あー、なんにもないとこから絵が出来てくってすごいことだなー。。。
って絵描きなんだからあたりまえのことなんだけど、、、不思議〜
「立体」カテゴリーアーカイブ
星舟庭ナイト
はあー、夢みたいに楽しかった。。。
星舟庭ナイトに遊びにきてくださった皆様、助けてくださった皆様、どうもありがとうございました!!!
今回の大きな作品を舞台の書き割りとみなし、その真ん中をステージに。
星舟庭ライブ、小心ズさんの素晴らしいパフォーマンス、そしていろんな小楽器を使ってのワークショップでは参加者のみなさんに、絵からイメージする音を出してもらい、組み合わせて合奏していただいた。なんだかわたしがいちばん得した感じ。
大・大・大成功でした、と言っていいと思います。すごく楽しくて嬉しくて幸せな時間でした。
なんかもう個展が終わったような気分だけど、あと3日ある。。。
その間にもう少し巨大塗り絵の完成度をあげたい。
個展はじまりました。
メインの作品は、お芝居の書き割りみたいな感じです。でかい!
ライブペインティングやっております。ほんとにかきあがるのかなこれ。
なんと!Ra’ykaさんが色ぬりの助っ人をしてくださいました!
大人の塗り絵のでかいやつ、塗るのを手伝ってくださる方募集しちゃいます。
汚れてもいい服装で展示に遊びにきてください!
もちろん、色塗りじゃなくても、よかったらぜひ遊びにきてください。よろしくお願いします。
個展搬入日
個展の飾り付けなう!明日から渋谷の大盛堂書店さんで!
「オルゴォル」新聞連載時の挿絵と、装幀のために作ったハヤト人形。
渋谷大盛堂書店さんに怪ダレコーナーができましたよっ!本日、第6巻発売!
ドナドナ
早朝、発泡スチロールのオブジェをむりやり仕上げた。
具体的に何を作ったかというと、秋頃に発売になる、ある小説の登場人物の等身大人形。
いままでのオブジェは完全にわたしの世界だったので、足は彫る必要がなかったんだけど、今回は2足で直立させてうまくバランスをとらなければならなかった。
それでいて単なる模型になってしまってはいけないし、なかなか難しい挑戦だった。
これをカメラマンさんに撮影していただいた写真が装幀に使われるとのこと。
まだくわしいことは書けませんが、その撮影が、本日、京都で行われた模様で。
京都は小説の中には1ミリもでてこないんですが、デザイナーさんが京都の方だそうで。むーー、、、東京で撮影だったら見学に行けたのにいい。ていうか京都でも行くつもりで、自腹切ってでも行きたいですってお願いしたんだけど。
それでもダメだと言われたらあきらめるしかないじゃんね。
なんでよー。なにも邪魔なんかしないのにいいい!
まあ結局二徹してたから京都までいくのは体力的にきつかっただろうけどさ。でも新幹線でだって眠れるじゃんね(←まだ言ってる)
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撮影に間に合わせるため、編集者さんが朝6時に自宅まであの子を引き取りにやってきた。わたしはギリギリまで描いていて、後ろから同時にドライヤーで乾かしてもらい(汗)なんとかあきらめをつけて(つまり仕上げて)、プチプチで簀巻きにして、、、
そしてあの子はタクシーに乗せられて、ドナドナされて行きました。
そのまま新幹線で京都まで行って、10時から撮影に入るということで。
あの子が著者さんに似てると言われたのは意外だった。…パパ似? 複雑だわ(笑)。
まあ、あの方に似てるのならば、相当見た目のインパクトがあるってことだ。よし。
でもその後ひとり取り残されたわたしは寂しくて悲しくて悔しくて呆然としてしまった。
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今回のオブジェは、最初の〆切の日から4日くらい待ってもらって、じっくり作った。彫りや着彩だけじゃなく、地塗りとかヤスリがけなどもけっこう丁寧にやった。
完璧ということはありえないので、時間があればまだいくらでも描き続けられるんだけど、それでもやっぱり制作に時間をかけると、クオリティが上がるものなんだなあと思った。
意味を伝えるだけで良いのだったら、もっと早い段階のものでも完成してたと言える。至近距離からの撮影ではなく、オブジェが風景に溶け込んだ写真を使うようだから、本当は、お仕事としてはここまでクオリティにこだわる必要はなかった気もする。
