昨日の日記を読んだ友人Kからの補足メールがきた。
わたしの絵は、密度と重さがあって、「不思議」で「楽しい」んだそうだ。
友人Kは、みっちりつまってると、嬉しくなるらしい。
密度が高いのを楽しいとか嬉しいとか思うかどうかには個人差があるだろうが、言われてみれば、友人Kの作る芝居も、みっちりいろいろつまっている。こんなところに共通点があったとは~。
でも、わたしの絵は「さみしい」とか「孤独」とか「暗い」とか「怖い」とか言われることのほうが多い。わたしとしてはそれはまったく狙ってないし、そうなのかなあ??という感じだが、これだけ言われるんだから多分そのとおりなんだろう。
今まではそういうふうに言われると、なんかネガティブに受けとめていたけど、言った人はべつにけなすつもりで言ってるわけじゃないのかもしれないので、これからは、さみしくて暗いとこが良いと言ってくれてるんだと思うようにしてみよう。
でも狙ってそうなってるわけじゃないからそこを伸ばすのはなかなか難儀だ…。
本人は孤独どころか今日も「ああわたしには大好きな人がたくさんいて幸せだ~」とかなんとか思ってたりするんだけどな。
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居場所の話に戻ると、どうもわたしの居場所は、世界とはちょっとズレたところにある。
世界は、わたしとは全く無関係に存在している。それを外から眺めながら、世界との距離感を測っている感じ。
自分もその世界の中に居るのだという感覚がないから、大人になってもなかなか世に出ようと思えなかったし、他人の存在になにかの拍子にはっと気がついてドギマギしたりしている。
前川さんの考え方とはまったく逆みたいで面白いな。
だから、前川さんや、友人Kや、好きな人たちがいるおかげで、わたしは世界とのつながりをどうにか維持できてるんだろうなと思う。