世界陸上、観戦してきました(その1)

今日は、朝から新幹線に乗って、大阪へ。世界陸上を見るために。
東京はだいぶ涼しくなったけど、大阪はまだ真夏。
夜の部が始まるまでけっこう時間があったので、大阪城に行って、天守閣にのぼって秀吉の陣羽織を着たり、マラソンのコース(テープが貼ってあるのですぐわかった)を歩いてみたりした。

そして長居陸上競技場へ。この日は、スタンドはほとんど満席。
わたしたちは、棒高跳びで跳んでる選手がちょうど目の高さに見える、良い席だった。
車椅子競技も男子棒高跳びも4×400メートルリレー予選も十種競技も女子5000メートルも、女子4×100メートルリレー決勝もすばらしかった。なんかわかんないけどもう大興奮!

わたしの中の織田裕二が目を覚ました。

そして、男子4×100メートルリレー決勝。
ちょうど目の前が、第2走者から第3走者へのバトンタッチのあたりだったので、すぐそこのとこでアメリカのタイソン・ゲイがウォームアップしてた。
それにジャマイカの第4走者のアサファ・パウエルのいる場所もちゃんと確認してた。
でも、スタートしたら、もう、とにかく日本チームを目で追うのに必死で、ゲイもパウエルも全然見えなかった。だって、奴ら、ほんとに速いんだもの~。

わたしの中の織田裕二も大暴れ。ギャーギャー叫びすぎてノドが枯れた。
テレビの中継で見てたときは、わたしだって、織田裕二ウザイなあ…と思っていたさ。でも、あの場にいたらわたしも織田裕二みたいになっちゃうんだ、ということがよくわかった。
選手はもっとすごい振幅で興奮したり歓喜したり落胆したりするわけでしょう。信じられないな。

走った直後、なんともいえない表情で客席に挨拶した末續慎吾選手に、客席の女子はみんなガシッとハートを奪われた。あれはヤバイ、カッコ良すぎだわ!
帰り、号外が配られていた。変わった紙だったのでよく見たら、インクジェットプリントだった。ホテルについたらもう深夜。これじゃあ大阪の人でも行きづらいだろうな。でも大阪在住だったら、やっぱり見に行くべきだったよ(と、織田裕二も言ってたらしいけど)。

夏の終わり

今週の前半は、なんだかちょっとだるかった。
これはいわゆる夏バテというものだろうか?
いままで夏バテに縁がなかったのでよくわからない…。
あ、もしかして、うなぎ食べそこねたからかな…。

ケータイサイト

この日記は、はてなダイアリーだから携帯からでも読める。
でも、本業のイラストのホームページについては、絵が主体だし、営業用だし、わざわざ携帯で見る必要はないだろうと思っていたので、とくにケータイのためのサイトは作ってなかったのだが、いつのまにやら、本人も知らない間に、携帯でも見られるようになっていた。

最近までずっと古い携帯使ってたから気がつかなかったけど、いつから?
しかし画像が小さいなあ…。だいぶ圧縮されているので、画質の悪いのもある。
そこまでして見なくてもいいんじゃないかと思うんだけど、需要があるのかな???

それにしても、このところ、イラストのページよりもブログのアクセス数の方が多くなってて本末転倒なので、ホームページのリニューアルを画策中。考えてるときがいちばん楽しい。

クールビューティー

日本のフィギュアスケートの選手の顔つきは、歌麿とかの、浮世絵の美人画によく似ている。
ポイントは、目よりも口元だと思う。ちょっと受け口っぽい選手が多い気がする。ジャンプとかやってると顎が発達するのかなあ。

さっき、女子選手がならんでる映像を見て、美人画から抜け出て動き出したみたいで、すてきだなあと思った。
これからは、固いものを良く噛んで食べて、顎をきたえよう。もう遅いか。

見る阿呆…

友人Rと、高円寺の阿波踊りを見に行ってきた。
本場ではないとはいえ、今年で51回目だそうで、かなりの熱気。
通勤ラッシュよりすごい見物人の山。汗ばんだ腕がくっつきまくって気持ち悪い…とかなんとか思ってたのははじめのうちだけ。
気がついたらぽかーっと口を開けて手拍子してた。阿呆だ。
やや、やばい、わたしもまじって踊りたい!太鼓たたきたい!ってか連に入りたい!
踊ってるのは女性が多くて、女踊りはもちろん、女の人の男踊りもそりゃあ素敵なんだけど、やっぱり男踊りは威勢のいい兄さんたちがやったほうが、動きのキレがよくってカッコいいな。
見物人が飛び入りで踊ることはできないのだけど、それでよりいっそう、すぐ目の前で踊っているごく普通の人たちが、まるでスターみたいにまぶしく見える。
本場の阿波踊りも行ってみたいもんだ。ていうか、明日も高円寺に行っちゃいそうだ。

