雑記帳」カテゴリーアーカイブ

いろんな表現

今日は大鹿さんのお絵描き教室に行った。

帰りに、生まれてはじめて、デモ行進というものを見た。もの珍しかったのでずーっと見物していたが、最後までなにを訴えているのかよくわからなかった。
人になにかを伝えるのって難しいよなあ、と思った。

フラッシュに挑戦

実家のネット環境は最悪なのだ。
10年前のパソコン+古いブラウザ+ダイヤルアップ接続で、とてつもなく遅い。
わたしは、自分のホームページを作るにあたって、この実家のパソコンでもとにかく開ける、というのを基準にしている。できるだけ誰にでも見てもらえるようにしたいので。
だから、つくりも簡単にしてるし、アクロバットとかフラッシュとか、ソフトをダウンロードしなきゃいけないようなコンテンツは入れないようにしている。

フラッシュについては、会社員時代にさわってみて歯が立たなかったのもあるけど。
イラレやフォトショはすんなり覚えたのに、なぜかフラッシュは全然ダメだった。それで、時間軸のあるものは向いてないのかなあと思ってたけど、最近、ミッフィーのサイトからダウンロードしてきたスクリーンセーバーを使ってて、それを何度も何度もじーっと見ているうちに、なんとなく、できそうな気がしてきた…。ようするにフラッシュ使ってやりたいことのビジョンがなかったからできなかったのかも!

と、強気になって、買ったままずっと放置してたフラッシュCS3をインストールしてみた。これからちょっとずつ、いじってみようっと。
気がかわる前にとりあえず宣言してみた。いつになるかわかりませんが、なんらかのかたちで成果をお見せできればと思います。

パンダと運命

わたしだってパンダは好きだし、そりゃあ、見られるものなら見たいけど、なにも無理に日本で飼わなくてもいいと思う。
どうしても見たかったら中国に見に行けばいい。国際化社会というのならば。(わたしには飛行機という鬼門があるけれど。)

旅行するにはそれなりのお金がかかるかもしれないが、それを目標にしてがんばれば、日々の仕事のはりあいが出るってものだ。と、前向きに考えたほうが、たのしく生きて行けるだろう。
そもそも、なんでもお手軽に見物できるほうが、ありがたくも異常な状況なのだ。
簡単に見られないほうが、見られたときのうれしさだって大きくなる。

それに、たとえ一生パンダが見られなくても、困るかというとそんなことはない。ちょっと探す手間をおしまなければ、お金なんかかけなくたって、面白いことは、ほかにいくらでもあるし、たくさんありすぎて、目が届かなくてがっかりしてしまうくらいだ。
その中のどれに出会えてどれに出会えないかは、運命みたいなものだと思う。

スター

「もう、美空ひばりみたいな国民的スターはあらわれない」というようなことが、さも残念そうに語られることが多い気がするが、それは、はたして憂うべきことなんだろうか。

わたしは、美空ひばりの時代は知らない。
でも、今でも、一過性であったり、局地的な人気だったりしても、たくさんの人がガッと群がるスターはいる。みんな群がること自体が好きなのかもなー、なんて思ったりする。
大勢が支持するものには、それなりにいいところがあると思うし、そういうものをあえて避けるみたいな、スノッブ的な考え方は嫌いだ。

でも、わたしも美空ひばりはいいなあと思うんだけど、群がることにはどうしても気持ち悪さを感じてしまう。みんなが同じ方向を向いている気持ちよさはあるのだろうけど、同時に考えることを放棄しないようにするのは大変なことだろうと思う。

日常の雑事あれこれ

先日実家から送ってもらった、絵本の入ってた古い段ボール箱。
「透明なペットボトル」と大きく印刷されている。それがセールスポイントだったのかと思うと、なんかキュンとしちゃった。昭和63年2月の日付が入っている。20年前というとわたしはまだ小学生だ。

たしかに、昔のサラダ油は、四角い缶に入ってた覚えがある。
でもソースとかお醤油とかシャンプーとかは、それ以前から透明の容器に入ってた。あれはペットボトルとは違ったのかなあと思ってウィキペディアで調べたら、お醤油は昭和52年からペットボトルが使われてたって書いてあった。(いまはシャンプーの容器ってたいてい不透明だけど、残量がわからなくて困る。)

ゴーヤの種をふたたび蒔いた。苗を植えれば確実なのだけど、確実である必要もない。
それと、ほうせんかの種も蒔いた。
園芸に凝るつもりはないので、なるべく簡単そうな品種を選ぶ。簡単だから美しくないってことでもないし。

