いろんなチャクラ

引き続き、チャクラが開くってどんなことだろう、とずっと考えてたら、熱が出た。(ヨガの用語のチャクラではなく、なにかに対する感受性が開くという意味に拡張してます)

まえに宝塚ファンの方とお話ししていて、好きなスターは?組は?と聞かれ、いえ、ただ舞台を見るのが好きで、と答えたら、宝塚を本当に楽しんでいないのねと言われた。
そのときは、舞台は自分の好きなように見ればいいでしょ、とちょっと腹が立った。
さらに、じゃあ宝塚ファンじゃないなら、何のファンなの?と聞かれた。何かのファンの人というのは、何のファンでもない人生を想定することができないらしい。
わたしはわたしで、ただスターを追いかける一方の人生なんて想像することもできないし、自分で何かを作りださない人生なんて、はっきりいってなにが面白いんだかわからない。

でもたしかにその人が言うとおり、宝塚ファンのチャクラが開いた人たちは、わたしの知らない幸せを知っているようで、なんだかこちらがとても損してるような気もする。
なにも見返りがないのに、全力でスターに愛と時間とお金を注ぎ込んでいる彼女たちが、見返りがない代わりに、幸せを感じているとすれば、あれは無償の愛なんだろうか。(でも自分の好みじゃないスターなどへの悪口や中傷もけっこう手ひどいように見受けるので、キリスト教とかでいう無償の愛とは違うとは思うけれど、、、。)

彼女たちは宝塚の舞台を観て「夢」を与えられるという。わたしはその意味がずっとわからず、宝塚音楽学校を受験できる年齢の人はいいけど、大人なのになんで夢なんか見られるの?他人に夢をかなえてもらえるはずないのに、なんて思ってた。でもいろいろ考えてるうちに、夢というのは将来の夢のことじゃなく「空想」または「妄想」のことなんだと思い当たった。
こんな基本的なこともなかなか理解できないくらい、どうやら頭の構造が根本的に違うらしい。
妄想ってのは欲望だと思うんだけど、頭の中でいろいろ楽しめるなんてうらやましいことだ。

宝塚に限らず、いろんなオタクについて、なんであんなに夢中になれるのかわからない。

学生の時読んだ就活のハウツー本に、趣味の欄には一晩中語れるようなことを書けとあった。昔も今も、そんな趣味はわたしにはない(だから就職できないのか?)
考え事なら一晩でも二晩でもするけど、趣味というには漠然としすぎてるからなあ。
小学生のときは、ふつうにアニメも見たし、ゲームもやったけど、今はまったく興味がない。
そういうチャクラが、開いてないというよりは、わたしにははじめから無いのだと思う。

しかしチャクラは、たくさんの情報を取り込んで蓄積していくことで開くものでもあるらしく、たとえば「執事」について、いろんな媒体から、ストーリーや、イメージを蓄積していくと、やがて執事萌えのチャクラが開くらしい。執事なんて実際に本物に接する機会もないのに、執事にお嬢様と呼ばれたいとか、朝起こして欲しいとか、怒られたいとか、よくわからんけど、たくさんの人たちが、執事についてのバーチャルなイメージを共有しているんだからすごい。

萌えって欲望であるのと同時にすごく知的な楽しみ方でもあるのだなー。
中学生くらいでその手の媒体に興味を持つかどうかが最初の分かれ目になって、その時期にアニメを見なくなったわたしには、最初からそういう資質がないのだと思う。
中学生の少ないお小遣いをどう使うかで、将来の方向性がけっこう読めるということだ。
そこでひとつ萌えチャクラが開いた人は、高校生になってバイトができるようになると、さらに別のチャクラを開いていくのかも。。。今からその蓄積に追いつけるはずないな。

わたしは小説や漫画を読むときに、そこに描かれてないストーリーを想像したりはしない。(そもそも小説も漫画もあんまり読まないんだけど)そんな高度なことはできない。
でもストーリーというものが(質はともかく)考えるまでもなく自然にわいてきてしまう人、想像力というか妄想力をもってる人というのが、世の中には意外とたくさんいるようだ。

わたしは二次創作物(同人誌とか)も好きではない。
素人が描いたものは抑制がきいてなくて、欲望がダダ漏れで下品だからイヤというのもあるが、プロが描いたものでも、外伝とかで、本編の辻褄の合わないところが全部収まってたりすると、それは本編を書くときに設定として考えてたのに描かなかったことだったのかもしれないけど、実際に描いてしまったことで、世界が小さくまとまってしまうようでもったいないなあと思う。

そのわりに、わたしの仕事は、小説を読んで挿絵をつけることだったりして、小説に書かれていない、人物の髪型や服装や背景なんかをひねりだして描く必要もあって、それは二次創作とも言えなくもない気もする。
まあ、ストーリーを付け足すわけじゃないし、想像というよりは、話の前後関係から推測してサイズなどの条件にあてはめるって感じだけど。
ふだん想像力を使わないでわりと即物的に素朴に暮らしてるので、仕事でむりやり想像力を使うことでバランスを取ってる、とかいうことあるかな。。。ないか。

そんなわけでストーリーについてはよくわからないけど、イメージはわたしの領域なのだよね。
でも歌舞伎も宝塚も、結局、衣裳がきれいとかそういうとこしか観てないような気がしてきた。
歌舞伎で浅葱幕が落ちて、花盛りの舞台がパッと出現する瞬間を見るだけで大満足できるもん。派手な空間が好きで、それでほんとにときめくんだよね、、、持続性がないのが難点だけど。
人間に関心が行ってないのかな。でも舞台上に人間にはぜひとも居て欲しいんだけどなあ。