舞台芸術の世界展

東京都庭園美術館「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」展に行った。
レオン・バクストの衣装デザイン画、それに、ジョルジュ・バルビエのリトグラフ。
うーん、素敵。もー、大好き。
舞台デザインの絵もたくさん。アバンギャルドで、もう自由自在だ。

数年前、高円寺の明石スタジオでやった芝居「ネクスト・アパートメント」の舞台装置をデザインしたときのことを思い出す。
あれは、会社をやめてすぐのころで、会社員時代(たった2年間だけど)に固くなった頭をまだひきずっていた。
今ごろになって反省したりして。

前川さんのライブ

小説家の前川麻子さんが歌のライブをやるというので、駆けつけた(渋谷WASTED TIME)。
前川さんは今週40歳になったとのこと。
六本木キャラメルで、前川さんと相島一之さんとDJ星野さんで歌ってたのがちょうど10年前だ。あのときも素敵だったけど、前川さんは相変わらず若々しくて、そしてちゃんと40歳に見えるのがますますカッコイイ。
音楽をいつもやってる人たちはわりとユル~い印象があるけど、前川さんの歌はすごく緻密で、ひとつの世界観がそこにある、という感じだった。
一声歌いだした瞬間から、ただ者ではない雰囲気でグッと引きつけられる。
そういう力は誰にでもあるものではないし、努力してできることでもないが、なによりも強い。
ほんとに、何やってもサマになる人っているもんだなあ~と思った。

東方のイラストレーションポスター展

多摩美術大学美術館「東方のイラストレーションポスター 中国・韓国・日本」展に行った。

中国のは、毛沢東の肖像とか、共産党のプロパガンダがほとんど。
こういうのもまたイラストレーションなのだな。イラストにはそういう力もあるってことだ。
水彩のリアルタッチの絵が中心だったが、なかには水墨タッチのもあって、面白かった。
80年代くらいになって中国の伝統的な図柄が復活してきて、90年代にぽっと空白があって、21世紀に入っていきなり現代的なものがでてきたみたいな印象。
中国では、ポスターを家に飾る習慣があって、じわじわと人民を感化していくらしい。すげえ~。

韓国のは、中国に比べたらモダンで洗練されている。でも全体的にやや洗練され過ぎというか、今回展示されていたものがたまたまそうだったのかもしれないのだが、ソウル五輪のポスターとか、わりと公的なもの、堅めなもの、外国を意識したものが多かった。
デザイン的なものが中心だったので、もっとイラストをたくさん見たかった。

中国も韓国も、歴史的にそうなるのだろうけど、展示されていたのは50年代以降のものばかりだった。

日本のは、20世紀初頭くらいのものからして、三越や資生堂の広告だったり、かなり柔らかめ。
有名なデザイナー・イラストレーターの作品がひととおりきっちりとならんでいて、壮観ではあったが、点数はそんなに多くなかった。ポスターだとやっぱり写真のほうが主流ってことなのかなあ。日本でもプロパガンダのポスターはたくさんあったと思うんだけど、そういうのは展示されてなかった。反戦のものはあったけど。韓国にも巡回展示するそうだから、考慮したのだろうか。

今回見た限りでは、3つの国のポスターにたいする考え方そのものが全く違っていた。政治、経済的なことが大きすぎて、単純に比較することにはあまり意味がないように思った。
ただよくわからないけど、なにか東洋的な共通の雰囲気があるのはたしかな気がする。

それにしても、柔らかかろうが固かろうが広告は広告で、広告のためのイラストというのは、歴史や時代の流れがものすごくダイレクトにあらわれるし、左右されてしまうものなのだな。

今回はアニメとかキャラクター系のものは展示されてなかったが、北京五輪のマスコットは、たぶん東洋人ならグッと来る可愛さだ。
ファンシーとヤンキーの絶妙なバランス。
あれをメインカルチャーとして堂々と表に出せる中国の勢いってすごい。

