さんの本は、全部は無理だが、なるべく読むようにしている。
文章の傾向を分析することで、鏡のようにわたし自身のことが見えてくる。そこがこの商売のいちばんの魅力。

最近はホラーが続いている。わたし怖がりなのに。たぶん、デッサンやパースの狂いっぷりが、ホラーな感じなんだろうな。

空気が読めないことについて

KYという言葉がはやるのは、空気が読めない人々が一定の割合で存在するからで、つまり、空気が読めないのはそれほど特別なことではないということだ。

空気が読めない、という言い方から、なんだかイヤな感じを受けるのは、自分と感覚が違った奴はみんな排除したい、という気持ちがみえて、空気が読めない人に対するやさしさがないからだと思う。空気を読んで危険を遠巻きに回避することイコールやさしさ、という暗黙の了解で、その空気を読めない人にはやさしくする必要がないみたいなことになっている。
空気を読むことで、他人を尊重してるようでいて、その他人の中には、はじめから、空気の読めない人は含まれていない。

でも、いくら無視したって、空気を読めない人々がこの世からいなくなることはない。

わたしは空気は読めないが、ちゃんと言葉で説明してもらえば理解することはできる。
言われたことで傷ついたとしても、それはたいした問題ではない。
なにしろ、読めないものはどう頑張っても自力では読めない。わかってるのにわからないふりをしているわけじゃなく、読みたくても読む能力がない。

だから、まったく気がつかないよりは、言われて傷つくほうがまだましなのだ。
ちょくちょく傷ついていれば、傷つくことに免疫もできるし、治らないほど傷つくことって実際そうめったにないと思う。
なにがなんだかわからないという状況が、いちばんおそろしいし、傷も深い。

個人差はあるにせよ、ある状況から一人の人間が読みとれる情報量には限界があるはずで、空気が読めていると思っている人も、じつは重要な情報を見落としているかもしれない。

空気が読めない人は読めない人なりに、なにかしらの情報は読み取っているはずで、じつは、他の人間が見落としがちな情報に気をとられているのかもしれない。

だから、空気を読むのが得意な人は、そのことに慢心せずに、読むのが苦手な人に、その場の空気の意味を教えてあげたっていいと思う。
そこからお互いに意外な発見があるかもしれないとか、前向きに考えられないものかな。
思いやりというとみじめだけど、役割分担なんだと思えばいいんじゃなかろうか。
KYという言葉が言い放たれた時点で、そういう可能性がすべて消えてしまうのは残念だ。

わたしも、空気を読む能力を持った人に対する敬意はいつも忘れないでいたい。

とはいえ、その場の空気の意味を教えてもらって理解したところで、みんなに合わせて行動するのが正しいのかどうかは、また別の問題だし、合わせることを選んだとしても、うまく合わせられるかというと、たぶん出来ない。わたしのような奴はへたに空気を読まないほうがのびのびと生きられるってことだ。

そういうとこが煙たがられるんだろうけどさ!

大胆かつ繊細

きょうは大鹿知子さんのお絵描き教室に参加。
手元を見ないで描いたり、強い線・弱い線を描いたり、かすみ草を観察したり。
毎日描いてるうちに鈍感になっているような部分に、ハッと気づかされる。そのあと、大鹿さんと、パイプオルガン奏者の原田さんと、カラオケ。
お二人の10代のころの武勇伝を聞いたりして、楽しかった。

幸せのために

よく、占いなんかで「悪いことを言われたら信じる」なんていうと、あららネガティブなのね、と思ってしまったりする。

でも「玄関が汚いと金運が悪くなる」とか、そういうのは信じておいたほうが、玄関をきれいに維持することができるので、よいと思う。
風水の本を見ると、水回りをきれいにしとくと良いとか、わりと、占いじゃなくても当たり前だろうというようなことがかいてある。
わたしは盛り塩とかはしたことがないけど、わざわざそんなことしなくても、ちょっと汚れたな、というときにあと回しにしないでささっと掃除するだけで、なんだか少し幸運になったような気分になれる。

同じ掃除でも、ただなんとなく掃除するよりも、幸運のために掃除するほうが、より幸せな気分になれるのだ。

2008.2.LOVE展

次回の展示のお知らせです。

『2008.2.LOVE展』(銀座、STAGE 1)。
銀座 STAGE 1  東京都中央区銀座1-28-15鈴木ビル1F 03-3562-5181
2月11日(月)~23日(土)12:00~19:00(17(日)休廊、最終日17:00まで)
文井秋/石井ルイ/岩清水さやか/大久保美江/岡村透子/桜井貴/綱島ヒロユキ/藤倉春日/松田眞住/荒木陽子

会期中にバレンタインデーがあるので、テーマは『愛』だそうです。
シンプルかつストレートなテーマですが…、うーん、愛かあ…困ったな~
そういえばいままで仕事以外で『愛』の絵なんて描いたことない。
時間がないし、新作描いてる場合じゃないのだが、なんか描かなきゃ。
わたしは展示するたびにすごくテンパってしまうけど、何度も同じ絵を出品してる方や、ストックを展示してる方もいて、なんだか余裕があって、大人だなーって思う。いつもわたしが一番バタバタしている気がして情けない。
できるものならもっと余裕をかましたいものだけど、わたしは、ストックを持つということ自体、できないんだよな~。