週末に友人たちが遊びにくるので、部屋の片付けをしたり予備のふとんを干したり。

それから、ふきの煮物に挑戦。
昔から母が「手間がかかる」と言いながら皮むきするのを眺めてたものだが、やってみたらべつに難しくはなかった。でもたしかにかなり面倒くさい。
もうちょっとやわらかくなるまで煮ても良かったな。
それにしてもふきの葉っぱの佃煮が大量にできてしまった。どうしよう。
わたしは少々考えすぎの傾向があるけど、料理してるとあたまが空っぽになるのが良い。

熱帯魚を飼い始めてそろそろ丸4年になる。
最初に、いちばん安いブラックネオンテトラを5匹買ってきて、その後2匹死んだけど、追加はしなかった。
生き残りの3匹は、パイロットフィッシュだったにもかかわらず、なかなか長生きだ。(パイロットフィッシュって言葉、墜落するのが前提になってるのが怖い。)
水槽にも凝る気はないので、ほとんどほったらかしにしていて、このごろはエサも4、5日おきにしかやらないし、水換えも1、2ヶ月に一回くらいだけど、過疎状態でストレスがないのか、魚たちは病気もせずにぴちぴちしている。

でもそろそろ新しいお魚を飼いたくなってきた。
グーラミィ(ナンプラーの原料らしい)とか飼ってみたいけど、ケンカするかなあ。ブラックネオンには寿命をまっとうして欲しいので、その後にしたほうがいいかな。
新たに飼い始めると、また4年後か5年後まで面倒をみることになるから、よく考えよう。
お魚たちは、死ぬときはあっさり死ぬし、死んでも過剰に悲しくはならないところがいい。彼らを見てると、生命に対する過剰なこだわりから解放されるような気持ちがする。

硫化水素

薬剤師をしている母から「硫化水素」という件名のメールがきた。
なにごとかと思ったら、○○○と×××を混合しないように、という注意だった。

○○○と×××というところ、いちおう伏せ字にしてみたけど、これを知って混ぜちゃう(自殺する)タイプと、知らなかったせいでうっかり混ぜちゃうタイプとがいる。
わたしはうっかり混ぜるタイプだと、母は考えたのだろう。
はい、気をつけます。。。

ミッフィーの前にひざまずくわたし

先日、実家の押し入れから発見した、ミッフィーの絵入りのマグカップを、絵本やお絵描き帳と一緒に送ってもらった。これでマグカップ問題は解決。

ただ、気になるのは、ミッフィーの下に、今はなき「あさひ銀行」のロゴが入ってることだけど(笑)

前世

このごろは友人Kと長電話してはこそこそ悪だくみしているのだ。
それで、子どものころ読んだ本や、描いた絵や、好きなもの嫌いなもの、その他ひっかかる点についてあれこれ検証している。

友人Kは、以前に、前世がみえる力をもった人に会ったことがあって、「あなたの前世は、17世紀のインドの僧侶で、手先が器用だったので、カトマンズの王宮に招かれて、宝石職人をしていた」と言われたそうだ。ちなみに友人Kの師匠K先生は「ムガール帝国の兵隊」だったそうな。

もちろん確かめることは不可能だけど、やけに具体的な霊視である。
前世がビジュアルで見えたとしても、その兵隊がどこの国の兵隊なのか、言葉に変換するのは難しいと思われるので、たぶん言葉が浮かぶのだろう。
でも、脈絡もなく、ふとなにかが思い浮かんでしまうのは、絵描きも芝居屋もおなじだ。
友人Kは、たぶんあれは霊視というより「配役」に近いんじゃないかという。で、配役だったら自分にも出来るという。そりゃそうだ。

そこで、じゃあわたしの前世はなんだったのかと聞いてみたら、「タヒチで、くだものを運んだり、ゴーギャンのモデルになって絵にヒントを与えた人」だそうな。
…それってさー、めちゃくちゃいい役じゃん。ほんとに合ってんの~???
わたしは絵的にはどっちかというとゴーギャンよりゴッホのほうが好きなのだが。

ゴッホの「ゴッホの椅子」「ゴーギャンの椅子」は、とても好きというか、気になる絵だ。
でも、ゴッホはあきらかに変だけど、ゴーギャンも同じくらい変な人だったんじゃないかな。一人が耳を切って、もう一人が何ともないわけはないので、ゴーギャンもさぞかし傷ついたろう。
ゴーギャンの『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』という絵は、いちどこの目で見てみたいなと思う。

ま、よくわかんないけど、「くだものを運ぶ人」ってのは、そうかもな、って気がした。

ハチ公から太郎へ

わたしは、岡本太郎の彫刻は好きだけど、絵はあんまり好きじゃない。だってなんだかおそろしいんだもの。個人的にあの筆づかいが好きになれないのもある。

「明日の神話」みたいな絵が、あんな渋谷の駅のどまんなかに飾られるってどうなのかなあ。
あのエネルギーが、日常のなかで薄められて、空気のように扱われるのだ。でも毎日通る人々の心のどこかに怖さは沈殿していくだろう。絵を甘く見てはいけない。

