ラヴ・レターズ

きょうはパルコ劇場で「ラヴ・レターズ」を観た。
男女二人の朗読劇、昨年で20周年だそう。今日の出演は岡本健一×奈良岡朋子。

学生のときにいちど観ているのだけど、そのときの出演者は忘れてしまった。内容は面白かったのでけっこうおぼえているつもりでいたんだけど、そっかあ、このヒロイン、絵描きっていう設定だったんだなあ。
昔観たときは、大人の恋の話で素敵だな、って思った気がするけど、いま観ると、なんだかいろいろうまくいかないもんだよね、って話のような気もした。

最近強く思うんだけど、絵を描くことで、すべての心の隙間を埋めることはできない。じゃあ他のことで、隙間が埋まるかといったらそんなことはなく、それぞれの隙間は、それぞれに合ったピースでしか埋められないのだと思う。

でもべつに、隙間を埋めつくすことが目的で生きてるわけでもないし、絵を描くのは、隙間を埋めるためでも、病んだ心を癒すためでもない。
絵を描くことには時間も労力もかかるし、犠牲になってしまうこともある。でもそれは絵を描くことでは絶対に取り返せない。

絵は他の何かの代わりにはならない。かといって絵の代わりになるものもない。それでも絵を描くことしか出来ないんだから、しょうがないと思うしかないなあと。
わたしにとっては絵だけど、それが絵でなく他のものだったとしても同じだと思う。
ま、これは舞台の感想じゃないけどね。

親切な人になりたい

もう2月になっちゃったけど、今年の目標は、親切な人になることです。絵でも、絵以外でも。

仕事で描く絵では題材が与えられるから、きちんと伝えようという使命感があり、わりと見る人に親切にわかりやすく描けていたと思うんだけど、仕事以外の絵(=絵の具で描いてる絵)のときは、どうもそれができてなかった。

イラストレーションだからとかアートだからとかいうことはどうでもよくて、まず絵をみて欲しいし、絵を見たらなにか楽しみや喜びをみつけて欲しい。
わかりやすくすることは、見る人に媚びることではないと思う。とりあえず、入り口を広げてあげましょう、という感じ。

いま開催中のアメリカでの二つのグループ展のための絵を1月には必死に描いていた。
あちらの人たちの趣味志向に合わせようとは思わないし、そんな器用なことはできない。
ただ、草原の真ん中で人がたたずんでる絵とかを持って行こうとは思えなかった。あの絵は自分では気に入っているし、わりとよく描けたと思ってるけど、どことなく弱い。

今回は、絵を販売するという前提で参加したので、アメリカに送っちゃったらもう二度とその絵には会えないかもしれないし、気に入らないところをみつけても二度と手直しできないのだと思うと、丁寧すぎるくらい丁寧に、ものすごく真剣に描かざるを得なかった。
それで、なんだかちょっと一皮むけたかもな、という実感を持った。

今までわたしは絵の原画に値段をつけたことはあるけど、実際に売ったことはない。
今回はアメリカだけど、それがどこだろうと、当然このくらい丁寧に描かなくちゃいけない。時間をかけすぎたので、実際売れても全然割に合わないんだけど、そういう問題ではない。

こういうところが甘かったなあと反省した。

そういう意味では、今までの絵の具の絵はぜんぶ練習で、プロの仕事じゃなかった。2006年暮れの個展のときの作品が、ほとんどはじめて絵の具で描いたようなもので、それから4年、ちょこちょこと、グループ展などで絵の具の絵を描いてきた。

はじめは、世界で数人だけが気に入ってくれたらそれだけで嬉しいという気持ちだった。
そのときそのときにできるかぎりのことはしてきたつもりだし、絵を気に入ってくださる方もいたし、それは小さな自信になった。

好きな世界を描いて、自分でも気に入った絵もあったし、気に入らない絵もあった。
でも、PCで描く絵に比べて決定的にインパクトが足りないのはわかっていた。

絵のサイズや描き方とか、グッズをつくってみたらとか、アドバイスしてくれる人もいた。
藁にもすがる気持ちで、アドバイスしてもらったことはできるだけ試してみようと思ったし、自分でもいろいろ考えて、PCの絵に似せようとしたり、やったことのないことを試した。
それでかえって絵が雑になって荒れてしまったり、変に感情的になったり、失敗もした。

