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ハラペーニョのピクルス

美味しくできたので覚え書き。

ハラペーニョ 14個
米酢 200cc
塩  小さじ5
ローリエ 1枚

・ハラペーニョは種を取って細切りにし、生のままタッパーに入れる
・米酢と塩をステンレスの小鍋で煮立てて、タッパーに注ぐ
・しばらくしたら上下をかきまぜ、ローリエを入れて蓋をして冷ます

去夏、適当に作ったのをそのまま忘れて1年放置していたのだったが、先日冷蔵庫の奥にあるのを発見して食べてみたらなかなかオツな味になっていた。
で、今夏もハラペーニョをたくさんもらったので、また適当に作ってみた。
翌日食べたらもう美味しくなっていた。ごはんが進んで困る。でも塩はもうちょい控えめでもよかったかも。
ぬか漬けにもしてみたが、ピクルスの方が良かった。
ハラペーニョのピクルスのレシピを検索すると、下ゆでしたり、砂糖を入れたり、スパイスを入れたりと、いろんな方法があるので、たぶんどうやって作っても、そこそこ美味しくなるんだろう。

残った酢も餃子とかに合いそう。

トラブル・サポート

実家の父のパソコンの調子が悪くなった。
しかし父は自力でメンテできないというか、する気がないので(昔は半導体とか作ってた人なのに)、わたしが先週帰省したときにいろいろいじって、どうにか復帰させた。
でも2、3日たったらまたダメになったと連絡があり、再び実家に戻ってパソコンと格闘することになった。

とは言ってもわたしは機械の知識はないし、ずっとMacユーザーで、windowsには慣れていない。だからやっていることはただひたすら自分のノートパソコンで検索しまくって情報を探す→できそうな方法を片っ端から試す、だけではあるのだが。。。も〜大変。
でもこういうタイミングで勉強しないといつまでたっても覚えないので、やるしかない。

しかし結局うまくいかず、近所のヤマダ電機に行って型落ちのお買い得マシンを購入、セットアップまでやった。移すデータは少ないし、使うアプリも少ないけど、なかなかスムーズにはいかず、けっこう時間がかかった。
インストールの待ち時間に、ついでにパソコン周りの掃除や、いらないもの(フロッピーとかCD-Rとか)の整理もしていた。

今までのマシンは東日本大震災直後に買ったもの。当時ヨドバシの店員さんに、全部日本製なのは富士通のものだけですと言われて買った(外国製が嫌というよりは、少しでも日本経済にプラスになればと思った)。その富士通のパソコンも、いまはレノボ傘下になってしまったそうだが、使い慣れているだろうから今度のも富士通のにした。

旧マシンのOSはwindows7で、10には対応していない機種だったので、たしかにもう寿命といえば寿命(もうすぐwindows7のサポートが終わるので、来年には買い替えしなきゃな〜とは思ってた)。
で、遅ればせながら今回初めてwindows10を触って、画面の雰囲気も、使い勝手も、今までとかなり変わっていてびっくりした(windows10への切り替え時のトラブルの噂は聞いていたけれど、たしかにこれは慣れるまで大変だっただろうな)。
Macで言えばクラシックからOSXに変わったときみたいな感じなんだろうか。Macユーザーにとっては少し親しみやすくなったような気もする。

夏場の馬鹿力

きょうはhanabi展搬入日。
例によって徹夜でギリギリまで制作していた。
締め切り直前には、火事場の馬鹿力というか、いつもなら絶対ありえない集中力が出る。
本当に没頭しているときは、冬でも体が発熱したようになって寒さを忘れてしまう、ということは経験上わかっていた。
しかし今回、夏でも、暑さを感じなくなってしまうのだと気がついた。
きょうはおそらく今年で一番暑い日で、パレットの上の絵の具も放っておくと一瞬で乾いてしまうほどだった。
温度計つきの時計を使っているので、作業しながらときどき温度を見てはいたのだが、室温が35度を上回ってもぜんぜん平気で、暑いなあとやっと感じたのは37度になったときだった(さすがに体温を超えるとまずいようだ)。
でもほぼそのタイミングで作業が完了したので良かった。
集中していても、わたしの場合は普通にお腹も空くし、喉の渇きも感じるので、その点は心配ないのだが。。。
(もともと集中力は無いほうで、ふだんならこんな暑い時期にはとてもじゃないけど集中できないので、昼間寝て夜中に作業することにしてる)

