月別アーカイブ: 2010年7月

絵の中にしか存在しない時間

わたしは小説の挿絵からイラスト描きの仕事をはじめたので、絵とは、連続する時間(ストーリー)の中の一瞬を切り取るものだと思っていた。

瞬間の積み重ねが時間になっていくという、微分積分的なイメージ。
お話の要点をまとめた説明的な絵や、重要なアイテムを描くこともあるけど、わたしがいちばん描きたいのは(お話のネタバレにならない範囲で)、人物が何かに気づいて、驚いたり、ときめいたりして、世界がぱっと開ける瞬間。
けして、ただ単に美しかったり見栄えがする場面というのではない。

わたしは怖いお話の挿絵を描くことが多いのだが、なるべく、怖いものそのものではなくて、怖さに気づいた瞬間の人物の表情を描く。
何に気づいたか、何が怖いかは、読者の想像にまかせたほうが、より怖い絵になる。
挿絵を描くときには、小説の力と、受け取り手の想像力を利用させてもらっている。
すごく面白い作業だと思う。

でも同時に絵というのは、前後の時間とはまったく関係なく切り離されたもので、忽然と現れた「瞬間」は、それ自体が永遠の時間でもある、という見方もできる。

たとえば階段の真ん中に立っている人物の絵を見たら、その前後の連続する時間に、上がるか降りるかする様子を反射的に想像してしまうのではないだろうか。
でもこれは一枚の絵であって、写真でもアニメーションでもないから、前後の時間ははじめから存在しないし、人物が移動することは絶対にない。(その瞬間が出現する前は、ただの真っ白な空間と画材だったともいえる)

その人物は、なんの理由も脈絡もなく突然その階段の真ん中に出現したのだが、存在してしまったものはないものにはできないので、そのまま受け入れるしかない。
絵は物体だから壊れる可能性もあって、厳密には永遠ではないかもしれないけど、少なくともその人物がその階段から離れることはありえない。

こんな時間の感覚は現実には存在しないけれど、絵だからこそ存在し得る。
わたしは実物を見たりせずに全て想像で描くから、よけいそう思うのかもしれない。
そこにストーリーは入り込む余地がない。
ストーリーの入る余地がなければないほど、絵としては完璧なような気もする。

どんな抽象画であっても、絵からストーリーを読みたがる人は多いだろうと思う。そうでなければ、技術的なこととか歴史とかを評価したりする見方になるのかな。
いろんな見方をしていいのだけど、想像力をいったんとめて、できるだけ頭を使わずに、絵の中にしか存在しない永遠を味わうのも、絵を見るひとつの楽しみ方だと思う。

そのためにはもとは画材だったことを想像させない完成した世界を見せる必要がある。
そういう絵を見せられるようでありたい。
(ライブペインティングとかで描く途中を見せるのもまた別の面白さがあるけどね)

『オルゴォル』オブジェと挿絵

去年新聞で挿絵を連載させていただいた、朱川湊人さんの小説『オルゴォル』の、単行本がこの秋(発売日は未定)に講談社さんから出版されます。

それで、その装幀に、主人公の等身大オブジェの写真を使うことになって、5月ころに制作して、撮影がどうこうと大騒ぎしていたのはそれなんですが、まだ秘密なのかなと思ってたら、編集者さんにブログで紹介していいと言われました。

それで、ホームページに、オブジェの制作過程の写真をスライドショーにしたものと、新聞連載時の挿絵のスライドショーをアップしてみました。

挿絵は全部で246回ぶんもあって、最初のころと最後では絵がけっこう違ってるし、連載中は〆切ギリギリで慌てて描いているので、やっぱり手直しする必要があって、一気には公開できないので、今回は第1回から第30回までだけ。
続きはまた追々アップしていきたいと思います。まあ単行本が出るころまでには。
小説読まないで絵だけ見てもねー、って感じもしますが、、、これはこれでけっこう面白いんじゃないかなあ。良かったら見てみてください。