でも、いろいろやってみて、ひとつわかったことは、やっぱり、わたし以外の人には、わたしの絵がどうしたら良くなるか本当はわからないし、(アドバイスしたくなるってことは、なにかしら物足りなかったのだろうけど)結局それは自分で見つけるしかないのだということだった。

作品を手放すのが嫌だった時期もあった。絵を描いた枚数が少なすぎて愛着が強かった。最初のころの絵をいま見ると、ヘタクソさ加減や、それでもすごく丁寧に描いている感じは、自分がどのくらい進んだかあるいは道を誤ったかの目安になるので、取っておいてよかった。

でもそれ以上に、やっぱりあれは人様に売れるような作品ではなかった。
今だって絵を手放すのは寂しいけど、それが手元に残らなくても次の絵を描くことができる。

毎回毎回、自分が「新しい」とか「面白い」と思える絵が描けたら、人がどう思おうと、自分が現代人である以上、その絵はそのときどきの時代を表しているはずだし、そうでなければいけない。「最先端」感をもって一枚一枚描いていかなくてはと思う。
絵の価値は、新しいことだけではないけど、過去の絵を描き直すことはもうできない。

毎回絵を描くたびに、どうやったら完成させられるんだったか忘れてしまう。
間違えてはやりなおし、間違えてはやりなおしの繰り返しで、すごく効率が悪い。
だから絵を描いてるあいだはずっと五里霧中で、つらくてつらくてしかたない。
描きながらいつもイメージしてるのは、「鶴の恩返し」の鶴が機織りしてるとこで、こんな必死の形相で作業してるとこ見られたら、そりゃ逃げ出したくもなるぜと思う。

いまは次に描く絵のアイデアを練っているところ。
この段階が一番楽しくて、早く描きだしたくてウズウズしてるんだけど、描きはじめたら地獄なんだよね。。。

呪いの筆

いちど握ったら死ぬまで描きつづけなきゃいけない呪いの筆とかあったらやだなー。
呪いで手から筆が離れなくなっちゃう。そんで昼も夜も勝手に手が動き続ける。。。赤い靴みたいに!!

いろはCarta展

『いろはCarta展』(外苑前、ギャラリー・ダズル)に出展します。

1月25日(火)~2月6日(日)12:00~19:00(月曜休廊、最終日17:00まで)

青木カナ/あさみいこ/あす/池田八惠子/いけべけんいち。/出雲遊/板橋史子/市川令子/伊藤さちこ/岩清水さやか/イワタニシューコ/上路ナオ子/うつみちはる/大窪洋子/大場綾/片山なのあ/金子正美/かぶらぎみなこ/カワナカユカリ/木波本洋子/クボ桂汰/くぼたたま/上坂じゅりこ/小鹿あきこ/小牧真子/小松容子/佐伯朋子/佐々木一澄/ササキエリ/サトウコウタ/佐藤桂輔/さわたせり/さわだりえ/志佐なおこ/清水智子/JUN OSON/たかぎ*のぶこ/高木はるみ/坪井樹里/tent/友田シトウ/名取あき/根津あやぼ/ハラシマアツコ/真昼/まゆみん/みやかわさとこ/由女

スカイツリー

スカイツリーの高さがいま559mってことは、500m超の山がない千葉県よりも高いってことで、むかし通った小学校(千葉県の真ん中あたり)の三階の音楽室の窓からは晴れた日には富士山が見えたけど、いまならスカイツリーも見えるんだろうか?