でもあの子が運び出されて行ったあとで、部屋に戻って鍾乳洞のオブジェをみたら、すごく雑で荒けずりでいいかげんで適当で、なんだかゴミみたいに見えてしまった。
あれは一個一個の形より全体を見せるのが目的ではあったけど、、、意味と雰囲気を伝えるだけのものになってしまっていたなあ、と今更ながら反省した。
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それから睡眠をとって、夜中近くに息をふきかえし、食糧の買い出しに出た。
毎日徹夜してたから外が暗いのが新鮮で、ああ夜って暗いんだと妙に感動してしまった。
2次元と3次元
わたしの絵はデッサンとかめちゃくちゃだということはよくわかってるけど、2次元で紙に描いていると、それはそういうものとして成立してしまうところがある。
オブジェを作る時にいつも考えるのは、その絵を3次元におこすとどうなるかということ。
しかもわたしの絵は線描で、その線はリアルには存在しないものだから、3次元になった物体に線を描き込むと、そのヘンテコさがすごく際立って、超スリリング。
輪郭の黒い線を立体化したら、本当は、表面は全部真っ黒に塗りつぶさなければいけない。さすがにそれやっちゃうとアートになっちゃうからしないけど。
他の部分の線も不自然なんだけど、描かないと不思議ともの足りなかったりするので、不自然になりすぎないようなギリギリの線をみつけて描いていくという変な作業。
線描ってほんとに不思議で、なんで現実には存在しない「線」で描いたものを、人間は情報として認識できるのか。子どものときから線の絵を見慣れてるおかげなのか。古代の洞窟壁画も線描ということは、人間は最初から線で世界を認識しているということ?
あと陰影。本物の立体なんだから陰影をつける必要はないのに、あえてつけるのが面白い。
人間そっくりなものを作りたいわけじゃないけど、人間として認識できる必要はあり、もともと矛盾したものを、上から下から斜めから見ても矛盾を感じさせないようにして、なによりも可愛らしく作らなければならないんだから、意外に気をつかっている。
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ちなみに、2次元の絵を描く前に最初にわたしの頭の中にあるイメージは4次元だと思う。
3次元のものを2次元に落とすときはデッサンが必要になるのかもしれないけど、4次元から2次元にするのならなんでもありなんじゃないかなあ。
で、4次元の自由でふわふわしたイメージを2次元に落とし込んでいくときに、2次元だからこそできる形式や方法を使うことで膨らむ部分もあるし、新しい発見もある。
そうしてできた絵は一つの完成形だけど、逆に拾いきれずに落としてしまうイメージもある。
それが惜しくて、絵には描かないで取っておきたいイメージもある。
でもわたしの頭の中のイメージはわたしにしか見えないから、それを誰かに見せたければ、なんとかいちばんしっくりくる方法を見つけて、頭の中から取り出さないといけないのだ。
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ところで、いわゆる2次元キャラ萌えがどうにも気持ち悪い感じがするのは、元の頭のなかのイメージも2次元だからなんじゃないかという仮説をたててみた。
わたしは萌えがないので検証できないんだけど、どうなんでしょうかね。
やばいやばいやばい!
〆切ってヤツは、重なる時には重なるもので。。。
発泡スチロールの彫刻と並行して、先週からずっと実用書のためのカットを描いていて、全部で69点、今朝納品した。こういうお仕事はわりと気楽なんだけど、数が多いと大変。
ナイフを振り回して削りまくって腕がしびれてくると、PCに向かうことの繰り返し。
スチロールの削りくずは粒子が粗いので同じ仕事部屋でPC使ってても大丈夫…だよね?
というか彫刻のほうも今日くらいまでにといわれていたはずなのだが。でも〆切延ばしてもらっても、今週は雑誌の挿絵の〆切もいくつかあってかなり厳しい。
体力的にもだいぶしんどくなってきた。。。
とはいえ仕事が忙しいときは仕事のこと以外考えないからその点では楽かも。
修羅場なう!
