観客的なるもの

昨日の晩、一ヶ月ぶりに友人Kに電話した。
友人Kは去年の暮れから先月までずっと休みがなかったのだが、ひと月前からロングバケーションに入り、最近は、毎日、「今さら観てないとは言いにくい映画」を観まくっているそうだ。(それも友人Kにとっては仕事みたいなものだと思うが。)
で、トニー・レオンにどっぷりはまってしまったらしく、彼の魅力について一晩中語り明かされてしまった。わたしはあんまり映画を観ないので、トニー・レオンというと、なんか眉毛ぼさぼさの人?くらいの印象しかなかったのだが。。。

面白かったのは、キムタクを代表とする日本の俳優との比較について。
キムタクがどの役をやってもキムタクにしか見えないのは、彼が常に相手役よりも、その場にいない観客の目を意識しているからだという。
トニー・レオンには、その自意識が元々ないのか、うまく隠しているのか、よくわからないけど、でもちゃんとカッコいいのだそうだ。
古い日本映画の役者にもそういう過剰な自意識は感じられないという。

わたしは、観客の目を意識するのはプロの役者の資質なのかな、と思っていたが、第三者から見てカッコいいオレ、という自意識が常に離れないというのは、目の前にいる相手の役者に対してまっすぐに向き合えていないということでもある。
これは役者に限らず、現代の日本のクリエイター全般に言える病的な傾向だと思う。

世の中いろんな考え方がありすぎて、どれが正しいのかわからなくなってしまって、実体のつかめない「観客的なるもの」にふりまわされ、考えすぎたあげく、作品をいじりすぎてしまっているように思う。
何かをまっすぐ表現することに、どこか照れや屈折があって、腰が引けてしまって、ついつい、観客に対して、これはわざとこんなふうに表現してみたんですよ、とか、これはこんなふうに見たら面白いでしょ、というエクスキューズを入れてしまう。
で、実際そういうものが支持を集めていたりもするのだが、、、。

自意識も、ひとつの美意識だとはいえるのだけど、自意識と自分とは別のものだし、他人を意識しているようでしていない、そういう自閉的な表現には、もういいかげん飽きたと思いませんか。もっと、シンプルに、ストレートに、骨太に、表現してなにが悪いのか。
まず目の前にいる人に、何かを伝えるところからはじめなければいけないと思う。