LA展示について

今年はロサンゼルスでいくつか展示に参加します。

あちらのキュレーターのCaroさんが、ブログでわたしのことを紹介してくれました。(いきなり彫刻からというのにはちょっと驚いたけど)
主に12/19のわたしの日記が元ネタになっているようですが、英語のほうが端的でわかりやすいかも。arigato!!
うーん、アメリカにあの子を抱えて連れて行きたいなあ。。。
発泡スチロールだから軽いんだけど、わたしと同じ身長で、かさ張るんだよね~

グループ展「What is Q?」(1/29~ Q POP shop and gallery、ロサンゼルス)
今井 杏/eimi/森 宏/玉石佳世/Marrontic/青山奈々(Marie)/Nico/
Ogawa Keiko/Ra’yka/岩清水さやか/真珠子/Tammy/高橋由季

グループ展「Real Japanese Kawaii」(2/5~3/2 GIANT ROBOT、サンフランシスコ)
eimi/森 宏/玉石佳世/Marrontic/青山奈々(Marie)/Nico/
Ogawa Keiko/Ra’yka/岩清水さやか/真珠子/Tammy/高橋由季

集中

いま死んだら過労死だ。。。

絵描いててすごく集中すると寒さも気にならなくなるんだけど、そういうときって熱とか出てるのかな。。。

 

ほぼ平年並み

新年おめでとうございます。東京に戻りました。
これから年賀状の絵を仕上げて、あさって印刷屋さんに入稿できたとしても、連休があるらしいから、出来上がりはいつになるのかなー。
お年玉つき切手はたくさん買い込んであるのだけど。。。抽選日が23日だからそれまでには出さねば(ほぼ平年並み)。

バンドごっこ

突然、大鹿さんから「バンドやりませんか」というメールが来たのが9月のはじめだった。
9月中旬、大鹿さんの個展会場のアートトレイスギャラリーにとりあえず3人、集まった。

本業がパイプオルガン奏者の原田さん以外、バンドらしい楽器なんてできないので、おもちゃのピアノに、ピアニカ、マラカスや鈴などのこまごまとした楽器をかき集めて、適当にうちならしてみたり、ワーワー大声を出したり、口笛をふいてみたりした。
音の反響がすごく良いコンクリートの建物だったので、それだけですごく楽しかった。

バンド(?)の名前は、大鹿さんのワークショップの名前「星舟庭」に決まり、何回か練習してから、個展の最終日に、数人のこころ優しいお客さんの前で演奏をした。

ところがこれがひどい出来だった!、、、とわたしと大鹿さんは思った。
所詮ぐっちゃぐちゃの即興なので、お客さんには出来の善し悪しなどわかるはずもなく、プロの演奏家の原田さんによれば、いつもと同じだった、ということだったが、、、
何回かやってるうちに飽きて、最初の新鮮さやエモーションが無くなってしまった。

ようするに、なんか楽しくなかったな~、おっかしいな~、ということだ。
自由に遊び続けることは本当に難しくて、飽きないためには多少のルールが必要だった。
その場かぎりのバンドごっこのつもりで、まさか続けるとは思ってなかったけど。。。
しかしこの時点でなんと次のライブ(虫フェスにゲスト出演)が決まっていたのだった!

虫フェスは昆虫を捕まえたり、食べたり、図案を作ったり、昆虫好きな人たちのお祭り。
わたしたちはそれほど虫好きではないけど、大鹿さんの教え子の方が運営に入っていた。
それで虫をテーマに、30分くらいで、と考えたら、少しだけまとまりがでてきた。

10月は予定が合わずに一度も練習できなかったけど、11月に入ってからは毎日練習した。
こんどは、不思議なことに、練習するたびに演奏することが楽しくなっていった。

そして11/6に、100人以上の虫ファンの前で、変てこな演奏を披露したわけだったが、さすがにゲテモノ食い(失礼)の方たちは好奇心が旺盛なのか、心が広くて優しかった!
手拍子がおきたのには驚いた。アンケートも好評だった(初めて見るものだった、とか)
そりゃあ、あんなもの見たことあるわけがない。

あとでこのときのビデオをみたら、たしかに案外悪くなかった。良くもないけど。
とにかくほんとに今まで見たことがないカオスな何かが映っていた。

音楽って、たくさん練習が必要で、選ばれた人だけができるもののような気がしていた。
それに大人になってから楽器を上手に演奏できるようになるのはものすごく大変だろう。