そうしてできた作品は小さいもの2点で、出来栄えは、、、どうだろう、一応完成はしているんだけど、なんかもっと良くする方法があるような気もするんだよなあ。今はわからないけど。
でも他の作家さんたちのは力作がそろっていて、とても良い展示になった。はじめてご一緒する方もいて、雑談も盛り上がり、楽しかった。

帰り道、スマホの万歩計を見ると「開始から1,150km達成!(東京〜ソウル)という表示が出ていた(3,459はきょうの歩数)。おおお。そんなに歩いたんか。
このスマホに切り替えてからちょうど1年くらいだから、1日あたり3キロ強、歩いた計算になる。本当だろうか。個展の準備期間など、まったく歩いてない日々もたくさんあったのだが。

免許の更新

教習所を卒業してから早20年、一度も運転したことがないので、アクセルとブレーキの位置もとっくの昔に忘れている。配られた教則本を見ても標識の意味なんかほとんど忘れている。でもそんなわたしでも、流れ作業的に無事に免許更新完了。
今回は裸眼で大丈夫だったけど、もしかすると次回はメガネが必要かもしれないなあ。

更新のたび、5年おきに同じフォーマットの写真を撮ることになるので、順番に並べてみると自分がどんどん年を重ねていくのがよくわかる。前回はあごを引きすぎて口元に影ができて不気味な写りになっていたので、今回はちょっとあごをあげて写ろうとしたら、係の人に「あごを引いてください」と言われ、微妙に引いただけでごまかそうとしたら、「じゃあ、前傾姿勢になってください」と言われた。
結果、前回よりはマシな写りになったのでまあ満足。

前回までは都民だったから千葉県で更新したのは初めて。講習は東京だとビデオ中心だった気がするけど、千葉は講義中心だった。
わたしは、もし自分が交通事故を起こした場合、性格的に、その場から逃げだすことはできないだろうけど、救護したりとか救急車呼んだりとかもできないだろうなと思う。イザというときにまったく役立たないタイプなので。
こんなにいろいろ注意しないといけないことがあるのに、無免許で運転しちゃう輩ってほんとに命知らずだよなあ。っていうかなんで無免許なのにアクセルとブレーキの位置とか知ってるんだろう?

真夏のおでんランチ

来日されたパクさんと社長さんは今日夕方の便で帰国されるそうで、その前のランチに同席させていただくことになった。
森下さんたちは、和牛のステーキをご馳走しようと考えていたらしい。しかし、牛肉は韓国でも食べられる。それよりおでんを食べてみたい。という社長さんのリクエストにより、急遽「ギャラリーから遠くなくて、真夏のお昼時(しかも今日は祝日)に営業していて、それなりに高級感のあるおでん屋さん」を昨晩みんなで検索しまくり、やっと浅草の「き介」というお店を見つけた。ところが予約が取れず、わたしが先に行って開店前に並んで席を確保する段取りになった。

浅草駅に降りたつと、まわりはもう外国人観光客でいっぱいだった。こんな真夏におでん屋に並ぶ人なんていないだろうと思いながら、12時の開店時間の15分くらい前にお店の前に着くと、先客が中に入っていくところだった。急いでお店に入ると、1テーブルだけ空いていて、どうにか席を確保することができた。おでん以外の食べ物もいろいろあったが、とにかくおでんが食べたいということだったので、おでんづくしで注文した。
で、食べてびっくり。おでんって真冬にコンビニで買ったり、居酒屋で一品頼んだりというイメージだったけど、ここのはめちゃくちゃ洗練されたハイレベルなおでんだった。あっさりしていて夏に弱った胃にも良さそうだ。どのタネも美味しかったけどわたしはとくに厚揚げが好きだったなあ。ふわっとろっとしていて。あとトマトも良かった。
社長さんはこれでもかというほど大量にからしをつけて食べていた笑

