可愛いと怖いについて

わたしは怪談の挿絵を描かせていただくことが多いのだけど、可愛いイラストを描く人、という扱いもしていただいている。
自分では、自分の絵が、可愛いとも怖いとも思っていなかったが、まあたしかに、可愛いと言われてみれば可愛いし、怖いと言われれば怖いとも思う。

発注を受けて描くのではないときに、完全に自分の好きなように描くと、だいたい、世界の不思議さを見つめる人(と、そのまわりをとりまく世界)の絵になる。
わたし自身怖がりでつねに不安を感じているし「不安」はわたしのテーマと言っていい。
怪談の挿絵でも描いているのは漠然とした不安で、怖さの核心は文章にまかせている。
その上で文章のように絵を読み解き、頭の中で物語を組み立てることでじわじわくる怖さ。

挿絵だったらそれでいいのかもしれない。でも、そこで思い当たったのは、じゃあわたしは絵だけで一瞬で「怖い」と感じさせる絵を描けるだろうか?ということ。
「不安」よりも、強烈なインパクトや驚きを与える絵。そういう絵はあり得ると思う。

また「可愛い」にも理屈っぽい部分があって、ただ小さかったり奇麗だったりだけでなく、今まで観たことがないものに出会った驚きが、可愛い!という言葉になる場合がある。安心できるような優しく甘い可愛らしさではなくて、刺激的な可愛さのほう。

一撃で観るものの心臓を突き刺すことができるという点で、可愛いと怖いは似ている。
ストレンジなことを発見した驚きやときめきは本当に一瞬のものだけど、そういう感情の動きに飢えている、求めている人はたくさんいる。(ただし、一瞬の驚きだけで飽きられてしまうのは一番よくない)
怪談ブームもそうだし、怖いもの、可愛いものを求める人たちのパワーってすごい。
怖い、可愛い自体より、心臓を突き刺すということに興味がでてきた。

怖いは、突き詰めると「死」なのかなと思う。つまり人間には理解できないもの。
グロい絵を描く人はわりと多くて、骨や血や内蔵を描きたい人はよくみかけるし、ゴス系とか、和風とかのパターンがある。需要もあるんだと思う。
でもそういう方向は、ほんとうにそういうものが好きな人たちにまかせて、わたしは、ただシンプルに突き刺さる怖さを模索したい。

でも、例えば闇から手がにゅっと出る絵は、挿絵なら怖いけど一枚絵だとお笑いになる。鬼とかお化けの絵を描いても現代人には通用しないし、怖さを描くのって難しい。
ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」は、物語を知らなくても文句なしに怖いと思う。あの怖さを、血とか肉とかを描かないで表現することはできないだろうか。

また、可愛いにしても、結果的に可愛くなってしまった、ではなくて、もうちょっと意識的に、狙って可愛く描いてみたいと思う。今まで無意識すぎたから。
それでいて媚びた嫌らしいものにならないようにするのは難しいけど、ある程度狙った方が、見る人にも理解してもらいやすくなると思う。
不安な感じはいつでも描けるし、わたしの場合は何を描いても結局出てしまうので、しばらくは意識的に、怖い、可愛いについて考えてみたい。