雑記帳」カテゴリーアーカイブ

ファイドウ

きょうはファイドウにチャレンジしてきた。。。
むちゃくちゃハードだった。。。ぐはあ。。。あした階段のぼれなくなるかもしんない。。。

最後に食べたいもの

よく、世界が明日で終わるとしたら最後に何が食べたい?って質問があるけど、今回食パンを買いだめに走った人は、最後にすごく食パンが食べたいと思ったのかもしれない。
わたしはとくに食べたいものは思いつかなかった。

役割

いま、明治維新とか、終戦とかと同じくらいの歴史の区切りにいるんだろう。でも今回は、世界中の人が助けてくれている。そこが大きな違いだと思う。

みんな不安なんだけど何も言えなくて、いまできることを探そうとするとつい買いだめ行動に走っちゃうんだと思うな。わたしはツイッターで友だちの声を聞けるおかげでだいぶ救われているのかもしれない。

いまやっていることが、ほんとうにやるべきこと、わたしの役割なのだろう。わたしはやっぱり絵を描いている。そうやって世界と繋がろうとしている。そのことがとても嬉しい。

ラヴ・レターズ

きょうはパルコ劇場で「ラヴ・レターズ」を観た。
男女二人の朗読劇、昨年で20周年だそう。今日の出演は岡本健一×奈良岡朋子。

学生のときにいちど観ているのだけど、そのときの出演者は忘れてしまった。内容は面白かったのでけっこうおぼえているつもりでいたんだけど、そっかあ、このヒロイン、絵描きっていう設定だったんだなあ。
昔観たときは、大人の恋の話で素敵だな、って思った気がするけど、いま観ると、なんだかいろいろうまくいかないもんだよね、って話のような気もした。

最近強く思うんだけど、絵を描くことで、すべての心の隙間を埋めることはできない。じゃあ他のことで、隙間が埋まるかといったらそんなことはなく、それぞれの隙間は、それぞれに合ったピースでしか埋められないのだと思う。

でもべつに、隙間を埋めつくすことが目的で生きてるわけでもないし、絵を描くのは、隙間を埋めるためでも、病んだ心を癒すためでもない。
絵を描くことには時間も労力もかかるし、犠牲になってしまうこともある。でもそれは絵を描くことでは絶対に取り返せない。

絵は他の何かの代わりにはならない。かといって絵の代わりになるものもない。それでも絵を描くことしか出来ないんだから、しょうがないと思うしかないなあと。
わたしにとっては絵だけど、それが絵でなく他のものだったとしても同じだと思う。
ま、これは舞台の感想じゃないけどね。

呪いの筆

いちど握ったら死ぬまで描きつづけなきゃいけない呪いの筆とかあったらやだなー。
呪いで手から筆が離れなくなっちゃう。そんで昼も夜も勝手に手が動き続ける。。。赤い靴みたいに!!

スカイツリー

スカイツリーの高さがいま559mってことは、500m超の山がない千葉県よりも高いってことで、むかし通った小学校(千葉県の真ん中あたり)の三階の音楽室の窓からは晴れた日には富士山が見えたけど、いまならスカイツリーも見えるんだろうか?

熱が出て 薬を飲んで じわじわと 頭がクリアに なるのを味わうなう。字余り。

ありがとう靴下

世の中に靴下というものがあって良かった。
もし靴下がなかったら、いちいち足の指を描かなきゃいけないからたいへんだ。
靴を描くのも足の指と同じくらいめんどくさいので、靴下ってほんとうにすばらしいなあと思う。

愉快な太鼓持ち

昨日は、楽器屋さんでお買いものしてから、単行本の装幀の打ちあわせのためPHPさんへ。
打ちあわせというと、近所か、新宿あたりの喫茶店で、ということが多いのだけど、こうして出版社に出かけていくのもけっこう好き。お宅訪問みたいで。
会社という場所に慣れていないので、好奇心まるだしできょろきょろしてしまう。
それにしてもPHPさんは、エレベーターを降りたとたん高級ホテルみたいな匂いがするし、「手頃な場所が空いてなくて…」と通された最上階の会議室はやたらと広くて重厚で、大きな窓からは永田町方面が一望でき、入り口にはでかでかと「シンクタンク」と書いてある。
シンクタンクっていうのは、賢い人たちが額を寄せ集めて考え事をする場所だと思う、たぶん。
そんなとこに、太鼓と、マラカスと、カズー(←へんな笛)を持ってやって来てしまった。。。

しかし革張りの大きな椅子は、わたしのお尻と鞄と太鼓を全部乗せてもまだ座面が余ってたし、でっかい楕円形のテーブルは、端っこに3人でちんまりと座っても、あまりにでかすぎて、いちいち中腰にならなければ、デザインのサンプルがよく見えないという愉快な状況。
楽しい打ちあわせだった。いいのが描けるといいな。

ガンホ会の大久保先生に、韓国映画「義兄弟」の試写会にご招待いただいたので観てきた。
ソン・ガンホとカン・ドンウォンがすごくかっこよかった。
わたしは映画もあんまりみないけど、みる時は、その世界にぽかーっと没頭してしまう。
役者さんがイケメンかどうか美人かどうかとかもほとんど気にとめない。(舞台なら目の前に人間がいるから少しはそういうことも考えるんだけど)

外国の映画だと役者さんの顔も名前も知らないのでますますなんにも考えない。
しかし没頭してるわりには見終わった後にストーリーを説明することはできなかったりするし、感動したのにもかかわらず、出てた役者さんのことはきれいさっぱり忘れてしまったりする。
じゃあいったいなにを観てるんだろう?自分でもよくわからん。

でも「義兄弟」は面白かった。途中で気がそれるようなことがなく、気持ちよく集中できた。これはとてもいいことだと思う。見終わった後も爽快だった。
でもいつもなら、ほんとにただ没頭してしまうんだけど、このところちょっと学習したので、ちゃんとカン・ドンウォンのイケメンぶりも鑑賞できてなるほどなあと思ったし、おお、これがいわゆる男の友情か~なんて、うっすらチャクラが開いたような気もするよ。