パクさんはじつは午前中にも浅草に来ていたようで、ドンキホーテでお土産に「サロンパス」と「キャベジン」を買ったとのこと。そういうものがウケるのか!わからないもんだなあ。。。
その後上野の美術館をご案内することになっていたのだが、これも自分たちで好きなように見て回りたいということで、結局、おでん屋さんの前で解散ということになった。
おもてなしって難しいっすね。。。

森下さん菅間さんと仲見世のほうをぐるりと歩いて、梅園で粟ぜんざいを食べてから、アートラボに戻り、暑さが和らぐのを待ってから帰宅した。

水害

西日本がものすごい大水害に襲われている。
現実に、あれほど大量の水が、あれほど広範囲に一度に降ってくるものなのか。

昔、水害にあったときのことを思い出した。
中学2年生の夏休みだったが、その日は登校日で、早めに家に帰された。帰るときには、すでに道路に水が上がってきていて、その後あっという間に洪水になった。
川と田んぼと道路がぜんぶつながって、あたり一面、茶色の海のようになった光景は忘れられない。
平日の昼間で、近所にいたのはほぼ女子供ばかり。みんなで避難場所の小学校に向かうことになった。ところが小学校と自宅の間には細い川があって、橋を渡らないといけない。川のこちら側には、他に避難できる建物はない。
橋は周りより少し高くなっているから水面に出ていて、どうにか渡れた。腰まで泥水につかりながら、小学校まで歩いて行った。流れは速くなかったと記憶しているが、もっと小さな子供もいたし、今思えば危ないことをしていた。(今、水害対策のサイトを見たら、水の中を歩けるのは膝くらいの深さまで、溝などに落ちないよう長い棒で探りながら歩くようにと書かれていた)

結果的に自宅は無事だったので、避難する必要はなかったのだけど、当時はどこまで水が上がるかなんて分からないし、もし、木造の家の中で濁流に閉じ込められていたらと思うとやはりおそろしい。
避難するタイミングの判断は難しい。というか、たぶん中学校から帰らないのが一番安全だったんじゃないだろうか。。。あのへんでコンクリート3階建て以上の建物は小学校か中学校しか無かったから。

昨日は実家のあたりで震度5弱の地震があった。
生きていると、いろんな危険が多すぎるなあとつくづく思う。ニュースに流れてくるような大災害にいつ遭っても不思議はないし、事故とか病気とか犯罪とか、世の中にはおそろしいことがたくさんあって、今まで生きのびているのは奇跡みたいなものだ。

夢の国の半分

16年ぶりくらいにディズニーランドに行った(妹と子供たちと)。

昔は気づかなかったことがいろいろあった。
ベビーカー置き場があることなんてまったく目に入っていなかった。
パレードは前のほうで場所取りをしないと子供には見えない。
子供連れだと並ぶのも大変だし、マンツーマンで大人がついていないと乗り物にも乗れないし、本当になにかと制約が多い。

昔は自分が勝手に楽しむだけだったけど、子供を楽しませるのには、ディズニーのスタッフだけじゃだめで、夢の国の半分は保護者のがんばりで出来ているのだな、と思った。

パレードのとき、ビニールシートに座って靴を脱いだら、くつ下にでっかい穴があいていた。後ろに並んでた人たちに見られただろうか。現実に引き戻してしまったかも知れないと思うと申し訳なかった。
しかし、昔よりダンサーの人数がかなり減ったような気がする。今でもあれだけ行列ができるほど賑わってるのに。