愛知万博のときのモリゾー・キッコロは可愛かったけど、
どこかわざとハズしている感じがあったのは現代の日本人の感覚をよくあらわしていたと思う。

そういえば多摩美術大学美術館はサンリオピューロランドの隣にあった。サブカルチャーのほうがじつはメインであるというのが東洋的(現代的?)なのかな。
もともとメインとかサブとかいうのはたいした問題ではないとわたしは思うけど。

絵と癒しについて

今日は世田谷ボランティア協会の方とお会いした。
新潟の地震の被災者の方々の仮設住宅への引っ越しが始まって、救援活動がやっと一段落ついたところなのだそうだ。

わたしはこう見えて質問魔なので、ついつい、ネホリハホリお話をうかがってしまった。ボランティア同士の連携、行政とボランティアの役割、東電と住民の関係、などなど。
たいへんな熱意でお話していただいて、すごく面白かった。
ボランティアと一口に言ってもいろいろな仕事があるようで、現地に行って絵を描くというのもあるんだそうだ。そんなの何の役に立つんだろうと思ってしまうが、なにかしら効果はあるらしい。

わたしもときどき絵を見た人に「癒された」とか「元気をもらった」とか言われる。
でも、わたしは誰かを元気づけるために絵を描いているわけではないので、わけがわからない。他人を元気づけるために描くなんておこがましいことだと思っているし、だいたいわたしは思いやりが苦手なのだ。

自分がしてもらってうれしいことを人にもしてあげなさい、なんていうけれど、そんな感覚は人それぞれ違っていて当たり前だし、よかれと思ったことが裏目に出ることもある。
それに被災地に行ってぼーっと絵なんか描いてたら、いかにも役立たず丸出しで、かえってこちらが落ち込んでしまうんじゃなかろうか。そういう状況で絵を描けるかなあ。

わたしは他人の絵を見て癒されたりすることはほとんどない。
なるほど、こういう描き方があったか、面白いな、やられたな、とか、ああ、わたしもこうしてはいられないな、と思うことはある。
こういう見方は絵を描く人じゃないとなかなかできないだろうなとも思う。

絵を描くことで描いてる本人が癒されるというならわかる。
たいくつしのぎとか、気分転換になるのもわかる。見た絵を好きになるのもわかる。
青い絵を見て落ちついた気分になるとか、大きい絵を見て圧倒されるとかいうのもわかる。
でも、絵を見るだけで癒されるっていうのは、どうにもよくわからん…。

何年か前に癒し系ブームもあったし、癒し癒しとかんたんに言うけど、なんなんだ、癒しって。
花が咲くのを見てなんとなく元気になった経験はわたしにもある。あれはなんだったのだろう?
マーク・ロスコの絵を見たときの気分は、あれは癒しなんだろうか。あの感覚は一体なんなの?
散らかった部屋を片付けてカーテンを変えたら気持ちが少しスッキリした、みたいな効果かなあ?

敗戦後の「リンゴの唄」とか、中越地震のときの「ジュピター」みたいに、音楽で元気づけられることがあるのは確かみたいだし、それは素敵なことだなあと思う。

しかし、癒されるってのは、受けとる人の内面の問題だから、正直知ったことではない。
ある絵を見ることで癒されたならば、なにか心に響き合うところがその絵にあるのは間違いないが、相性もあるし、誰が描いても他人を癒せるわけではないし、すべての人を癒せるわけでもない。たまたまふらりとやってきた絵描きの絵に癒されるなんてことは、ほんとうに幸運な偶然だし、心に響いたものを自覚できるかどうか、そして元気になれるかどうかは最終的には本人次第だ。

絵を描く人のエネルギーを間近にすることで奮い立つことはあると思う。
でもそれならば、描くのはわたしじゃなくても誰でもいいし、絵じゃなくてもいいはずだ。
ほんとに、人間にとって、絵って、美術ってなんなのでしょうかねえ。

とはいえ、もし実際にボランティアに行ってみたら、得るものはあるだろうなとは思った。
見る人が周りにいる状態で絵描きがパフォーマンスをするということは、めったにないから。
つまり、非常に利己的な興味なのだが。
まあ、こんなにくどくど考えてしまう時点で、向いてないってことなのかなあ…とも思うけどね。