仕事部屋じゅうにブルーシートを張りめぐらして、また発泡スチロール彫刻やってます。
今回新しくハンズで買ったナイフが使いやすかったので「村雨くん」と名前をつけた。
どこがいいって、小ぶりで小回りがきいて、しかも刃の裏表両面で切れる。
だからナイフを上から下に降ろしても下から上に引いても切れるので無駄がない。それに先っちょも切れるから細かいとこを削るにもすごく便利。
去年は大活躍した「斬鉄剣」は長すぎるので今回はほとんど使いみちがなさそう。
ハンズで新しいタイプの電熱カッターもみかけたので欲しかったけど、今回は見送った。
でも、ハンズ参りは怠ってはいけないな。道具ってほんと大事。
ブルーシート
きたるべき修羅場にそなえ、仕事部屋中にブルーシートを張りめぐらしました。
ある一日
徹夜して朝までにどうにか挿絵を仕上げ、ふと、わたしの前世って小人さんだったんじゃなかろうか、と思う。
まあいつもこんな調子なんだけど。
そのあと頭が冴えて眠れなかったので、いろいろ雑用してるうちに、眠気がきたのでパタッと倒れて、1時間くらい眠ったところでハッと目が覚めた。
あれ?そういえば今週打ち合わせの予定があったな、、、明日だった気がするけどいちおう確認しておこう、それにしても今日っていったい何日なんだっけ?なんて思って手帳を見たら、待ち合わせの時間は今日の2時間後だった。
焦った。。。でも気がついてよかった。
とくに今回は、ちょっと面白い打ち合わせだったし。
イラストのお仕事じゃないんだもん。またオブジェ作りますよ~!おほほ。
スチロールの人形作りは、趣味のようなものだと思っていたし、いったんやめようと考えてたんだけど、それはもう置き場所がないからなので。。。
本格的にカメラマンさんに撮影してもらえるそうだし、どんなふうになるのか、すごく楽しみ!
終わり良ければすべて良し
夜のあいだに降り積もった雪に、いつもなら大喜びするとこなのだけど、きょうは、「ガールズポップアトリウム」の搬出日。(1/31をもちまして大盛況のうちに閉店しました。ありがとうございました!)なのでちょっと心配した。
でも荷物がアパートに着く夕方までには融けるだろう(アパートの階段を運びあげるのが最大の難関なので、すべると危ない)
昨日は、あのオブジェが再び自宅に戻ってくるということで、場所を確保するため、古い書類や雑誌、洋服などを思い切って捨てることにして、徹夜で部屋を片付けた。
そして、ちょうどラッシュの時間帯に、南越谷へ、オブジェの解体に出かけた。雪の朝のラッシュの電車に乗るなんて最悪。。。
もうラッシュの電車に乗る作法も忘れてしまってるし、ふんばるのが大変だった。
お店につくと、デパート全体が閉店のため、がらんとした異様な雰囲気で、ガールズポップアトリウムも、すでに棚はバラされ品物も箱詰めされていた。
広々としたお店の真ん中に立って、ひとりで、全体をぐるっと見回してみたら、あれれ、この壁画、なんだか思ったより良かったんじゃないの?という気がした。
描いてた間は、どうしても細部が気になって、なんか納得いかなかったんだけど。
こうして見ると、これはこれで面白かったのかも、とけっこう満足してしまった。
あんなにくよくよぐじぐじと考えてたのは一体なんだったんだ(笑)
で、もういちど、ひととおり写真を撮ってから、オブジェの分解作業。
これが思ったより大変で、かなり手間取った。
前に信濃町で展示したときは、軽く接着しただけだったので簡単にバラせたけど、今回は子供も来るし、2ヶ月以上持たせる必要があったので、頑丈にくっつけたのだ。
決められた搬出時間に間に合わせるため、最後は体重をかけて無理矢理はがした。
それでも硬いスチロール製なので変な所が割れたりはしなかった。少し表面の塗装は剥がれたけど、どうせ手直ししたいとも思ってたし、仕方がない。
壁画は、壁に直接描いてしまったので、そのまま、取り壊しを待つことになる。
最後に「ナムナム」と言って壁画に手をあわせ、拝んでから店を出た。
今回は赤帽さんではなく、他の荷物もあわせて2トン車で運ぶので、車に積み込んだ時点でいったん解散して、わたしは秘密の寄り道。
埼玉県立近代美術館で、小村雪岱展を見たの。これはどうしても見ないといけないの。〆切もあるのだけど、きょうしか来られないんだもの。ごめんなさいごめんなさいっっ。
で、15時すぎに帰宅して、無事、オブジェを部屋に運び込んだ。わたしは部屋の中で受け取って並べただけだけど。
前よりもうまく収まったので、そんなにお部屋がせまくなった感じもしない。
これでやっと落ちついた。あのお店は、、、幻だったんじゃなかろうか?