ディズニーランドは、いま35周年だそうだ。
わたしが初めてディズニーランドに連れて行ってもらったのは5周年のときだった。千葉県に住んでたのになかなか行けなくて、当時は不満だったけど、いま思うとしかたない。まだ京葉線が開通していなくて、電車を乗りついで浦安駅からバスで行ったのを覚えている。ファストパスがなかったから、乗り物も2時間待ちとかだった気がするし。
今はチケットもネットで買えるし、だいぶ便利になった。でも大人はやっぱり大変だ。

アンパンマンミュージカル

妹と子供たちといっしょに、アンパンマンミュージカルなるものを見に行く。
アンパンマンは「黄金の炎」とかいう、なかなか抽象的なものを守るために戦っていた(炎が無いと、パンを焼けなくなるし)。
ばいきんまんよりえげつない、なんだかよくわからない化け物みたいなやつがでてくると、会場中の子供らが一斉にパニックになり泣いたりわめいたり、まるで地獄のようだった(笑)。
恐怖心って本能なのかなあ。たしかに、よくわからないものって怖いよなあ。
見終わった後は近くの公園で遊んだ。全力で走り回ったのは久しぶり。

***
解散したあと、一人でうろうろしていたら、アートラボの森下さんから連絡をいただいた。
Zeinxenoギャラリーの社長さんと、アーティストのパクヒョンスさんがアートラボでの展示の打ち合わせのために来日されていて、これから飲みに行くとのこと。
居酒屋につくと、2016年のKIAFのときにお会いした孫さん(広島在住)も同席されていた。孫さんは通訳のためにわざわざ広島から来てくださったそうだ(広島からなら東京よりソウルのほうが近いかも)。社長さんの兄弟だと言われて真に受けていたら、本当の兄弟ではなくて親友という意味らしい(たしかに苗字が違うもんな)。むずかしい政治の話題が多かったけど、孫さんが話上手な方だったので、とても盛り上がっていた。

昨晩、皆既月食だかなんだかで世間が騒がしかったようだ。
しかし、この手の天体イベントって、なんで起こるのかわからなかった時代なら大事件だろうけど、今は理由もわかってるし、起きる日時も予測されているので、それを見ることになんの面白みがあるんだかよくわからない。
何十年に一度とか、何百年に一度とかいう言葉で煽られると、その度に自分の人生の残り時間を思ってなんとなくせつない気分にはなる。でも「何十年に一度」というのが、手を替え品を替え、わりとちょくちょくある。

最近はストロベリームーンとかブルームーンとかスーパームーンとか、いちいち名前をつけて騒いでるのをよく聞く。
名前がつくとありがたみが増すんだろうか。
なんとなくハロウィンとかバレンタインデーとかと同じような匂いがする。
まあこの手の祭りには乗っておくほうが、人生楽しいのかもしれないけど。

わたしは、たまたま帰り道に月がきれいだったら、それが満月だろうが新月だろうが中途半端な形だろうが、立ち止まってぼーっと眺めてしまう程度にはお月様が好きだ。
なにも知らなくて偶然見た月が月食だったらラッキーかもと思う。
でも、こんな寒い夜にわざわざ外に出るのはイヤだ。。。

蛇口の水漏れ修理

キッチンの水道のハンドル部分から、ずっと水漏れしていた。
でもそのことに慣れてしまっていて、水漏れしてることに気づかなかった。
すぐ水浸しになるのは、ハンドルの形状と手についた水のせいだろうと思って、まわりにふきんを置いてみたりしていた。

が、お正月にしばらく留守にしたあと、帰宅して蛇口をひねったとき、水漏れしてることにはっと気がついた。

それでネットで調べたら、自力で簡単に修理できることがわかった。
こんなこと学校でも習わなかったし、ネットがなかったら、どうしたらいいかわからなかっただろう。
家にある工具で間に合いそうだったので、ホームセンターで替えのゴムパッキン(¥300)だけ買って来た。

