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不夜城と成城のあいだ

昨晩は、飲みに連れてってもらって、歌舞伎町の会員制スナックでオヤジに囲まれて演歌なんか歌っちゃったりして、かなり飲んだのだけど、終電で帰ってバッタリ寝たら、今朝は二日酔いもなくスッキリ目が覚めた。

そして、大鹿知子さんのお絵描き教室に初参加。紹介制で、ひっそり開かれている教室なので、詳しいことは書かないけど、絵がうまくなることが目的ではなく、生徒さんたちもいろんな職業で、左手で描いたり、目を使わずに描いたり、すごく面白かった。
それに静かでゆったりした時間は、とても心地よかった。

それから、大鹿さんのお友達のホーム・パーティにおじゃました。
成城学園前の、いかにもハイソなデザイナーズマンションで。
15人もの集まりだったのだが、みなさん素敵な方たちで、楽しかった。
1歩進むたびに、立ち止まって考え込まずにいられない人たちなのだと思う。
いきなり抽象的な会話をはじめてしまうような、生きづらそうなタイプ。わたしはそういうのはもちろん全然アリなわけだけど。ハイソとかなんとかは関係なく、ご同類は、居るとこには居るのだな…。

歌舞伎町も成城も、わたしには場違いなのだけど。

『’07』展、搬入

今日は立体だけ先に搬入してきた。宅急便だと心配だったので。
発泡スチロールだから軽いんだけど、尖ったものがぶつかるとヘコんでしまうのだ。

出かけたついでに、友人Kのインタビューが載ってる雑誌を買った。
いつもそうだけど、雑誌の中の友人Kはわたしの知ってる友人Kとは違って、自信に満ちた、働くカッコイイお姉さんみたいな感じだった。
うーん、、、どうだろうそれは…。
そんなカッコイイお姉さんなんて、もしかしたら、雑誌の中にしかいないんじゃなかろうか。

寒い朝にはあつあつのフレンチトースト

先月よばれた結婚式の引出物で卵焼き器をもらった。
四角いテフロン加工のフライパン。フレンチトーストを焼くのにぴったりの大きさ。
もともとそんなに好きではないんだけど、焼くの自体がやけに楽しい。
すっかりはまって、豆乳で作ったり、トッピングを変えたりして、あれこれ試しては、パクパク食べている。食べ過ぎ。

世界を包み込みたい

わたしには他人の気持ちがよくわからなくて、自分以外の人間に心があることを忘れてしまうことさえあるけれど、わからないものはわからないままでもいいから、まるごとわたしのなかに包み込んでしまえればいいのにと思う。
わたしは、わたしの居場所を見つけたいのでも、作り出したいのでもなく、居場所そのものになってしまいたいのだ。

気分転換

先月まいた、はやどりチンゲンサイ。
間引きしないとどうなるのかな、という実験精神(ものぐさともいう)のおかげで、プランターにこんなにてんこもりになった。どうやって食べようか…。

夜は、劇団桃唄309「三つの頭と一本の腕」を観に行った(駒場アゴラ劇場)。あかねさんが客演してたので。
山奥の村(?)を舞台にした、伝承やら愛憎やらからんだ重~い話。でも、密度がありつつも、スピーディでさっぱりした演出で、面白かった。
登場人物のほとんどが同年代という設定には無理があるのかもしれないけど、たぶんその設定のおかげで面白くなってたから、いいんじゃないかな。
自分とはまったく関係のない物語だったので、とてもいい気分転換になった。

***

なんとなく今月はあと一日あるつもりでいたんだけど、明日から12月かあー。

あ、大丈夫です…

昨日は、落ち込んで一日中ふとんをかぶってた。
一昨日たくさんの人に会った反作用で、いつものことだから大丈夫。
あーあ、髪を切りに行きたかったのになあ。
ダメ人間はダメの十字架を背負ってくしかないし、さっさと立ち直ろう。今日はギャラリーにいる当番だし。

後刻。
今日は平日でギャラリーはすいていたので、お客様と落ちついてゆっくりお話しできた。
どうもありがとうございました。
ヒマな時間には、ウトウトしたり、次の展示のアイデアを練ったりしていた。
こういうときに、なんかひらめいたりするものなのだ。

