寺社めぐりと自分探しの旅

きょうも晴れ。上野を発って以来ずっと晴れで、高気圧をしょって歩いてるみたい。

バスやタクシーの運転手さんには、2、3日前までは寒かったんだよと必ず言われた。
ホテルをチェックアウトするとき、あれ鍵がないな~と思って探したら、ドアに刺しっぱなしになってた。そのまま寝ちゃったよ。危ない危ない。

朝イチで観光案内所に行き、自転車を借りた。
窓口に置いてあったガイドマップを片手に、盛岡市内をまわることにした。
まずは盛岡八幡宮へ。石清水八幡宮の分社だそうで、大きくて立派な神社だった。

それからガイドのコース通りにいくと、十六羅漢というのがあった。
一応案内板はでていたけど、一見ごくごくふつうの、風通しのいい小さな公園に、大きくて丸っこい石の羅漢像が、ぐるりと無造作に並んでいた。
もとあったお寺はなくなってて、石像だけが残っていた。土俗的な雰囲気ぷんぷん。
ああ、石に彫るのもいいなあ。質感、重量感、それに耐久性。すばらしい。

湧き水も何カ所かみかけた。町中なのに。飲料水とか洗濯用とか4段にわけてあった。ゆったりと流れる北上川に沿って走るのも、なかなか気持ちよかった。

盛岡城跡公園は、石川啄木の十五の心が空に吸はれし不来方のお城のあと。
啄木のお墓は、函館の父方のお墓のすぐ近くにあるので、なんとなく親近感がある。
ふもとには大きな岩が祀られてた。昨日の三ツ石神社といい、岩手には良い岩が多い。

報恩寺の五百羅漢像を見るのには拝観料が必要だったけど、受付には誰もいない。
お皿の上におつり用の100円玉が数枚、ばらばらと蒔いてあった。
それほど広くないお堂に入ると、四方の壁にぐるりと何段もの棚が作り付けられていて、木彫りの羅漢像がぎっちりと並んでいた。立体曼荼羅!全部で499体あるらしい。たった9人の仏師が作ったということは、ひとり55体以上彫ったってことか。すご~。

それからガイドのコースをはずれて山のほうへ。
グーグルマップに岩清水という地名が載っていたので、これはぜひ行ってみたいなと。

まるで夏のような日差し。暑いし、坂だし、ゼイゼイいいながら自転車を漕いだ。
iPhoneの画面を見ながら、住宅地のような農道のような道をうねうね進んで行くと、グーグルマップによれば、すぐ近くに「岩清水不動尊」というのがあるらしい。
しかし、そこまで行く道が、地図の中にも、リアル景色の中にも見あたらない。自転車を道の脇にとめて、自分の位置の表示が不動尊のほうに動くのを見ながら、こっちかな?いやこっちかな?と歩いて行くと、人んちの敷地の中に入ってしまった。

小高い丘があって、上を見上げると小さな建物があって、農作業中の人がいたので、勇気をだして「お不動さんはここですか?」と聞くと、ぐるっとまわるとあちらから登れるよ、と身振り手振りで教えてくれた。
それで道を探したけど、これがまたケモノ道みたいのが幾筋かあるだけ。こわごわ登ると、小さな鳥居と、岩清水不動尊と書かれた石、そして小さな祠があった。鍵が開いていたのでのぞいてみると、中はきれいで、鏡餅やお酒がたくさん並んでいた。

お参りしたあと、自転車にもどり、岩清水の集落をうろうろしてみた。
看板とか電柱とかに、あたりまえだけど、みんな岩清水って書いてある。
岩清水1番地は、山の斜面の住宅と、きれいな畑。のんびりした風景だった。
これがほんとの自分探しの旅。満足して、自転車で坂道を市街地へと一気に走り降りた。

自転車を返したのはちょうどお昼ころで、暑かったのでさっぱりしたものが食べたくて、また冷麺屋さんへ。今度は盛岡冷麺の元祖のお店「食道園」。やっぱりおいしかった。
おとといの「盛楼閣」のほうが、はじめて盛岡冷麺を食べたインパクトと、上にスイカがのってたのとで、わたしの中ではポイントが上だけど。