これまで水道の元栓を締めたことがなかったので、そこでちょっと手こずった。
ハンドルはスムーズに外せたが中身の金具が分解できず、結局パッキンを交換することはできなかった。しょうがないのでとりあえず部品をきれいに掃除した。
それでも金具を固く閉めなおしたら水漏れはあっさりと直ったのだった。

年賀状

年賀状を出すのが遅れて7日になってしまい、返信していただいた場合の切手代が62円になってしまうのが申し訳ないような気がして、今年は送っていただいた方だけにお返しすることにしました。
年賀状は時代遅れだとやっと思いはじめたせいでもあります。去年まではたくさん出してたのですが、これからは減らしていくと思います(年賀状だけの繋がりの人もいるので、完全にやめることは無いですが)。
ただあいさつしたいだけなのに、相手に返信を要求するみたいになるのが辛いです。
SNSで繋がってる人とはSNSでじゅうぶんだし、絵描きの場合、個展のときにDMを送るので、年賀状替わりになるという事情もあります。

しかし、、、DMを送るのも相手によっては迷惑だろうなーと思います。
でも展示するならお知らせしないと意味がないので、毎回複雑な気持ちになります。
個展に行けなくてすみませんと言われてしまうこともあります。
こちらとしては、みんなが忙しいのはわかってるし、興味がないならしかたないし、相手に負担をかけてまで来てほしいとは思ってないです。DMはピザ屋のチラシと同じようなものなので、何も言わずにそっと忘れてもらえればいいと思ってます(一方的に送っておいて勝手な言い分ですが)。
もちろん、うまく諸条件が合って、個展に来てもらえたらとっても嬉しいです。

いまは芳名帳に個人情報を書く人も少なくなり、DMという方法もだんだん廃れていくと思います。
以前は、DMハガキは展示に行くとき持ち歩けて便利だったのですが、今はスマホがあるので、個人的にはハガキよりもSNSかメールで招待してもらうほうが手軽で良いです。
でもまだガラケー使いの人もいるし、ハガキをコレクションしている方もいるし、メールでのお知らせは失礼だという考え方の人もいるので難しいです。

メールは、SNSに比べるとすでに時代遅れ感がありますが、住所もわからず、SNSでも繋がってない人にお知らせするにはメールするしかない場合があります(メールのおかげで古い友人が思いがけず見に来てくれて嬉しかったこともありました)。
でも、個別にメールをする余裕はないし、一斉メールはうざいだろうな~と思うと、つい後回しになってしまって、去年の個展のときは結局ほとんど送りませんでした。
それはそれで、お知らせしなくてすみませんという気持ちになってしまったりして。。。

どこかで割り切るしかないのですが、悩ましいところです。

明けましておめでとうございます

年があけた直後、実家の階段ですっ転んで左腰とスネを強打し、さらにお風呂に入ろうとしてバスタブに左足の小指をぶつけた。
無かったことにして寝たけども、翌日になってもまだ痛かった。

妹が胃腸炎で弱って帰省していたので、三が日はずっと子供たちとひたすら遊んでた。
カルタ取り、かくれんぼ、追いかけっこ、凧揚げ、卓球、ジュース屋さん、病院ごっこ、プリキュアごっこ、電車ごっこ、お葬式ごっこ、スイッチごっこ、宅急便ごっこ、その他いろいろ。

姪っ子が描いてくれたわたしの似顔絵は、着てた服の柄と、髪型がなかなか忠実に再現されてる(黄土色の地に紺色の水玉模様のワンピースに、紫色のシャツという道化のような格好)。ちゃんと観察しているのだな。
わたしはプリキュアを描く練習をしたんだけど、いま放映してるシリーズは今月で最終回だそうなので、次のプリキュアを覚えるべきだったかw
しかし、お絵描き遊びならラクなんだが、体を張った遊びのほうが子供ウケはいいんだよね。。。

