とんがらしの哀しみ

友人Kと電話していて、 先日の婚礼で私たちが感じた違和感は、「甘ったるいケーキ作りの材料にまぎれこんでしまったとんがらしの気持ち」であったという結論に達し、大笑いしすぎて、うっかり涙が出た。あれがもし、麻婆豆腐を作るための集まりだったら罪悪感はなかっただろう。
わたしのまわりに壁があって、 こちらからは何もみえないのに、向こうからはこちらがみえてると錯覚されているような感じだった。

今までは結婚式に出ても客に徹していられたのでこんなふうには感じなかったが、今回のようにこだわりが強くて、みんなで作り上げる一体感をめざした演出は、一体になれない人にはどうにも辛い。

昔、わたしは結婚式場でバイトしていたのだが、宗教団体の信者同士の披露宴は、親族も友人もみな信者なので会場の一体感がハンパじゃなく、異常な盛り上がりで、あの中に入れたらそりゃあ幸せだろうよ、と思ったものである。

そういえばおととしの前川さんの婚礼ライブの時も場違い感はあったのだが、あのときはまだわたしが確固たる自信を持ってなかったので、ひとりの人間としてあの場に立っていることができなかったのだ。
2年前よりマシだが今だって自信はあるようなないような。それも敗因だった。

こんなことを書くと人を傷つけるが、傷つけるのは悪いことなのだろうか。
でもわたしは、日記に書いたことで、もうだいたいスッキリしてしまった。こういう気持ちを引きずると、半年も連日ソリティアをやるはめになるのだ。

***

で、もし自分が結婚式をやるならどんなのがいいかという話になり、
(1)仮面舞踏会(参加したくない人はしなくてすむ。)、仮装パーティ
(2)パレード、花電車
(3)句会(客が一人一句ずつ詠み、新郎新婦が判定して、さくさく進む。)これならできれば客として参加したい。
(4)絵合わせ(御簾の影にやんごとなきお方がいてえこひいきしてくれる。最後は源氏の君が手すさびに描いた絵が出てみんなで泣いて終わる。)
(5)ドレスコードを決める。男はギャルソン(じつはギャルソン萌え~)。女はメイド服?…それじゃあみんな従業員みたいになっちゃうなあ。

というのが出たが、これなら結婚式である必要はないか。

やるなら本格的じゃなきゃ嫌だし、やっぱり同質の人間が集まらないと難しい。
または武道館ライブみたいに主役と客に差があればシニカルな客も許されるか。
ところで、パーティと飲み会の違いって、目的と仕込みの有無でいいのかな?それとパーティのほうが知らない人と出会えそうな感じはするけど。(昨日の、グループ展のオープニングパーティはちょうどそういう場だった。…同業者としゃべるのは気を使うしそれで失敗するしけっこう面倒くさい)

***

で、ヤンキースの松井選手が怪我をしたのを、友人Kが悲しんで、でももう妻の座にはつけないからいい、だけど松井の彼女は女優だからきれいなのは認めるが、面白さでは自分のほうが上だ、などと言うので、(面白さで勝負しようとする友人Kも友人Kである)松井なら光源氏のように何人も妻を世話することもできるんだから、北の方の座はあきらめるしかないとしても、なんかの拍子に彼が阪神に移籍してきたら、天神様の力を借りれば「明石の上」の座は狙えるんじゃないか、でも彼はまたヤンキースに帰っていっちゃうけどね、などと、失礼なバカ話。