月別アーカイブ: 2010年12月

バンドごっこ

突然、大鹿さんから「バンドやりませんか」というメールが来たのが9月のはじめだった。
9月中旬、大鹿さんの個展会場のアートトレイスギャラリーにとりあえず3人、集まった。

本業がパイプオルガン奏者の原田さん以外、バンドらしい楽器なんてできないので、おもちゃのピアノに、ピアニカ、マラカスや鈴などのこまごまとした楽器をかき集めて、適当にうちならしてみたり、ワーワー大声を出したり、口笛をふいてみたりした。
音の反響がすごく良いコンクリートの建物だったので、それだけですごく楽しかった。

バンド(?)の名前は、大鹿さんのワークショップの名前「星舟庭」に決まり、何回か練習してから、個展の最終日に、数人のこころ優しいお客さんの前で演奏をした。

ところがこれがひどい出来だった!、、、とわたしと大鹿さんは思った。
所詮ぐっちゃぐちゃの即興なので、お客さんには出来の善し悪しなどわかるはずもなく、プロの演奏家の原田さんによれば、いつもと同じだった、ということだったが、、、
何回かやってるうちに飽きて、最初の新鮮さやエモーションが無くなってしまった。

ようするに、なんか楽しくなかったな~、おっかしいな~、ということだ。
自由に遊び続けることは本当に難しくて、飽きないためには多少のルールが必要だった。
その場かぎりのバンドごっこのつもりで、まさか続けるとは思ってなかったけど。。。
しかしこの時点でなんと次のライブ(虫フェスにゲスト出演)が決まっていたのだった!

虫フェスは昆虫を捕まえたり、食べたり、図案を作ったり、昆虫好きな人たちのお祭り。
わたしたちはそれほど虫好きではないけど、大鹿さんの教え子の方が運営に入っていた。
それで虫をテーマに、30分くらいで、と考えたら、少しだけまとまりがでてきた。

10月は予定が合わずに一度も練習できなかったけど、11月に入ってからは毎日練習した。
こんどは、不思議なことに、練習するたびに演奏することが楽しくなっていった。

そして11/6に、100人以上の虫ファンの前で、変てこな演奏を披露したわけだったが、さすがにゲテモノ食い(失礼)の方たちは好奇心が旺盛なのか、心が広くて優しかった!
手拍子がおきたのには驚いた。アンケートも好評だった(初めて見るものだった、とか)
そりゃあ、あんなもの見たことあるわけがない。

あとでこのときのビデオをみたら、たしかに案外悪くなかった。良くもないけど。
とにかくほんとに今まで見たことがないカオスな何かが映っていた。

音楽って、たくさん練習が必要で、選ばれた人だけができるもののような気がしていた。
それに大人になってから楽器を上手に演奏できるようになるのはものすごく大変だろう。

わたしはなんでも本気でやりたいタチで、本気じゃないならやらない、となってしまう。でも、うまく演奏することを絶対に目指さなくてはいけないわけではないのだ。
ただ息を合わせて遊ぶ、ということだったら、いつでもできるんだな、と思った。
小学校のときにみんなで合奏したように、大人になっても合奏することができる。それに無理矢理学校でやらされるよりも、今、好きなようにやったほうがずっと楽しい。
もちろんたくさん練習して、うまくなったら、きっと、もっとレベルの高いところで、演奏者同士、共鳴し合ったりして、もっともっと楽しくできるだろう。でも、へたくそはへたくそなりに、息をあわせる面白さを味わうことができる。
ルールがほぼない(というか知らない)分、素人の方が難しいこともあるかもしれない。

絵描きやってると、人と息を合わせて何かするということが少ないので新鮮だった。(いろんな人とお仕事するけど、持ち場は決まってるし、作業自体はいつも一人だから)
それに誰とやってもいいのではなく、この3人だからこその磁場が生じているのだろう。

で、その後はというと、、、
アルバム作ろうとか、海外ツアーに行こうとか言ってます。。。むちゃくちゃだw
なんとなくここまで調子良く(?)きたら、欲が広がってしまったようで。。。
面白いことはもっと面白くやりたくなって当然だし、やるなら誰かに聴いてほしい。
人前でやるとなると、見た目とか、動きかたとかも、もっと考えないといけない。
子供相手にならず大人が楽しめて、アートっぽくならず、お笑いに走らず、、、と、やっぱりモノつくりに関わる人間なので、じつはいろんな美意識があったりする。
お手本がない独自の道なので、、、どうなっていくのかわかんないけど、こんなバンドがひとつくらい存在してもいいんじゃないかなとは思う。

パラ・デ・トーキョー

最近、ある方の紹介で、両国にある「するところ」さんの活動を知った。するところさんは印刷会社で、毎月、子供向けのワークショップを行っている。
それで、23、25、26日の3日間行われた「パラモデル」さんのWSに参加した。

一日目は「水道管ゲーム」のカードに描かれた水道管を、参加者が好きな物(木の枝、電気コード、ジッパーなど)に置き換えて描いた。
同じテーブルにいた男の子の、モチーフ選びの発想がすごく面白かったんだけど、絵を繋げられるようにするというルールにおさめるのがなかなか難しそうだった。

