だめんず・ゴーギャン

きょうは昼過ぎに友人Kと待ち合わせて、うな丼を食べてから、国立近代美術館「ゴーギャン展」へ。入場の行列ができてるかと覚悟してたのだが、全くそんなことはなく、館内に入ると絵の前に人だかりができてたけど、絵の点数自体が少なかった。

ゴーギャンは34歳のときに画家になる決意をしたそうな。
遅いスタートだって説明書きがあった。まあ、遅いっちゃ遅いか。

で、妻子を捨てた上に、モデルの女の子を妊娠させたままタヒチに行っちゃう。
ゴッホが耳を切っちゃったのだって、ただゴッホの気が狂ったんじゃなくて、どうしても切らずにいられなくなるような酷いことしたんだろう、ゴーギャン…。

絵は、どれもギラギラした生命感にあふれている。でもものすごく暗い。
あんなに強い色彩を使う人なのに、印象に残るのは暗闇の黒だ。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の絵、ずっと見てみたいと思っていたのだが、実際に絵の前に立ってみたら、さほど心を動かされなかったので、拍子抜けしてしまった。迫力はあるし、気合いは伝わるんだけど、なんだか理屈っぽくって。

この絵を描いたときにすでに健康を害していて、本人が、もうこれ以上のものは描けないと言ったらしいが、最後の部屋に展示されていた、最晩年の絵が一番いいと思った。
たしかに、元気な時に比べて人物の影が薄いし、構図も計算されてないけど、肩の力がぬけていて、背景の木々の描写がやわらかで、素敵だった。

でもやっとタヒチになじんだのかと思ったら、最後はさらに遠い島に行っちゃう。
気狂いになることも、自殺することもできない人だったんだろう。

見終わったあと、友人Kと、二階のカフェの木陰のテラス席で、ぼーっとお茶。

「ありゃあ…ダメ男だね。」「最低だね。」
「ゴーギャンの絵は、うな丼と同じ種類のものだったね。」
「“わたしは”じゃなくて“我々は”どこから来たのかだよ。」
「わたしらも、どこから来たのやら。」
「どこへ行くのやら。」

などと言いあった。

夕飯は、新宿「ハレルヤ」で韓国料理。よしながふみの漫画に出てくるお店。そりゃもう、鉄板で美味しいでしょー。
ううー、また食べすぎたー。