だめだ

今月は、ほんとに絵のことばっかり考えていた。
それはつまり自分のことばっかり考えてたってことだ。ほとほとイヤなやつだ。
わたしに他人を思いやる気持ちが芽生えたりすることってあるのかな。
たぶん一生ないんじゃないかと思えてきた。
ああもう、人としてだめだだめだだめだー

やさしくなりたい。

メラメラ

お茶を沸かそうとコンロに火をつけてから、お皿を洗っていて、はっと気がついたら、まな板がメラメラと炎をあげて燃えていた。
あわてて火を吹き消して換気扇をまわした。
プラスチックのまな板だったので、融けると透明になって、ねばーっと延びて、新潟銘菓「飴もなか」にそっくりだった。

いやはや

去年のいまごろは個展の準備でもうとんでもないことになってたけど、今年のいまごろもなかなかどうして大変なことになってるなあ。ははは

ショートプログラム

わたしは映画やドラマを見るのが苦手なのだ。
お芝居をみるのは大好きなのだが、映像になるともうダメ。まず、他人(カメラ)の視点で画面を見ることを強制されるのがイヤ。監督のペースで場面がつぎつぎに切り替わるのにもついていけないし、登場人物も覚えられないし、伏線は忘れるし、ストーリーを追えない。
だからよっぽど美しい映像または珍しい視点でもない限り、すぐ飽きてしまう。最後までみても、よっぽど心にひっかかる内容でなければ記憶に残らない。

反対に、いきなり悲しい場面だけみて、前後関係がわからなくても大泣きできる。
映画とかいろいろ知ってないとなんかバカみたいに思われたりするし、資料として映画を見ないといけないときとかは、けっこうきついものがある。
お芝居なら目の前に役者がいるので、時々目を離してもなんとか状況がわかる。映像でも、バラエティとか、PVとか、集中しなくてもいいものなら見ていられる。
集中できるのは、フィギュアスケートのショートプログラムの長さくらいが限界。

そこへいくと、小説なら、自分のペースで何度も読めるからありがたい。
絵や写真は、動かない物体だし、好きなだけ眺めていられるから好き。音楽は、たいていそんなに長くないから、映像よりは大丈夫だけど、一回聴いただけではまず覚えられないし、そんなにたくさんの音楽は聴けない。新しい曲を聴くと情報が多すぎてちょっとしたパニックを起こすので、音楽が欲しいときは、気に入った曲だけ何百回もリピート再生してたりする。iTunesで一番再生回数が多いのは、くるりのワールズエンド・スーパーノヴァ。
わたしの中には、時間軸というものがないのだな。
あたまがミニマル。フランク・ステラ好きだしなあ。

あっ、でも映画が嫌いなわけじゃなくて、好きなのもあって、あんまり観てないからたくさんはあげられないけど、「ショコラ」とか「ファニー・ガール」とか「バグダッド・カフェ」とか…。

リバウンド

今週は、なんかちょっと放心してた。そしたらダイエットのリバウンドがきた。
今朝は、一番古株のサボテンの鉢をひっくり返して割ってしまった。
きゅうに寒くなったので室内に入れなきゃ…と思ってたとこだったのに、こんな時期に植え替えなんて、サボテンに申し訳ない。
さっきふと水槽の温度計をみたら、17℃だった。ありえない。あわてて防寒。でも南の国からやって来たお魚たちはあんがい平気そうだった。

放心してたといってもなにやら切れ切れに考えてはいた。
たとえば、もしわたしがイラストレーターじゃなかったら、家じゅうの家具という家具にデコパージュをほどこし、壁という壁はステンシルの模様で埋め尽くし、ファブリックは当然のごとくパッチワークと刺繍で飾りたて、柱という柱には華麗な彫刻を刻み付けるであろう…という一種の恐怖についてとか。

それから、絵を描くのって微分積分っぽいなあ…とか。全体は絵に見えても細かい部分を拡大するとそれは単なる線とか点とかで、ぜったい他人にはわからないレベルでああでもないこうでもないといじっている、無駄なような無駄ではないような作業の積み重ねという意味で。
数学はもう忘れたんでおおざっぱな考えだけど。

同級生の結婚式

高校時代の同級生で、今は産婦人科医の、Hさんの婚礼に出席。
お相手の方は植物燃料の開発をしてるとかで、人類の未来をしょってる二人だ。
いかに産婦人科が過酷であるかとか、帝王切開はスピードと連携プレーが大切だとか、いかにガソリンが値上がりしてるか、などなど、難しい話をいっぱい聞かされたが、なかなかよいお式と披露宴で、お料理もおいしくて、素直に感動した。ブーケトスとか余計なことがなかったのも清々しかった。

わたしは昨晩も徹夜してたので、お酒飲んだらあたまの栓がポンと抜けてしまった。
余興のとき黒人のシンガーが出てきて、なぜかいきなり手を取られ、うっかり調子に乗って一緒に歌い踊ってしまったのだけどあれは幻だったのだろうか??