冬眠

20日の夜から熱が出て、そのまま寝込んでしまった。
二日くらいで熱は下がったけど、そのあともずっと調子が悪く、よりによって、今週はほんとうに寒かったので、たいへんつらかった。南極探検隊みたいに厚着して、ゼイゼイしながら毛布にくるまってた。
雪が降った日は、積もったら遊びに出るぞ!と思っていたが、そんな場合ではなく、すぐ雨に変わって雪も溶けてしまったので、ちょうどいいといえばちょうどよかった。

結局、月曜に家から徒歩一分のお医者に行った以外、一週間、家から一歩も出なかった。
とくになんの準備もしてなかったけど、備蓄食糧でしっかり乗り切った。
体調は悪くても、食欲は落ちなかったんだけどなあ~。
買い出しに行かなくても、まだあと3日くらいは暮らせると思う。すばらしい。

ただ、そろそろ新鮮な野菜を買いに行きたい。

雷神不動北山櫻

オーパギャラリーにちょこっと顔を出して、マッチ箱の在庫を追加した。

それから、新橋演舞場で久々に歌舞伎見物。演目は「通し狂言 雷神不動北山櫻」。
友人のとわちゃんが、招待券があるからと誘ってくれた。ありがたいねえ…。

市川海老蔵さまが早変わりで五役を勤めるのが売りで、他の出演者はちょっと地味。
通し狂言ってけっこう途中で飽きて眠っちゃったりするけど、今回のは、歌舞伎十八番の「毛抜」「鳴神」「不動」を続けて観られるので、(海老さまはそんなに好きじゃないが)見所が多くてなかなか楽しめた。
五役をやらなくてはというのに演出がしばられてる感じがしなくもなかったが、一人五役という芯がないと、全体がもっとバラバラになってしまうのかもしれない。
最後のほうの立ち回りがお正月らしく華やかで面白かった。

わたしは、もし男に生まれ変わったら「成田屋!」ってかけ声をやる人になりたい。
女でも時々いるけど、いまいち迫力に欠けるので。

成田山の開基1070年を記念してロビーにお寺の出張所(?)が設けてあった。
そういえば、千葉育ちなのに成田山には行ったことがないなあ。

欲しいものいっぱい

今日は、16日に発売されたばかりの、Office 2008 for Macを買った。
ワードは、メールで送られてきた小説などの原稿を開くのに使うだけなのだが、必要。
エクセルは、たまに台割やスケジュールなんかの書類をもらうことがあるのと、帳簿をつけるのに使ってる(確定申告用のソフトを買うべき?)。

それと、オイルパステルのセットを買った。すっごくうれしい。未使用のパステルがきれいに並んでるのを見るとどきどきする。で、好みの順番に並べ替えてニヤニヤしたりして。

最近は、なんだか欲しいものがたくさんある。たまにそういう波が来るのだ。
でも、わたしは買い物って好きじゃないし、必要なものがあっても、心の底から欲しいという衝動が起きるまでは買わないという面倒な性格なので、何か買う時は常に衝動買いだけど、あんまり無駄遣いにはならない。物欲がわいているうちに、ノートPCは買っておかねば(やっとインテルMacだ~)。今年はお家でじっとしてるつもりだったけど、動かないわけにはいかないみたいだし。
頑固なようでもあり、流されるままのようでもあるなあ、、、。

照明っておもしろい

先週のワークショップの続き。今日の講師は舞台照明家の吉本有輝子さん。

わたしの絵は、線と面で構成されていて、平面的で陰影がほとんどない。
影はときどき描くが、あり得ない方向に伸びてたりして、かなりいいかげんだ。
細部や背景を飛ばしたいというのはよく考えるけど、とくに光は意識してない。
でも、絵が見えるということは、すでにそこには光があるということなのだ。

ちょうど先月、立体を展示したときに、あらためて、作品をよりよく見せるための照明効果に興味を持った。
照明家は、実体のある「モノ」を作ることはないけれども、そこにあるモノをどうやって見せるか、または見せないかということを通して、「見る」ということについて、おそらくモノを作る人以上に、純粋に考えている。
照明を当てようとする人は、ある距離感をもって対象物を注視しているが、光のあたるところに自分は存在していないのだからまるで神様みたいだ。
照明がなければ真っ暗になってしまうから、世界をコントロールする力もある。
でも、光を当てる対象物の形そのものは変えることができないので、その制限の中であれこれやっているのがとても面白そうだった。
こういうのってやっぱり写真に近い考え方なのかなあ。

出会い

去年はたくさん新しい出会いがあった。
名刺を山ほどもらったので、住所録の整理に丸1日かかった。
会社員してたころや、引きこもってたころは、ほんとに出会いがなかった。でも、ちょっと外に出る気になれば、出会いの機会というのはいくらでもあるのだ。
わたしはこういう絵を描く人間です、と言えればこそだけど。

マッチ展オープニング

昨日は、マッチ展の、オープニングパーティに顔を出してきた。
2時間ずっといると疲れてしまうので、後半だけ。なにしろ出展者が多いので顔見知りの人がいてもなかなか話せなかった。
最後、記念写真を撮るのに、狭いギャラリーの中に全員すし詰めになって、なんだか自分がマッチ箱の中にいるみたいな気持ちになった。

わたしのは、全然知らなかったのだが、葉巻用のマッチ箱だそうな。単に細長い絵が描きたかったので、ちょうど良い箱を選んだだけなのだけど。どうりで軸が長すぎると思った。

初日なのにすでに何個か売れていてちょっと驚いた。
どこのどなたかわかりませんが、どうもありがとうございました。