国立現代美術館・ソウル館

南大門市場があんまり楽しかったので、ひとりでもう一度行った。
迷子になるかと思ったけど、実際の広さはそんなでもないので、何回かぐるぐるまわるうちにだいたいの位置関係は把握した(たぶん)。

昨日は気がつかなかった、包装用品とか、画材店とか、クラフト用品店なんかも見つけた。生花売り場では花を寝かせて積み上げた状態で売っていた。
アクセサリー売り場には狭いブースがたくさん並び、お店の人たちがその場でパーツを組み合わせてせっせと商品を作っていた。仕事しながら出前を取って食事しているようで、そこらへんに食べ終わったお皿が置いてある。

あまりにも通路が狭いし、物が多すぎるし、そこでなにか物色しようとか、買おうとかいう気分にはならない(それほど安くもないし)。写真を撮っておけばよかったんだけど、すごく撮りづらい。でも、労働環境としてはむちゃくちゃだけど、熱気というか、パワーがほんとにすごいなと思った。
昨日のかぼちゃの針刺しを追加で5個と、おもちゃを2つ買った。

そのあと、景福宮の隣の国立現代美術館・ソウル館に行った。
映像の展示が二つ行われていて、ひとつは20世紀前半に韓国に生まれた4人の女性の歴史に翻弄された人生を再構成した作品、もうひとつはイラン・イラク戦争で息子を亡くした母親とベトナム戦争の被害者の女性を撮った作品。どちらも女性がテーマだ。
そういえば、国立現代美術館・果川館でも、メインの2つの展示はどちらも女性の作家だった。

韓国では#Me Too運動がかなり盛り上がっているようだし、女性のパワーが強いんだなあと思った(それは抑圧が大きい反動なのだろうか?)
副館長さんのお宅に行ったとき、なぜ日本では#Me Too運動が盛り上がらないのかと聞かれて、うまく答えられなかったのが気になっていた。

日本人だって、生まれてから一度もセクハラを受けたことがない人は少ないと思う(受けたことがないという人は、自分がセクハラをしている側かもしれないと考えたほうがいい)。
ちょっとした言葉だったり、行為だったり、習慣だったり。意識的だったり、無意識的だったり。子どものころから、嫌な目にあいながら、だんだんうまく受け流す方法を身につけていく。受け流すのに慣れても、傷つかなくなるわけではない。それはおばさんになっても続く。(セクハラをするのが男性とはかぎらないし、受けるのが若い女性であるとも限らない)

小さな嫌なことが日常にありふれすぎていて、誰を非難すればいいのかよくわからなくなっているのも、大きな運動になりにくい理由のひとつじゃないかと思うんだけど。。。

敵が誰なのかわからない、というのは他のいろんな問題でも言えることだと思う。敵がわからなければ、パワーのぶつけどころもわからない。
それが日本のアートに大きなムーブメントが起こりにくい理由でもあるのではないだろうか?


↑コムタン。イナジンさん一家と、Zeinxenoの近くのお店で夕食。

Zeinxenoで先週も行われていた現代アート講座が今週もあり、イナジンさんが受講しているあいだ、近くのカフェで、小学校1年生のお嬢さんとお絵描きしたり粘土遊びをしたりゲームをしたりしながら待っていた。1時間半くらいだったけど、楽しくてあっという間だった。今回の滞在中にだいぶ仲良しになれた気がする。