ハラペーニョに敗北

昨日、父が庭で育てたハラペーニョを4個ほどもらった。
父はここ数年なぜかトウガラシ関係の植物を育てるのにはまっていて、ハバネロ(ハラペーニョよりも辛いそうな)なんかも作っている。
実家ではピーマンのように炒めてお醤油で味付けして食べているらしいが、わたしは、使い道の広そうなオイル漬けにしてみた。

しかしこれが大変だった。
まず、こまかく刻んだのだが、すぐに目がシパシパして、つぎに鼻水がでてきて、うっかり手でさわってしまった膝小僧が、日焼けしたときみたいにヒリヒリしてきた。
石けんで何度も洗ってもなかなか治らない。
そうこうしているうちに指の爪の間がカアッと熱くなり、手全体が痛くなってきた。
指の皮ってやっぱり他より厚くできてるんだな…とか感心してる場合ではなかった。
指先をなめてみたら超辛い。口の中まで痛くなってしまった。
ビニール手袋を使うべきだったな。失敗失敗。

おそろしい子…!

今日は、涼みがてら、世田谷文学館「ガラスの仮面展」に行った。
原画や生原稿がいっぱい。それにストーリー年表、名ゼリフ集、マヤの部屋の再現など。
連載開始が、わたしが生まれた年と同じなのだけど、出前の話とか、貧しさとか、昭和50年頃にはリアルだったのかなー。
紫のバラの人からのメッセージをまとめたファイル(!)が展示されていた。
まとめて読むと、なかなかコワイ。

江ノ島観光

今日、カンカン照りの中、父と母のデートのお供で、江ノ島にでかけた。
まるで昨日の引っ越し屋さんみたいに大汗をかきながら、坂道を上ったり下りたり。
でも、潮風がとても気持ちよかった(クーラーなしのお店も多い)。

6~7年前に江ノ島にあそびに来たときにはまだ工事中だった、新しいおしゃれ観光名所みたいなのがあちこちにできていて、ちょっと…。岩屋(洞窟)なんて演出過剰で、なんというか痛々しい。
何年も経って古くなったら、これもキッチュな味わいになったりするのかねえ。狙ってキッチュにはできないものね。

岩場から遊覧船に乗るつもりだったが、平日は休みということで、帰りも歩き。
見晴らし最高の古びた海の家で飲んだ、濃いめのカルピスが美味しかった。
お土産に、昔懐かしい貝殻のモビールを買った。金魚の形でかわいいの。

グッド・ラック!

今日、カンカン照りの中、近所に住んでいた妹が引っ越すことになったので、のぞきに行った。
あいかわらず、引っ越し屋さんは超マッチョで、あざやかな荷物さばきに見惚れた。
もうとくにすることもなくて、サッと掃除を手伝っただけだったが、いらなくなったホットカーペットと掛け布団と枕をもらった。
今回はいろいろ心配なこともあったけど、これでとりあえずひと安心かな。

***

さっき、フォトショップCS3等のアップグレードが届いた。
やっとCS2に慣れてきたばかりなのに。
しばらくインストールはしないでようすをみるつもり。

らくごの芽

今日は、落語(「らくごの芽」ストライプハウスギャラリー)に行った。
出演は、先月二つ目に昇進したばかりの、フラ談次改め立川談奈さん、ゲストは春風亭鯉枝さん。
知り合いでもないのに、なんとなく「さん」付けで呼びたくなるくらい、客席と高座が近かった。
お茶菓子つきで楽しめて、とってもお得だった。
落語はずっと興味はあったけどなかなか機会がなく、生で見たのは今まで2回しかなかった。
折り込みチラシももらったし、これを機に、あちこち行ってみようかなあ。
しかし、世の中面白いことがたくさんありすぎて困る。

***

帰りにKonditorei SPIELENに寄って、アイスとシャーベットとケーキをいただく(食べ過ぎ)。
アイスは夏限定で、しかも店内でしか食べられないとのこと。
3種類食べたけどわたしはピスタチオ味のが好きだったです。
あー、写真撮ってくればよかった…。

太陽コーヒー

今日はカーテンなどを洗いまくった。うんざりするほどすぐ乾く。
その一方で、サン・ティーがあるなら、サン・コーヒーもできるんじゃないかなと思いたち、即実験。
結果は、まろやかといえばまろやかだが、香りがなく、あまり美味しくなかった。
サン・ティーも香りは薄いけど(作り方のせい?)それほど気にならない。
わたしがたまにしか紅茶を飲まないせいかしら。