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マイペース

わたしは会社員時代に先輩に言われてはじめて自分がマイペースだと知った。
同時に、マイペースという言葉が、どっちかというと否定的なニュアンスで使われているのだということをやっと理解した。26歳くらいのころだった。
あまりにマイペースすぎて、それまでマイペースであることに気づかなかったわけだ。

それまでわたしは、マイペースな人というのは、カラオケで「マイウェイ」を歌う人だ、という漠然としたイメージをもっていた。

よく「マイペースで生きたい」とかいう人もいるし、したがって、マイペースというのは、好ましいこと、さらにいえば、すべての人間が目指すべき到達点ぐらいに考えていたのだった。
だから、自分はまだまだ未熟だし、(マイウェイも歌わないし、)マイペースの境地にはほど遠いと思ってた。

だけど…、マイペースじゃない人なんているんだろうか?
マイペースじゃないペースってありうるのか?
いくら人のペースに合わせたって、合わせた瞬間、それは自分のペースになるのでは?
なんて思ってしまうのは、わたしがマイペースだからなんだろうか?

とりあえずマイペースな人とはわたしのことだと仮定すると、いろんなことがクリアになる。
マイペースという言葉のもともとの意味はけっこう広いし、わたしの昔の解釈もけっしてまちがってはいないと思うけど、実際には、他人のペースに合わせない人、または合わない人、という意味に限定されて使われていることが多い。

ようするに、空気読めないのソフトな言い方だ。そしてそれはたしかにわたしのことだ(泣)。

他人から見て、まわりと比較したときに、「あの人はマイペースである」と、評価を下すために使われる言葉なんだと思う。
まわりと自分との比較という意識が薄いのがマイペースの本質である以上、自力で気がつくことができなかったわけだよなあ…。

空気が読めないことについて、補足

わたしのまわりでは、空気読めない人のほうが多数派だと思われる。
空気が読めない人同士が出会った場合、読めてなさのベクトルが近いと気が合うんだけど、でも反対向きだと、なに考えてるんだかまっっっったくわからないこともある。そういう人とは、なにをやってもことごとくズレが生じる。
あと、一方通行の場合もある。こっちはわかんないのにむこうはわかってるとき。

相性ってあるんだなーと思う。
今まで、異様に相性が合わない人に何人か会った。
相手も空気を読めてないということはなんとなくわかるから、けっして嫌いにはならないんだけど、いちいち気に障ってしょうがない。
笑えるうちはまだいいけど、揉めたらほんとにやっかいだ。

また、どういうんだか、ときどきばったり出会っちゃうんだな、そういう人に。
で、これはマズイと離れようとしても、なぜだかうまく離れられなかったりする。
空気読める人にとって、空気読めない人というのはこういう感じなのかな。

そう、相性の悪い相手に考えを伝えるのって、すごく大変なことなんだよね。べつにすべての人と仲良くする必要はないとは思うんだけど…、難しいなあ。
ただ、こういう日常的な困難にこそ、ロジカルな思考が必要なんだと思う。

食糧の備蓄について

わたしは長生きしたい。
なにをやっても人より遅いので、長生きしないとモトが取れない。
絵描きは自殺しないかぎり、長生きの人が多い。性格のせいと、手先を使ってるせいと、たぶん両方だろう。わたしは自殺するタイプじゃないから長生きできると思う。運動不足はなんとかしないといけないけど。

それにしても、おそろしいのは鳥インフルエンザだ。
そのときには完全引きこもり体勢でやりすごすのだ、わたしは。

こないだ風邪ひいたときは食糧の備蓄が十日ぶんほどあったが、鳥インフルエンザが発生したときのためには、2ヶ月分くらいは食糧をプールしておかなければならないそうだ。
外国からの食糧援助も期待出来ないだろうし…。
とりあえず、お米はある。缶詰とか乾物とか買いだめしとこ。冷凍食品はかさばるし冷凍庫に入る量に限りがあるからダメだ。水は…、2ヶ月分は無理だよなあ。煮沸するしかないのかな。
あとは野菜だ。冬場なら大根とかネギとか日持ちするけど…。
もやしの種とか買っといたらいいかなあ?