一息ついてから、〆切の仕事に取りかかったのだった。
*
次回展示は、グループ展『拡がるLOVE ∞』。
Gallery 銀座一丁目にて、来週11日から16日までです。こちらもどうぞよろしくおねがいしまーす!
半月ぶりの南越谷
きょうは、半年ぶりにあかね書房のEさんにお会いした。
南越谷のお店においでいただきました。ありがとうございます。
またこの秋に「怪ダレ」の続きを出させていただくことが決まったので、とくに打ち合わせというわけでもないけれど、そのお話とか、いろいろ雑談。
それで、わたしは暗闇に人が溶け込んでる絵を描くのが好きなのを思い出した。
わたしは年があけてから一度もお店には顔をだしていなかったし、年末に壁画を仕上げた日は逃げるように帰ってきてしまっていて、店内の写真もまだちゃんと撮ってなかったのでちょうど良かった。
で、半月ぶりに壁画をみたのだったが、うーん、うーーーん、なんだかなあ。
ほんとは筆も用意して行ったのだけど、悩んだあげく、描き足すのはやめた。
ペットロスみたいなもんなのかなとも思うけど、再び落ち込んでしまい、絵って難しいですね、またゼロから出直します、とかなんとかぐだぐだいって、店長さんにからんでるみたいになってしまったのだった。
なぐさめてもらったけど、、、うーん、なさけないなあ。
でもやっぱり、今回の内装は、あのオブジェありきのものだった。全体をひとつの洞窟みたいな空間にすることにはある程度成功したかと思う。
オブジェの隙間を通してむこうの壁を覗く感じとかはなかなか面白くできたが、結局、オブジェがなければ成立しなかったし、壁画はおまけみたいなものだった。
でも、大きな絵を、近づいても、離れても、しかもいろんな角度から、きちんときれいにみせることの難しさ、自分のヘタクソさかげんを思い知ったし、まだ言葉にならないことも含めて、たくさん勉強させていただいた。
しかし、あの絵がどんなふうに受けとめられたのか、あれで方向は間違っていなかったのか、正直まったくわからないでいる。
しょせん壁の絵にしかすぎないから、わたしが意識しすぎてるだけなのだろうけど。
お店自体は、おかげさまで大成功だったようだ。ほとんどは店長さんの力だと思うけど、あの絵が少しでも役に立ってたらいいなあ。
まあ、やることはやったから、そのうちに別の形で答えは見えてくるだろう。
いまは、ひと仕事終わったときに必ず襲ってくる、例のあの気分。
ああこのつぎはいったいなにをどうしたらいいのだろう???
ものすごい無力感
大きな絵を描き終えるときはいつもそうなのだけど、ものすごい無力感におそわれる。
寒いし眠いし疲れたし絵は上手く描けないし才能ないし、
悲しい!悲しいよおお!