それにしても、ワンピースなんて着たのは超久しぶりだなあ、という以前に、ストッキングをはいたのがなんと約1年半ぶりだと気づいて愕然。(前回いつストッキングをはいたか覚えてるあたり、どうかしている。)

同級生のほとんどの子は理系で、考え方が合理的なので、話してて変なストレスがない。
女子としては変わり者ばかりだけど、みんなさりげなくバリバリ働いててカッコイイ。まだ半分以上が独身だったりして、少子化社会はつまりわたしたちのせいなのだが。
今日出席した7人中6人の髪がショートカットだったのには笑ってしまった。
当時の担任の先生が、最近、学校の機関誌に、わたしのことを書いたと言っていた。なんで??先生、いったいなに書いたんですか~、一冊送ってくださいよね!

というわけで、今日はとても楽しい一日だった。

かぼちゃ煮

かぼちゃの煮物を作るたびにおばあちゃんを思い出す。
おばあちゃんが煮たかぼちゃがおいしかったから、作り方を聞いてみたら、「おいしいかぼちゃがあったら、その種を取っておいて、育てたかぼちゃの中から、またおいしいのを選んで、種を取って…」と言っていた。

そんなことを聞いたわけじゃないんだけどなあ。

昨日の続き

昨日の日記を読んだ友人Kからの補足メールがきた。
わたしの絵は、密度と重さがあって、「不思議」で「楽しい」んだそうだ。
友人Kは、みっちりつまってると、嬉しくなるらしい。
密度が高いのを楽しいとか嬉しいとか思うかどうかには個人差があるだろうが、言われてみれば、友人Kの作る芝居も、みっちりいろいろつまっている。こんなところに共通点があったとは~。

でも、わたしの絵は「さみしい」とか「孤独」とか「暗い」とか「怖い」とか言われることのほうが多い。わたしとしてはそれはまったく狙ってないし、そうなのかなあ??という感じだが、これだけ言われるんだから多分そのとおりなんだろう。
今まではそういうふうに言われると、なんかネガティブに受けとめていたけど、言った人はべつにけなすつもりで言ってるわけじゃないのかもしれないので、これからは、さみしくて暗いとこが良いと言ってくれてるんだと思うようにしてみよう。
でも狙ってそうなってるわけじゃないからそこを伸ばすのはなかなか難儀だ…。

本人は孤独どころか今日も「ああわたしには大好きな人がたくさんいて幸せだ~」とかなんとか思ってたりするんだけどな。

***

居場所の話に戻ると、どうもわたしの居場所は、世界とはちょっとズレたところにある。
世界は、わたしとは全く無関係に存在している。それを外から眺めながら、世界との距離感を測っている感じ。

自分もその世界の中に居るのだという感覚がないから、大人になってもなかなか世に出ようと思えなかったし、他人の存在になにかの拍子にはっと気がついてドギマギしたりしている。
前川さんの考え方とはまったく逆みたいで面白いな。
だから、前川さんや、友人Kや、好きな人たちがいるおかげで、わたしは世界とのつながりをどうにか維持できてるんだろうなと思う。

プアール茶の威力

最近、だいたい一週間に1kgのペースで、体重が減っている。
今月の頭にダイエットしようかなーなんて日記に書いたけど、書いただけで、とりたてて運動もしてないし、ご飯もたくさん食べてるし、生活も不規則なまま。
体調も悪くないし、思い当たる原因としては、お茶をプアール茶に変えたことくらい。
わたしはずっとプアール茶の匂いがだめで、飲めなかったのだけど、たまたま試してみたらなぜか飲めるようになってて、しかもすっかりハマって、このごろは毎日やかんでわかして3リットルくらいは飲んでる。プアール茶ね、…効くよ。
でもこのままのペースで減っていったとしても、もとが多いから、わたしが消えてなくなるのはまだまだだいぶ先だけどね。