それにしても毎年そうなんだけど年末年始は母が大量のごちそうを用意して待ち構えているので食べ過ぎてしまって大変。これからしばらくは粗食にしてバランスをとらなければ。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

るるる・星舟庭なべ

大鹿さんちで鍋会、今季2回目。
安曇野に移住した原田さんと再会。3年ぶりに星舟庭がそろった。
先日大鹿さんに「わたしもう一生原田さんに会えない気がします」とか言ったせいでこの場をセッティングしてくださったのかな笑

それに「るるる・られる」というステージで大鹿さんたちと共演していた、ダンサーの新井さん、板坂さんとも久しぶりにお会いできた。
新井さん特製の鰯のつみれと、大鹿さんおすすめのちくわぶを入れた塩味の鍋はとっても美味しくて、お酒もすすんだ。

最後の星舟庭ライブから4年。
最近駄菓子屋が無くなったという世間話から、星舟庭の重要な楽器「スーパーボール」を探し求めて日暮里の駄菓子問屋に行った話になり、笑いが止まらなくなった。
それから、残っていた星舟庭の音源や動画の鑑賞会になった。
ホームページには、ライブの曲目と使った楽器を記載してある。
演奏しっぱなしのことも多かったけど、もう当時のレパートリーも曲名も段取りもすっかり忘れていたから、記録しておいて良かった。
あらためて聴き直すと本当に本当に素敵だった。
新井さんも板坂さんも、すごく良いと言ってくださった。
演奏のひとつひとつを思い出しては爆笑につぐ爆笑で、腹筋が苦しかった。
あのころは当たり前になっていたけど、もっと大切にしていれば良かった。

星舟庭がバック・バンドで、新井さんと板坂さんがミドル・ダンサー(?)、なのにオモテがいない「お・も・て・な・し」という企画をやろう、などと盛り上がった。

手みやげに持っていった黒蜜入り落花生がみんなに大好評だった。
落花生は千葉名産だけど、黒蜜入り落花生は県内でも置いてある店は少ないし、パッケージが超地味なので、安っぽく見えて、お土産にしづらい。でも本当に美味しいのが証明された気がして嬉しかった。

大鹿さんちに一泊してから帰省することになっている原田さんとハグして別れ、地下鉄のホームで新井さんたちと円陣を組んでから別れた。
こんな愉快で楽しい大人たちが存在する素晴らしさよ!

バルーン・ドッグ

画材の買い出しで新宿の世界堂へ。
新宿三丁目のルイ・ヴィトンのショーウインドウは、ジェフ・クーンズのオブジェだった。道ばたで見れちゃうなんてお得すぎるんだけど、普通に街に溶け込んでいて、ほとんど誰も足を止めない。

アートラボのエース、坂本友由さんの個展(二部屋使い、W個展風の演出)は素晴らしかった。
女の子の鼻の頭の産毛まで描き込まれていて、いつまでも眺めていられる、超絶技巧。
坂本さんは、いま森美術館でやってる「ドラえもん展」にも錚々たるメンバーのひとりとして出展されている。ドラえもんか〜、、、あんまり興味なかったけど、やっぱ見に行くべきかなあ。

アーティストが、ヴィトンとかドラえもんとかとコラボするのは、もはや当たり前なんだな。

土器づくり続き

先日参加した縄文土器の講習会が面白かったので、最終日に土器づくり同好会に入会申し込みをした。
その後は行っていなかったけど、今日は納会で、ひと月ぶりに加曽利貝塚へ。
例によって焚き火で、おでん、焼きそば、イノシシ肉のBBQなど。
火が大きいので、外でコート脱いでいても寒くない。
だいぶ年上の方ばかりなので緊張したけど、みなさん優しくて、楽しかった。
納会のあと、膨大な土器の資料や、過去の作品を見せていただいた。
縄文太鼓を作りたいと思ってたのだけど、太鼓は作るのが難しい(空気が漏れると音が鳴らない)のだそう。
なので、とりあえず水漏れしない土器を作れるようになるのが目標。