と、昨晩は、越谷からの帰りの電車の中で叫びだしたいような気持ちであった。
よっぽど今日も続きを描きに行こうかと思ったけど、これ以上やってももう無駄だし、正直いいかげんうんざりしてきたし、もう少し冷静な気持ちになってから、もう一度見に行って、まだ直したいと思ったら、少し修正はするかもしれません。
でもいまのわたしにできるのはここまでです。どうもすみませんでした。
山と山のあいだ
昨日は、部屋を片付けたり、たまってたメールの返信をしたりしてから、お店で販売するための、小さいお人形(限定20個)を生産。
大きいと売れないことを(やっと)理解したので、今回のはヤクルトくらいの大きさにしてみました。
きょうの昼すぎに例によって大あわてで仕上げて、それを運んで越谷へ。もう疲れてしまって、埼京線で立ってつり革につかまってたんだけど、目の前の席が空いても、そこに座るために動くのが億劫、というありさま。
でもお店に着けばそれなりに気力も出てきて、無理しないように作業した。
じつは、お店が入ってるデパート自体が1月末で閉店なので、この土日から閉店セールがはじまり、お客さんもだいぶ増えた。
お店の商品も増えてきていて、壁にもいろいろベタベタと貼られてるので、もう描き直そうにもどうしようもなくなってる部分もある。
きょうは編集者のAさんがわざわざ遠くまで出かけてきてくださった。
それでお茶しながら、絵本の企画についていろいろ相談したのだけど、なんだか話がかみ合わず、すぐ話がそれてしまう(わたしがそらしてる)。
Aさんはプロットについて話してるのに、わたしはずーっと、ディテールのことばかりを話してた。
「なんかこう、、、キラキラとか、ワクワクとか、、、」だめだなこりゃわたしは興味がないことにはまったく頭が働かない。
ストーリーになったものを読めばいろいろ言えるんだけど、プロットってなんのことだかいまいちわからないし、それだけ聞いても面白いんだかつまらないんだか、とんと判断がつかない。
わたしの頭の構造は微分方式だから、全体的なことはよくわからんのだ。で、Aさんには、わたしがなにをわかってないかがわからなかったのだった。
でも根気よく順番に説明してくれたので、最後のほうになってやっと、話がかみあわない理由だけはわかった。
ふだん編集者と打ち合わせのときはなにを話してるんですかと聞かれ、よく考えてみたけど、、、名刺交換して納期を聞いて、あとは雑談だけだなあ。挿絵にしても装幀にしても、プロットについて話す必要はたぶんないし。
だいたいいつも岩清水さんの好きなように描いてくださいって言われてるし。
ああっ、でも単にわたしが話を聞けてないだけって可能性もあるなあ。
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来週はもうひと山。それを越せば、年末進行も少し落ちつくかな。
昨日ひと山越えて、次の山越えの間に「越谷」で壁塗りって、、、面白くないですか?
夢の50%
わたしは自分のお城を作りたい、なんて前にも日記に書いたけど、いつか、どこかのスペースを借りて、彫刻をつくる所からはじめて、すべて公開制作という形で、実行するつもりでいた。
今回の壁画は、お店だから全部自分の思い通りにできるわけではないし、ペインティングだけだから、わたしが考えていたのとは違う。でも、仕事の枠の中で、けっこう近いことができたかもしれない。
ようするにぐるっと包み込むことをしたかったのだから、完成度はとりあえず置いておくとして、少しだけ夢が叶った。
だいたい今回の依頼は、お店の内装をどうにかしてほしいというだけで、こんなでっかい壁画を描いてと頼まれたわけではなかった。
わたしが勝手に描いちゃったので、お店の方もびっくりのようだった。
ずっとやりたいやりたいと言っていた新聞小説の挿絵もやれてしまったし、(もちろんできるならまた何度でもやってみたいけども)やりたいと思ったことは、あんがい実現するものなのなのだろうか?
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「信じれば夢はかなう」なんて安いミュージカルみたいなことをいう気はないが、信じる信じないではなくて、夢は、まず持たないことには絶対に叶わない。
じつは、夢をみつけること自体がすごくたいへんなことなので、夢をみつけた時点で、半分くらい叶ったようなものなんじゃないかと思う。
信じられない夢なんて、最初から持ってないのと同じだと思うし、できると思ってないと、そもそも行動することができない。
あとは、夢はなるべく具体的に持ったほうがいい気がする。
夢に近づくためにどう行動したらいいかなんて手探りするしかないし、いくら信じていたところで、100%叶うとはかぎらないけれど、夢が具体的なものだったら、だいたいそのうち何%くらい叶ったかわかって、今までやってきたことが正しかったかどうか確認できるし、次はもっと頑張ろうって気持ちにもなれるから。
小さな夢ならオール・オア・ナッシングでもいいけど、大きな夢はパーセンテージで考えていいんじゃなかろうか(笑)。