震災から2年

2010年の後半ころから、頭の中がカオスになって、日記を書くのがイヤになった。(その直前にはひとつひとつの日記が異常なくらいどんどん長くなっていた)
展示のお知らせくらいしか書かなくなり、しだいにそれすら面倒になっていった。

わたしがツイッターをはじめたのは2009年だけど、はじめのころは放置していた。
まわりの人がどんどんツイッターをやるようになったのは2010年くらいで、ツイッターのせいでブログを書くのが面倒になったという人がたくさんいた。
でもわたしの場合はツイッターもあまり使ってなかったので、関係がない。そのうちに日記の書き方も忘れて、言葉というものから遠ざかっていた。

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2011年の震災のときは、ずっと部屋にこもりながら、ただ、ただ、たくさんのたちが、それぞれの意見をネット上で言い放つのを追いかけていた。
できるだけいろんな立場の人の意見を読もうと思った。
自分の意見を持っている人は、反対の人がひどい悪者であるかのように切り捨てる。
なんであんなに自分の意見が正しいのだと信じられるんだろう。

わたしにはみんな真剣に見えたし、どの意見にもうなずける部分がある気がしたけど、正反対すぎて、どう考えても、うまい具合に折り合うことはなさそうだった。

とにかく、あまりにもたくさんの人が、あまりにも多様な意見を持っていて、みんながそれをひたすら垂れ流しにして行くだけで、落としどころが見えなくて、次に取るべき行動がよくわからないという状況が、怖くて怖くて、たまらなかった。

わたしに言えることはなにもないと思ったので、ただずっと黙って読んでいた。

でも、言葉の情報はとても便利だけど、ネット上に限らず、テレビでも新聞でも、言葉にたよりすぎると、人間=文字のような錯覚が起きるんじゃないだろうか。

たとえば、会ったこともない政治家の人たちのことは言葉によってしか知らないから、彼らが人間であるということを忘れてしまう。

たしかに、誰が悪いのか知らないけど、変なことが次から次に起こった。
でも政治家だって人間だから間違えることもあるのに、なにか間違いを見つけると絶対に許そうとしない人たちも怖いと思った。

余震の続く中、3月末に、展示のためにロサンゼルスに行ったときは、ほっとした。
アメリカでは、もう日本の震災のニュースはほとんど流れていなかった。
節電中の日本を離れるときは後ろめたい気持ちだったけど、展示の合間に美術館を巡ったり、西海岸のビーチでサイクリングした。

日系人博物館で見た、戦争のときに強制移住させられた日系人たちの展示のキーワードは「我慢」とか「頑張る」とか、、、東北と全く同じだった。

ラスベガスで念願のシルクドソレイユを観て感動して涙を流した。
壮大な電力の無駄遣いがまぶしかった。近くの砂漠には核実験場もあった。
グランドキャニオンも見に行って。。。とにかく、楽しかった。
じっと日本でがまんしてなくてもいいんじゃないかと思った。

日本に戻ってすぐ選挙があったけど、結果はネット上の世論とは全く違っていた。世代間のギャップの大きさも感じて、さらにわけがわからなくなった。
みんなが納得できるような正しい方法なんてあるはずがないし、正しいことに価値なんかないんじゃないかとさえ思った。

アーティストの間ではチャリティ展示が流行った。東北に出かけた人も多かった。わたしは余震も怖かったし、東北に行きたいなんてとてもじゃないけど思えず、行動を起こした人たちに劣等感を持ったりもした。(チャリティ展示には参加したけど、チャリティで絵を売るのには違和感があった)わたしは絵を描くことしかできないし、それで何かの役に立てるとは思えなかった。

親しい人が、不安にかられてデマを拡散させてるのに気づくのは辛いことだった。
原発反対デモに誘われたこともあった。参加した友人たちは生き生きしていたけど、わたしには一方的に意見を主張するだけの行動のように見えて、興味が持てなかった。
デモ隊の大群衆にまぎれて名もなき一市民になるのは、自分を貶めることだと思った。

かといって、伝えるべき自分だけの言葉を持っているわけでもなかったし、いずれにしても、言葉を述べることに意味があるなんて思えなかった。
アーティストにとっては、自分の意見を主張できないというのは致命的なことだけど。

大量すぎるエネルギーというのはそれ自体が恐ろしいもので、発電方法がなんであれ、エネルギーを不自然に独占するという大罪を、わたしたちはすでに背負っている。
そう思うと、なにも言えなくなった。

翌月、用事で関西に行ったときには、あまりにのんびりした日常にあっけにとられた。
放射能さわぎで、西日本や海外に移住した人のことをよく聞いた。

わたしは、放射能よりもいろんな人の思惑の渦が怖くて、逃げ出したかった。
わたしは自由な独り者で、勝手にどこにでもいけて良かったと心から思った。

でもどこにも逃げ場なんかないんだとも思った。

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地震の前からカオスだった頭がますますこんがらかって、ずっとモヤモヤしていた。
あれから2年。結局、気持ちを整理するには一度言葉にするしかない。
今ならもう誰かを攻撃することにはならないだろうから、うまくまとまらないけど、ただ自分のために、思い出しながら書いてみた。

森美術館の会田誠展でのツイッターを使った作品は、著作権問題で議論になったけど、実際に作品の前に立ったとき、わたしには、あのときの情景そのものように見えた。