自己暗示からの自由

一般に女の人はテレビやパソコンの接続が苦手だと思われがちだし、実際そういう人は多いのだが、あんなのは学習すればそんなに難しいことではない。

「できないー」と言ってる女の人は、
1)もともと覚える気がない
2)できないと思い込んでいる
3)覚える機会がなかった
4)できるけどできないふりをしている
5)ほんとうに能力がない(でもこれは少ないと思う)
のどれかだろう。

いずれにしても、面倒くさいから誰かにやってもらいたいという依存心と、できないほうが女らしいからという価値観が背後にあるのだと思う。
でも、そういう女の人ってたしかに可愛いし、個人個人の生き方の戦略もあるから、できないならできないでかまわないし、責めようなんて思わないけど、わたしが怖いのは「できない」と思い込んだせいでほんとにできなくなってしまうことだ。

たとえば絵が描けない人は、自分は絵は描けないという自己暗示にかかってしまっている。それで、絵を描くことに恐怖を感じているように見える。
誰も描くなと強制してるわけじゃないのに、描けなくなってしまう。
絵を描くということは、そういう自己暗示や恐怖から、いかに自由になるかということだ。自己暗示から解放されれば誰でもピカソになれるか、といったらそんなわけはないけれど、絵を描くこと自体は、誰にだってできることなのだ。
まあ、絵なんて描かなきゃ描かないで生きて行けるけど、描いたら楽しいよ。
これは、演劇でも、音楽でも、スポーツでも、なんでも同じことなんだろう。

政治的、社会的な圧力や、集団的な暗示(ジェンダーとか)や、置かれた環境や、戦うべきものはいくらでもあるけれど、けっきょく、一番やっかいで、最後まで自分を解放してくれないものは、ほかでもない、自分自身のなかの思い込みなんだと思う。
わたしも、まだまだ、いろんな恐怖や暗示にとらわれていて、がんじがらめになっていて、きゅうくつできゅうくつでしかたがない。

そこから少しでも自由になりたい。