わたしはなんでも本気でやりたいタチで、本気じゃないならやらない、となってしまう。でも、うまく演奏することを絶対に目指さなくてはいけないわけではないのだ。
ただ息を合わせて遊ぶ、ということだったら、いつでもできるんだな、と思った。
小学校のときにみんなで合奏したように、大人になっても合奏することができる。それに無理矢理学校でやらされるよりも、今、好きなようにやったほうがずっと楽しい。
もちろんたくさん練習して、うまくなったら、きっと、もっとレベルの高いところで、演奏者同士、共鳴し合ったりして、もっともっと楽しくできるだろう。でも、へたくそはへたくそなりに、息をあわせる面白さを味わうことができる。
ルールがほぼない(というか知らない)分、素人の方が難しいこともあるかもしれない。

絵描きやってると、人と息を合わせて何かするということが少ないので新鮮だった。(いろんな人とお仕事するけど、持ち場は決まってるし、作業自体はいつも一人だから)
それに誰とやってもいいのではなく、この3人だからこその磁場が生じているのだろう。

で、その後はというと、、、
アルバム作ろうとか、海外ツアーに行こうとか言ってます。。。むちゃくちゃだw
なんとなくここまで調子良く(?)きたら、欲が広がってしまったようで。。。
面白いことはもっと面白くやりたくなって当然だし、やるなら誰かに聴いてほしい。
人前でやるとなると、見た目とか、動きかたとかも、もっと考えないといけない。
子供相手にならず大人が楽しめて、アートっぽくならず、お笑いに走らず、、、と、やっぱりモノつくりに関わる人間なので、じつはいろんな美意識があったりする。
お手本がない独自の道なので、、、どうなっていくのかわかんないけど、こんなバンドがひとつくらい存在してもいいんじゃないかなとは思う。

パラ・デ・トーキョー

最近、ある方の紹介で、両国にある「するところ」さんの活動を知った。するところさんは印刷会社で、毎月、子供向けのワークショップを行っている。
それで、23、25、26日の3日間行われた「パラモデル」さんのWSに参加した。

一日目は「水道管ゲーム」のカードに描かれた水道管を、参加者が好きな物(木の枝、電気コード、ジッパーなど)に置き換えて描いた。
同じテーブルにいた男の子の、モチーフ選びの発想がすごく面白かったんだけど、絵を繋げられるようにするというルールにおさめるのがなかなか難しそうだった。

二日目は、まず街に出て好きな建物などを写真に撮ってきて、印刷工場でプリントしてもらい、写ったものを自動車に見立てて落書きした。
これにはまず、元の建物の機能をある程度理解する必要がある。
それが紙の上では全然違った物に見えてくるのを面白がるということなので、出来上がった絵を見れば誰でも楽しめるんだけど、いざ自分でやろうとすると、頭の中でかなり抽象的な価値転換の作業をしなければならない、知的な遊び。単純に写真の上にきれいに落書きをするだけでも楽しいだろうけど、本気でやろうとすると、大人でもかなり頭を使う内容で、脳みそが疲れた。
最初に何の写真を撮るかでほとんど勝負は決まっちゃうなあと思った。そして、最後には、できた絵を壁に張りめぐらして、巨大な駐車場に見立てた。

三日目には、一日目に描いた絵の中から繋げやすそうなのを選んで、印刷&カットして大量のカードにしたものがすでに用意されていたので、みんなでそれをどんどん繋げて、床じゅうに大きなネットワークを作った。
子供たちはこれが一番楽しそうで、あっというまに広い床が埋まっていった。
わたしの描いた絵もカードにしてもらえたので、実際に繋げてみて、もっと繋げやすくするには繋げ方のバリエーションを増やさなければいけないし、連結部分のカードを工夫すればもっと面白く遊べたのになあ、と反省した。
ある単純なルールを決めて、正確に理解し、利用して組み立てていくことで、あれだけ大きなものを短い時間で作っていけるというのがとても面白かった。