撮影のため京都に行っていた『オルゴォル』の主人公・ハヤトの等身大オブジェは、今月の始めころに自宅に戻ってきたんだけど、京都から講談社への輸送中に事故にあい、なんと、足首のところがポッキリ折れて、手の指のところも潰れた状態になっていた。
まるで古代遺跡から発掘された、ミロのヴィーナスか、サモトラケのニケみたい。
今回、二足で直立する形に作るのが難しくて苦労したところで、足首は糊で貼りあわせたので弱いっちゃ弱かったけど、表面は樹脂でコーティングしてた。
糊付け面が剥がれただけじゃなくてスチロールの組織ごと割れてしまっていたし、使用した発泡スチロールは、ソファの材料に使われるほどのしっかりしたもので、ちょっとやそっとの力がかかっただけではあんな潰れ方をするわけがないので驚いた。
それは、一度作ったものは、いつか壊れる可能性はあるのだけれど。。。

作ってからひと月以上たち、もう過去のものという気分でいたので、電話で話を聞いたときも、実物を見たときも、わたしはわりと冷静で、怒るとか悲しむとかいった感情はおこらなかった。ただやりきれず、空しかった。
でも編集者さんがすごく怒ってくれて、「講談社の戦う部署」の方たちが、わたしの代わりに運送屋と戦ってくれるんだそうな。
講談社の戦いのプロ。。。味方にするにはたいへん心強い。
法律とかわからないのでありがたいけど、同時に個人事業主の無力さも感じた。

オブジェ自体は、足がないので床に転がして置いておくしかなくて、すごくジャマ。なのでなるべく早めに修理しようと思ってます。ちゃんと直立するといいんだけど。
秋に単行本が発売されたら、朱川さんのサイン会とかで、このオブジェも、もしかしたらみなさまとお会いする機会があるかもしれないので、そのときはどうぞよろしくお願いします。

黒くて楕円形の何か

基本的にわたしは好きな時間に寝て好きな時間に起きる生活で、眠るときは眠いから寝るので、暑いから眠れないということはありえない。
常に熟睡しているはずなのに、きょうはなぜだかふっと目が覚めた。

ふくらはぎのあたりになんだかモシャモシャした感触があって、何度か手で払っても消えないので、目を開けてよくみると、夜中で暗かったけど、足の上に「3cmくらいの黒くて楕円形の何か」が貼り付いているのが見えた。

あまりにびっくりして声も出せずに、跳ね起きたらそいつは床の上に落ちた。
わたしはベッドの下にあった古新聞をつかみ、深呼吸して自分を落ちつかせながら、まーね、一発でしとめて、電気をつけてみるとやっぱり、ゴキブリが潰れてた。

速攻で新聞でぐるぐる巻きにして、さらにレジ袋7重ぐらいにして入れて捨てて、床も洗剤でゴシゴシ拭いて、シャワーを浴びて着替えたけれど、「生足の上をゴキブリが這っていた」「そのゴキブリを素手で払ってしまった」というショックが大きすぎて、すっかり眠気も覚めちまったよ。。。

ここの家に越してきてから5年くらい、室内では一度もゴキブリ見てなかったのに。部屋じゅうに徹底的に駆除剤をしかけていて、半年に一度は必ず交換してるのに。
さては夕方に花の水やりをしたときに開けた窓から入ってきたか。

だけど、ゴキブリもゴキブリだよ。
ゴキブリならゴキブリらしく、シンクの下とか冷蔵庫の裏とかにいればいいものを、なぜに、なぜに、わたしの生足の上なんかを通り道にするかなあ。

わたしだって、蒸し暑い夏の夜に、一人で家に帰る道の途中なんかで、暗いアスファルトの上をゴキブリがとぼとぼと歩いてるのを見かけたりすると、ああ生きてくって大変だよね、なんてちょっとシンパシーなんか感じたりしてさ、自分の家の中にさえいなきゃ可愛いと言ってもいいとさえ思うのだけど、いやさすがにそれは言いすぎだけど、あいつがこの世に存在してることは認めるの。
ただただ、わたしのテリトリーに立ち入るのだけはもう勘弁していただきたい。