わたしの役割分担

乗り換え駅のエスカレーターをのぼり切ったところで、いきなり、何人か前の女の人がぶっ倒れた。
いかにもやばそうな倒れ方だった。わたしのすぐ前の人はさっと避けたが、わたしは状況がよく飲み込めず、人ってこんなふうに倒れるんだなあ、それにしてもすごい音がしたなあ、死んだりするには若い人だなあ、などと、何秒間か、その人が白目をむいて痙攣しているのを見つめてしまった。

後ろにいた人がわたしを迷惑そうに押しのけて、倒れた人に駆けよった。
その後からも人が上ってくるのでわたしもやっと気がついてその場をよけた。わたしには何もできないし、そっとしておかなければいけないことはわかった。
でもたしかに誰かそばにいないと、後から来た人に踏まれてしまう。

周りを取り囲む人、去っていく人、「救急車を呼べ!」と叫ぶ人などを眺め、ちょっと迷ってから、駅員を呼んでみようと思って走った。
わたしの少し前を走っていたおじさんが駅員室についた時には、もう駅員たちが数名、飛び出してくるところだった。
では帰ろうと再び現場を通ると、もうエスカレーターを上ってくる人もなく、駅員が応急処置をして「通り道なので集まらないで」と大声で言っていた。

世間はわたしのついていけないスピードで、なめらかにすすんでいく。
こんなとっさの場合でも、自然発生的に役割分担がなされ、自分は必要無いと判断した人は、邪魔にならないようにその場を離れた。
冷たいから離れるのではない。心配だとか心配じゃないとかは関係がない。
その人が助かったか助からなかったかわからない。
ただわたしは感嘆していた。