そんなのかんけーねー

小島よしおが、早稲田卒なんだからもっと安定した職業につけばいいのに、なんて言われているのを聞くにつけ、心が痛む。

そんなのかんけーねーよ!!!

早稲田出身の芸能人なんてたくさんいるんだろうに、消えそうになってるから言われちゃうんだよね。あーやだやだ。売れてりゃこんな余計なことは言われないってことだ。
だけど消えたら消えたでいいじゃん。
そういう生き方もあるさ。
消えたくない気持ちはすっごくよくわかるんだけどさ。。。

空気が読めないことについて

KYという言葉がはやるのは、空気が読めない人々が一定の割合で存在するからで、つまり、空気が読めないのはそれほど特別なことではないということだ。

空気が読めない、という言い方から、なんだかイヤな感じを受けるのは、自分と感覚が違った奴はみんな排除したい、という気持ちがみえて、空気が読めない人に対するやさしさがないからだと思う。空気を読んで危険を遠巻きに回避することイコールやさしさ、という暗黙の了解で、その空気を読めない人にはやさしくする必要がないみたいなことになっている。
空気を読むことで、他人を尊重してるようでいて、その他人の中には、はじめから、空気の読めない人は含まれていない。

でも、いくら無視したって、空気を読めない人々がこの世からいなくなることはない。

わたしは空気は読めないが、ちゃんと言葉で説明してもらえば理解することはできる。
言われたことで傷ついたとしても、それはたいした問題ではない。
なにしろ、読めないものはどう頑張っても自力では読めない。わかってるのにわからないふりをしているわけじゃなく、読みたくても読む能力がない。

だから、まったく気がつかないよりは、言われて傷つくほうがまだましなのだ。
ちょくちょく傷ついていれば、傷つくことに免疫もできるし、治らないほど傷つくことって実際そうめったにないと思う。
なにがなんだかわからないという状況が、いちばんおそろしいし、傷も深い。

個人差はあるにせよ、ある状況から一人の人間が読みとれる情報量には限界があるはずで、空気が読めていると思っている人も、じつは重要な情報を見落としているかもしれない。

空気が読めない人は読めない人なりに、なにかしらの情報は読み取っているはずで、じつは、他の人間が見落としがちな情報に気をとられているのかもしれない。

だから、空気を読むのが得意な人は、そのことに慢心せずに、読むのが苦手な人に、その場の空気の意味を教えてあげたっていいと思う。
そこからお互いに意外な発見があるかもしれないとか、前向きに考えられないものかな。
思いやりというとみじめだけど、役割分担なんだと思えばいいんじゃなかろうか。
KYという言葉が言い放たれた時点で、そういう可能性がすべて消えてしまうのは残念だ。

わたしも、空気を読む能力を持った人に対する敬意はいつも忘れないでいたい。

とはいえ、その場の空気の意味を教えてもらって理解したところで、みんなに合わせて行動するのが正しいのかどうかは、また別の問題だし、合わせることを選んだとしても、うまく合わせられるかというと、たぶん出来ない。わたしのような奴はへたに空気を読まないほうがのびのびと生きられるってことだ。

そういうとこが煙たがられるんだろうけどさ!

幸せのために

よく、占いなんかで「悪いことを言われたら信じる」なんていうと、あららネガティブなのね、と思ってしまったりする。

でも「玄関が汚いと金運が悪くなる」とか、そういうのは信じておいたほうが、玄関をきれいに維持することができるので、よいと思う。
風水の本を見ると、水回りをきれいにしとくと良いとか、わりと、占いじゃなくても当たり前だろうというようなことがかいてある。
わたしは盛り塩とかはしたことがないけど、わざわざそんなことしなくても、ちょっと汚れたな、というときにあと回しにしないでささっと掃除するだけで、なんだか少し幸運になったような気分になれる。