駅に向かう途中、宮沢賢治ゆかりの「光原社」のカフェで可否を飲んだ。
わたしは宮沢賢治は好きでも嫌いでもないというか、早い話興味がないんだけど、たしかにレトロで素敵なカフェだった。ギャラリーも併設されていて、中に入ると、賢治の童話の、東北弁での朗読の音声が流れ、申し訳ないがちょっと不気味だった。

1時間に1本ほどしかない東北本線で、奥の細道の終点、平泉についたのは2時半すぎ。駅に「みちのく 義経/弁慶最期の地 平泉へようこそ」と書かれていた。
わたしは歌舞伎の演目の中では「勧進帳」が一番好き。ま、あの舞台は加賀だけど。

まだまだ時間に余裕があるつもりだったが、お寺って5時くらいで終わっちゃうよな、と着いてから気がついて焦った。しかも、にわかにゴロゴロと雷の音が聞こえだした。
急いで歩き出したが、すぐにポツポツ降り出した。折り畳み傘を持ってて良かった。

柳之御所遺跡は発掘中の囲いだけ、無量光院跡はきれいな広場。ちらっと見てスルー。
源義経の終焉の地「高館」は北上川の大きなカーブが見渡せる気持ちのよい場所だった。
そりゃ一句詠みたくもなるわという感じで、芭蕉の「兵どもが夢の跡」の石碑もあった。

このあたりで雨足はだいぶ強くなり、中尊寺の入り口についたころはもう土砂降り。
ところがこのお寺はすごく広くて、そこから先がかなり長い。しかも、また坂道。
木が多いので多少の雨よけにはなったけど、外国人観光客は雨宿りしながら途方にくれ、遠足の子どもたちをつれた先生は、見学をあきらめ、電話でバスの手配をしていた。
わたしはひらきなおって、靴もズボンもずぶぬれにしながら、ずんずん歩いていった。たくさんあったお堂は本堂以外ほとんど素通りして、ようやく金色堂にたどりついた。

しかし愕然としてしまった。建物の中に入っていくと大きなガラスのケースがあって、その中に、小振りな金色堂の建物ごと、仏像や棺がすっぽり収まっている!
さらに、ガラスケースの前まで行くと、自動音声による説明が流れだした。げげえ。
豪華な細工なのは遠目でもよくわかったけど、はっきりいって全然感動しなかった。
あまりのことに、お賽銭も、お参りすることも忘れたまま雨の中に出た。そのあと見た、旧覆堂や、雨ざらしの能舞台のほうがわたしには面白かった。

宝物殿で立派な仏像や金字で書かれたお経を見てから外にでると、急に雨があがり、ぺかーっと晴れた。なんだったんだ。秀衡公がもう家に帰れと言ってるんだろうか。

毛越寺には5時ぎりぎりについた。なのにゆっくりして下さいと言われてうれしかった。
が、、、広々とした芝生のところどころに、失われたお寺の跡の印が立っていて、平安時代の遺構だという遣水があり、池には龍の形の何かが浮かんでいる。

なんだこりゃ。テーマパーク? 中尊寺もそうだけど、、、平泉、ちょっと痛いかも。
町じゅうきれいに整備されていて、ドライブのついでに立ち寄るにはいいとこだけど、世界遺産て、、、大人の事情はよくわからんが、そりゃ無理でしょ。。。

駅前に戻ると、駅の売店はしまっていて、それどころか駅自体も無人駅になっていて、数少ない電車を待つ人が所在なさげに待合室にたむろしていた。食べ物屋さんもほとんど5時閉店のようで、まだ空は明るいのに町は止まっていた。
田舎ではこんなものかもしれないが、観光地風のこぎれいな町並みとの落差がすごい。
お腹がすいて途方にくれたけど、どうにか開いてるカフェをみつけて一息ついた。

そうして、平泉から二駅の一ノ関から新幹線に乗って、無事に帰京しましたとさ。
日本て広いなあ、というのが感想です。ちょこっと見てきただけだけど。
はー、、、やれやれ、日記書くの大変だったわ。。。