水道管ゲーム

水道管ゲーム

  • 出版社/メーカー: トミーダイレクト
  • 発売日: 2003/10/30
  • メディア: おもちゃ&ホビー

忘年会シーズン

昔は飲み会って好きじゃなかったけど、最近は面白いと感じるようになった。
昔は、話す内容もないのに自分のことを話そうとしては嫌な気持ちになっていたが、わたし以外の人の話を聞くほうが知らないことだらけで断然面白いし、偶然隣に座った人が今までどう生きてきたのか知るのはとても興味深いことだ。

可愛いと怖いについて

わたしは怪談の挿絵を描かせていただくことが多いのだけど、可愛いイラストを描く人、という扱いもしていただいている。
自分では、自分の絵が、可愛いとも怖いとも思っていなかったが、まあたしかに、可愛いと言われてみれば可愛いし、怖いと言われれば怖いとも思う。

発注を受けて描くのではないときに、完全に自分の好きなように描くと、だいたい、世界の不思議さを見つめる人(と、そのまわりをとりまく世界)の絵になる。
わたし自身怖がりでつねに不安を感じているし「不安」はわたしのテーマと言っていい。
怪談の挿絵でも描いているのは漠然とした不安で、怖さの核心は文章にまかせている。
その上で文章のように絵を読み解き、頭の中で物語を組み立てることでじわじわくる怖さ。

挿絵だったらそれでいいのかもしれない。でも、そこで思い当たったのは、じゃあわたしは絵だけで一瞬で「怖い」と感じさせる絵を描けるだろうか?ということ。
「不安」よりも、強烈なインパクトや驚きを与える絵。そういう絵はあり得ると思う。

また「可愛い」にも理屈っぽい部分があって、ただ小さかったり奇麗だったりだけでなく、今まで観たことがないものに出会った驚きが、可愛い!という言葉になる場合がある。安心できるような優しく甘い可愛らしさではなくて、刺激的な可愛さのほう。

一撃で観るものの心臓を突き刺すことができるという点で、可愛いと怖いは似ている。
ストレンジなことを発見した驚きやときめきは本当に一瞬のものだけど、そういう感情の動きに飢えている、求めている人はたくさんいる。(ただし、一瞬の驚きだけで飽きられてしまうのは一番よくない)
怪談ブームもそうだし、怖いもの、可愛いものを求める人たちのパワーってすごい。
怖い、可愛い自体より、心臓を突き刺すということに興味がでてきた。

怖いは、突き詰めると「死」なのかなと思う。つまり人間には理解できないもの。
グロい絵を描く人はわりと多くて、骨や血や内蔵を描きたい人はよくみかけるし、ゴス系とか、和風とかのパターンがある。需要もあるんだと思う。
でもそういう方向は、ほんとうにそういうものが好きな人たちにまかせて、わたしは、ただシンプルに突き刺さる怖さを模索したい。

でも、例えば闇から手がにゅっと出る絵は、挿絵なら怖いけど一枚絵だとお笑いになる。鬼とかお化けの絵を描いても現代人には通用しないし、怖さを描くのって難しい。
ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」は、物語を知らなくても文句なしに怖いと思う。あの怖さを、血とか肉とかを描かないで表現することはできないだろうか。

また、可愛いにしても、結果的に可愛くなってしまった、ではなくて、もうちょっと意識的に、狙って可愛く描いてみたいと思う。今まで無意識すぎたから。
それでいて媚びた嫌らしいものにならないようにするのは難しいけど、ある程度狙った方が、見る人にも理解してもらいやすくなると思う。
不安な感じはいつでも描けるし、わたしの場合は何を描いても結局出てしまうので、しばらくは意識的に、怖い、可愛いについて考えてみたい。

愛読者カード

8歳の男の子が、「怪ダレ5・悪霊の教科書」の愛読者カードに、挿絵を真似して描いて送ってくれたのを見せてもらった。
ひ〜可愛すぎる!!!こんなこと予想してなかったけど、子供の落書きネタになるなんてうれしいなあ!!!