同じ掃除でも、ただなんとなく掃除するよりも、幸運のために掃除するほうが、より幸せな気分になれるのだ。

冬眠

20日の夜から熱が出て、そのまま寝込んでしまった。
二日くらいで熱は下がったけど、そのあともずっと調子が悪く、よりによって、今週はほんとうに寒かったので、たいへんつらかった。南極探検隊みたいに厚着して、ゼイゼイしながら毛布にくるまってた。
雪が降った日は、積もったら遊びに出るぞ!と思っていたが、そんな場合ではなく、すぐ雨に変わって雪も溶けてしまったので、ちょうどいいといえばちょうどよかった。

結局、月曜に家から徒歩一分のお医者に行った以外、一週間、家から一歩も出なかった。
とくになんの準備もしてなかったけど、備蓄食糧でしっかり乗り切った。
体調は悪くても、食欲は落ちなかったんだけどなあ~。
買い出しに行かなくても、まだあと3日くらいは暮らせると思う。すばらしい。

ただ、そろそろ新鮮な野菜を買いに行きたい。

欲しいものいっぱい

今日は、16日に発売されたばかりの、Office 2008 for Macを買った。
ワードは、メールで送られてきた小説などの原稿を開くのに使うだけなのだが、必要。
エクセルは、たまに台割やスケジュールなんかの書類をもらうことがあるのと、帳簿をつけるのに使ってる(確定申告用のソフトを買うべき?)。

それと、オイルパステルのセットを買った。すっごくうれしい。未使用のパステルがきれいに並んでるのを見るとどきどきする。で、好みの順番に並べ替えてニヤニヤしたりして。

最近は、なんだか欲しいものがたくさんある。たまにそういう波が来るのだ。
でも、わたしは買い物って好きじゃないし、必要なものがあっても、心の底から欲しいという衝動が起きるまでは買わないという面倒な性格なので、何か買う時は常に衝動買いだけど、あんまり無駄遣いにはならない。物欲がわいているうちに、ノートPCは買っておかねば(やっとインテルMacだ~)。今年はお家でじっとしてるつもりだったけど、動かないわけにはいかないみたいだし。
頑固なようでもあり、流されるままのようでもあるなあ、、、。

照明っておもしろい

先週のワークショップの続き。今日の講師は舞台照明家の吉本有輝子さん。

わたしの絵は、線と面で構成されていて、平面的で陰影がほとんどない。
影はときどき描くが、あり得ない方向に伸びてたりして、かなりいいかげんだ。
細部や背景を飛ばしたいというのはよく考えるけど、とくに光は意識してない。
でも、絵が見えるということは、すでにそこには光があるということなのだ。

ちょうど先月、立体を展示したときに、あらためて、作品をよりよく見せるための照明効果に興味を持った。
照明家は、実体のある「モノ」を作ることはないけれども、そこにあるモノをどうやって見せるか、または見せないかということを通して、「見る」ということについて、おそらくモノを作る人以上に、純粋に考えている。
照明を当てようとする人は、ある距離感をもって対象物を注視しているが、光のあたるところに自分は存在していないのだからまるで神様みたいだ。
照明がなければ真っ暗になってしまうから、世界をコントロールする力もある。
でも、光を当てる対象物の形そのものは変えることができないので、その制限の中であれこれやっているのがとても面白そうだった。
こういうのってやっぱり写真に近い考え方なのかなあ。

出会い

去年はたくさん新しい出会いがあった。
名刺を山ほどもらったので、住所録の整理に丸1日かかった。
会社員してたころや、引きこもってたころは、ほんとに出会いがなかった。でも、ちょっと外に出る気になれば、出会いの機会というのはいくらでもあるのだ。
わたしはこういう絵を描く人間です、と言えればこそだけど。

徹夜でレヴィ・ストロース

オーパ・ギャラリーさんに搬入を終えたあと、駒場アゴラ劇場での「舞台と空間のワークショップ」に参加。講師は舞台美術家の杉山至さん。
今回は、舞台美術というよりパフォーミングアートについて考えるということで、前半はまるで大学の講義みたいだった。
わたしは、肩の力を抜いたとはいえ、徹夜したことには変わりないので、あたまボケーっとなっていたのだけど、テキストは、レヴィ・ストロース。うわあ助けてくれーーーって感じ。