二日目は、まず街に出て好きな建物などを写真に撮ってきて、印刷工場でプリントしてもらい、写ったものを自動車に見立てて落書きした。
これにはまず、元の建物の機能をある程度理解する必要がある。
それが紙の上では全然違った物に見えてくるのを面白がるということなので、出来上がった絵を見れば誰でも楽しめるんだけど、いざ自分でやろうとすると、頭の中でかなり抽象的な価値転換の作業をしなければならない、知的な遊び。単純に写真の上にきれいに落書きをするだけでも楽しいだろうけど、本気でやろうとすると、大人でもかなり頭を使う内容で、脳みそが疲れた。
最初に何の写真を撮るかでほとんど勝負は決まっちゃうなあと思った。そして、最後には、できた絵を壁に張りめぐらして、巨大な駐車場に見立てた。

三日目には、一日目に描いた絵の中から繋げやすそうなのを選んで、印刷&カットして大量のカードにしたものがすでに用意されていたので、みんなでそれをどんどん繋げて、床じゅうに大きなネットワークを作った。
子供たちはこれが一番楽しそうで、あっというまに広い床が埋まっていった。
わたしの描いた絵もカードにしてもらえたので、実際に繋げてみて、もっと繋げやすくするには繋げ方のバリエーションを増やさなければいけないし、連結部分のカードを工夫すればもっと面白く遊べたのになあ、と反省した。
ある単純なルールを決めて、正確に理解し、利用して組み立てていくことで、あれだけ大きなものを短い時間で作っていけるというのがとても面白かった。

水道管ゲーム

水道管ゲーム

  • 出版社/メーカー: トミーダイレクト
  • 発売日: 2003/10/30
  • メディア: おもちゃ&ホビー

忘年会シーズン

昔は飲み会って好きじゃなかったけど、最近は面白いと感じるようになった。
昔は、話す内容もないのに自分のことを話そうとしては嫌な気持ちになっていたが、わたし以外の人の話を聞くほうが知らないことだらけで断然面白いし、偶然隣に座った人が今までどう生きてきたのか知るのはとても興味深いことだ。

可愛いと怖いについて

わたしは怪談の挿絵を描かせていただくことが多いのだけど、可愛いイラストを描く人、という扱いもしていただいている。
自分では、自分の絵が、可愛いとも怖いとも思っていなかったが、まあたしかに、可愛いと言われてみれば可愛いし、怖いと言われれば怖いとも思う。

発注を受けて描くのではないときに、完全に自分の好きなように描くと、だいたい、世界の不思議さを見つめる人(と、そのまわりをとりまく世界)の絵になる。
わたし自身怖がりでつねに不安を感じているし「不安」はわたしのテーマと言っていい。
怪談の挿絵でも描いているのは漠然とした不安で、怖さの核心は文章にまかせている。
その上で文章のように絵を読み解き、頭の中で物語を組み立てることでじわじわくる怖さ。

挿絵だったらそれでいいのかもしれない。でも、そこで思い当たったのは、じゃあわたしは絵だけで一瞬で「怖い」と感じさせる絵を描けるだろうか?ということ。
「不安」よりも、強烈なインパクトや驚きを与える絵。そういう絵はあり得ると思う。

また「可愛い」にも理屈っぽい部分があって、ただ小さかったり奇麗だったりだけでなく、今まで観たことがないものに出会った驚きが、可愛い!という言葉になる場合がある。安心できるような優しく甘い可愛らしさではなくて、刺激的な可愛さのほう。

一撃で観るものの心臓を突き刺すことができるという点で、可愛いと怖いは似ている。
ストレンジなことを発見した驚きやときめきは本当に一瞬のものだけど、そういう感情の動きに飢えている、求めている人はたくさんいる。(ただし、一瞬の驚きだけで飽きられてしまうのは一番よくない)
怪談ブームもそうだし、怖いもの、可愛いものを求める人たちのパワーってすごい。
怖い、可愛い自体より、心臓を突き刺すということに興味がでてきた。

怖いは、突き詰めると「死」なのかなと思う。つまり人間には理解できないもの。
グロい絵を描く人はわりと多くて、骨や血や内蔵を描きたい人はよくみかけるし、ゴス系とか、和風とかのパターンがある。需要もあるんだと思う。
でもそういう方向は、ほんとうにそういうものが好きな人たちにまかせて、わたしは、ただシンプルに突き刺さる怖さを模索したい。

でも、例えば闇から手がにゅっと出る絵は、挿絵なら怖いけど一枚絵だとお笑いになる。鬼とかお化けの絵を描いても現代人には通用しないし、怖さを描くのって難しい。
ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」は、物語を知らなくても文句なしに怖いと思う。あの怖さを、血とか肉とかを描かないで表現することはできないだろうか。

また、可愛いにしても、結果的に可愛くなってしまった、ではなくて、もうちょっと意識的に、狙って可愛く描いてみたいと思う。今まで無意識すぎたから。
それでいて媚びた嫌らしいものにならないようにするのは難しいけど、ある程度狙った方が、見る人にも理解してもらいやすくなると思う。
不安な感じはいつでも描けるし、わたしの場合は何を描いても結局出てしまうので、しばらくは意識的に、怖い、可愛いについて考えてみたい。

愛読者カード

8歳の男の子が、「怪ダレ5・悪霊の教科書」の愛読者カードに、挿絵を真似して描いて送ってくれたのを見せてもらった。
ひ〜可愛すぎる!!!こんなこと予想してなかったけど、子供の落書きネタになるなんてうれしいなあ!!!