それにしても、渋谷駅に貼ってあった、「ハチ公から太郎へ」ってコピーはどうかと思う。
ハチ公は、そりゃあ忠犬だろうけどさ、ちょっと、太郎も犬扱い、みたいな感じしない?
いまは、犬に太郎って名前つけるのは珍しいかも知れないけど、むかし飼ってた犬の名前が「タロ」だったから(南極物語の影響)そう思っちゃうのかなー。

停電

さっきお風呂場の掃除をしていたら、いきなり停電。
風呂釜洗いをしたり、棚を分解したり、かなり本格的に掃除してたのに、真っ暗。
ブレーカーのせいではなく、近所の家の電気も消えていた。

よりによって、いちばんイヤなタイミング。お風呂に入ったあとだったから服も着てなくて、とほうにくれた。
でも中途半端にするわけにもいかず、とりあえず懐中電灯のあかりで掃除を完遂し、湯沸かしはガスだけど、よくわからなくて怖かったので冷たい水のシャワーをあびた。

で、街灯はついていたし、東京の夜は明るいので、服を着てカーテンを開けて、電気がないとほんとに何もできないので、お茶菓子を食べながらぼんやりしていた。
復活したのは30~40分くらいたってからだったのかなあ。速攻でドライヤーを使った。

そのあと、ネットで停電について調べてみたが、よくわからなかった。
東京電力の停電の情報って公開されてないのかな?
最近は停電って珍しいけど、いざ停電となったら情報は欲しい。
うちの近所だけだったのかなー?なんだったんだいったい…。

悩み

このごろ、あたらしいマグカップが欲しくなって探しているのだけど、ほかの人が描いたイラスト入りのものを買うのもなんだかアレだし、イラスト入りじゃなくてちょうどいいのもなかなかみつからない。
じゃあ自分のイラスト入りのを作ってしまえばいいかとも思うが、自分で自分のグッズを使うってどうなのよ。手芸だと思えばいいのか。手作りグッズで暮らしを演出する主婦のように。
でもなにかが決定的にちがう気がする…。

ビビッとくるもの

今日は、また、妹のウエディングドレス選びにつきあった。
母はもう飽きてきていたし、わたしも30分ほど遅刻したが、けっして妹に対して冷たいわけではない。すでに、前回見たもので良いと、心の中で決定済みだったのだ(笑)。

とくに母は、一見穏和でひかえめなようでいながら、ふだん買い物をするときも、最初にビビッときたものをつかんで離さず、その後もずっと買ったことを後悔したりしないタイプ。
(父のこともそうやって選んだらしいが、両親はいまでも超仲良しだ。なんというか、とても稀なことだと思う。)

でも、今日試着してたドレスもとても素敵だった。
わたしも堪能したので、あとは妹しだい、というかもうどれでもいいと思う。

得がたいもの

最近になって気づいたことは、親友を持たない人はたくさんいるのだということ。
たとえば結婚しない人がたくさんいるのと同じようなことなのかなあ。
それくらい得がたいものであるらしい、親友というのは。
(親友がたくさんいる人もいるし、何度も結婚する人もいるし、いろいろだけど。)

雑用のパワー

わたしはタバコは吸わないが、毎日コーヒーをがぶ飲みするので、ときどき歯医者さんで歯をクリーニングしてもらう。(関係ないけど、去年NYの人たちと一緒に撮った写真ををあとから見て、ニューヨーカーの歯のきれいさにびっくりした)

それで、今日は歯医者さんに行った。
ずっと忙しかったので半年以上も行けなかったのだが、その間に、院内のインテリアの趣味がガラリと変わっていて驚いた。
まず入り口に大げさな電飾があって、待合室の椅子がソファになって、治療室にも、ところせましとステンドグラスのランプシェードが置かれ、ティッシュの箱カバーやら膝掛けの柄がいちいちクドめになっていた。
改装や模様替えというほどではないのだが、こまかく全然違う。
BGMも、軽めの映画音楽からクラシックに変わっていた。

治療のあとにおしぼりが出たりして、けしてイヤな感じではないのだが、なんかいろいろあったんだろうなあー、とついつい思いたくなるような変化だ。
単に雑用を仕切る人が変わっただけかもしれないけど、演出ってこういうことなんだなというか、雑用のパワーってすごいなと思った。

わはは

今日は大鹿さんのお絵描き教室へ。
マティスみたいに、チョキチョキ切り絵。無心になれて、とっても楽しかった。

フィギュアスケート世界選手権の中継、ビデオはめんどうになってとらなかったけど、夜なべして作った応援旗、ばっちり映ってた。わはは。
でもあんまり効果はなかったみたい。あーあ。