でも後半はスケッチしたり、ちょっとしたパフォーマンスをやったり。やっぱりあたまはよく動かなかったけど、まあ面白かった。それにしてもこんなわけのわからないこと、教える方も大変だろうなあ。

あと、参加者のなかには役者さんも何人かいたのだけど、やっぱり役者さんは身振り手振りがオーバーで、よく目立っていた。人前に出たいって人は、普段からそういうとこあるんだなと改めて思った。

円卓

クレイジーケンバンドの歌を思い出しながら東横線に乗って元町・中華街へ。
今日は、大学時代の友人たちと、横浜中華街「菜香」で円卓。
好きなものを適当に頼んでお腹いっぱいになって、その後もお茶を飲みながら、何時間もだらだらとおしゃべりしていたのに、お酒を飲まなかったら、ひとりあたり2500円ですんでびっくり。

お土産にお気に入りの中華パイをたくさん買い込んだ。なつめは苦手なんだけど、なつめ餡は大好きなのが不思議~。

そして、関帝廟で商売繁盛をきっちり祈願してきたのであった。

後厄祓い

今日は、高校時代の友人たちと千葉神社でお祓いをしてもらった。
お遍路さんみたいな、ちゃんちゃんこ的なものを着て、頭を下げて、束帯姿の神主さんがうなるように名前を呼んでくれるのを神妙に聞いた。
千葉神社は、去年お護摩をしてもらった川崎大師みたいには混んでないので、待ち時間はゆったりしたロビーでまったりできた。お寺や神社でやりかたとかいろいろ違うのが面白かった。
去年も良い年になったし、今年もこれでばっちりかなー。

友人Bちゃんに、フィギュアスケートの選手の応援用の横断幕制作を頼まれた。日本の選手の応援じゃないんだけど。
Bちゃんは世界選手権を見にスウェーデンまで行くんだそうな。なので、横断幕、もしかしたら世界中に放映されるかも(笑)
わたしもフィギュアスケートは好きで、前はCS放送も全部チェックしてたけど、トリノ五輪後はなんとなく気が済んでしまって、最近は全然見てない。
でも今年の世界選手権は録画しなくちゃ~。

オリオン大星雲

昨日の夜、実家に着いてタクシーを降りたら、空の星がさえざえと明るくて、オリオン大星雲がいまだに肉眼で見えるのを確認した。
わたしの視力が落ちてないのもあるし、東京の夜空に慣れたせいもあるけれど、実家に住んでいたころよりも、地元の空は、暗くなったような気がする。
大晦日だったからなのかなあ。

でも、近所のスーパーもつぶれたし、バスの本数も減った。
空がきれいなのはすばらしいことだけど、ちょっとさみしくもある…。

2007年はいい年だった

こないだの展示が終わった時点で、2007年は終了したような気がしていて、つい、今年の出来事を「去年…」とか言ってしまう。

今年は、始まって早々、いくつかの連載がほぼ同時に終わってしまった。
これはフリーランスにとって最も恐ろしい事態で、すごくヒマになってしまった。
その時点でどっかに売り込みにでも行くべきだったのだけど、ちょうど、疲れて、いろんな迷いを感じていた時だったので、今年は好きなことをして遊びながらいろいろ考える年にすることにした。それで、あちこち出歩いたり、たくさん展示をしたりしてフラフラ楽しくすごした。

わたしは原画の販売をしないから、ほとんど何のもうけもなく、完全に道楽。
でも、そんな道楽でも、それなりに種まきになったのかどうか、来年一年間は生き延びられることが、どうやら、ほぼ確定したのでひと安心。
カサ地蔵がモチを運んできた、これで年を越せるぞ!みたいなね。

少なくとも、来年2月から半年くらいは、かなり忙しくなりそう。
忙しいのはいいことだけど、心がすさまないようにしたい。
ほんとうに、楽しんで描くことを忘れちゃいけないなと、心から思った1年だった。
あー、忙しくなる前にやっておきたいことがたくさんあるなあ!