絵と癒しについて

今日は世田谷ボランティア協会の方とお会いした。
新潟の地震の被災者の方々の仮設住宅への引っ越しが始まって、救援活動がやっと一段落ついたところなのだそうだ。

わたしはこう見えて質問魔なので、ついつい、ネホリハホリお話をうかがってしまった。ボランティア同士の連携、行政とボランティアの役割、東電と住民の関係、などなど。
たいへんな熱意でお話していただいて、すごく面白かった。
ボランティアと一口に言ってもいろいろな仕事があるようで、現地に行って絵を描くというのもあるんだそうだ。そんなの何の役に立つんだろうと思ってしまうが、なにかしら効果はあるらしい。

わたしもときどき絵を見た人に「癒された」とか「元気をもらった」とか言われる。
でも、わたしは誰かを元気づけるために絵を描いているわけではないので、わけがわからない。他人を元気づけるために描くなんておこがましいことだと思っているし、だいたいわたしは思いやりが苦手なのだ。

自分がしてもらってうれしいことを人にもしてあげなさい、なんていうけれど、そんな感覚は人それぞれ違っていて当たり前だし、よかれと思ったことが裏目に出ることもある。
それに被災地に行ってぼーっと絵なんか描いてたら、いかにも役立たず丸出しで、かえってこちらが落ち込んでしまうんじゃなかろうか。そういう状況で絵を描けるかなあ。

わたしは他人の絵を見て癒されたりすることはほとんどない。
なるほど、こういう描き方があったか、面白いな、やられたな、とか、ああ、わたしもこうしてはいられないな、と思うことはある。
こういう見方は絵を描く人じゃないとなかなかできないだろうなとも思う。

絵を描くことで描いてる本人が癒されるというならわかる。
たいくつしのぎとか、気分転換になるのもわかる。見た絵を好きになるのもわかる。
青い絵を見て落ちついた気分になるとか、大きい絵を見て圧倒されるとかいうのもわかる。
でも、絵を見るだけで癒されるっていうのは、どうにもよくわからん…。

何年か前に癒し系ブームもあったし、癒し癒しとかんたんに言うけど、なんなんだ、癒しって。
花が咲くのを見てなんとなく元気になった経験はわたしにもある。あれはなんだったのだろう?
マーク・ロスコの絵を見たときの気分は、あれは癒しなんだろうか。あの感覚は一体なんなの?
散らかった部屋を片付けてカーテンを変えたら気持ちが少しスッキリした、みたいな効果かなあ?

敗戦後の「リンゴの唄」とか、中越地震のときの「ジュピター」みたいに、音楽で元気づけられることがあるのは確かみたいだし、それは素敵なことだなあと思う。

しかし、癒されるってのは、受けとる人の内面の問題だから、正直知ったことではない。
ある絵を見ることで癒されたならば、なにか心に響き合うところがその絵にあるのは間違いないが、相性もあるし、誰が描いても他人を癒せるわけではないし、すべての人を癒せるわけでもない。たまたまふらりとやってきた絵描きの絵に癒されるなんてことは、ほんとうに幸運な偶然だし、心に響いたものを自覚できるかどうか、そして元気になれるかどうかは最終的には本人次第だ。

絵を描く人のエネルギーを間近にすることで奮い立つことはあると思う。
でもそれならば、描くのはわたしじゃなくても誰でもいいし、絵じゃなくてもいいはずだ。
ほんとに、人間にとって、絵って、美術ってなんなのでしょうかねえ。

とはいえ、もし実際にボランティアに行ってみたら、得るものはあるだろうなとは思った。
見る人が周りにいる状態で絵描きがパフォーマンスをするということは、めったにないから。
つまり、非常に利己的な興味なのだが。
まあ、こんなにくどくど考えてしまう時点で、向いてないってことなのかなあ…とも思うけどね。