ウェルカムボードに再挑戦

今週も大鹿さんのお絵描き教室に行った。
今日は公園に出かけて水彩でスケッチ。こんなのセツに行ってたとき以来だ。
あのころは絵を描くたびに自信をなくして落ち込んでいたっけ。
今だってそんなにうまくなってないけど、とても楽しかった。これからときどきスケッチもやってみたいなと思った。

帰りに妹と妹のフィアンセ氏と会い、夕飯をおごってもらいながら、結婚式の席次表やらウェルカムボードやらの制作を引き受けたのでその打ち合わせ。
キラキラでファンシーでラブリーなウェルカムオブジェ(?)になる予定。
ウェルカムボードについては以前にこの日記でクソミソに書いたことがあるが、あれからわたしもだいぶ大人になった(笑)。(今にして思えば、あのときはようするに、描いた絵を、友だちとはいえ他人にあげてしまうのがイヤだったのだなー)
そういえば、あきさんによればニューヨークにはウェルカムボードはないそうだ。あれは日本独特の風習なのか?

不肖の娘

今日は父の59歳の誕生日。つまり来年で定年なので、最近の父はなにかにつけて「あと1年」というのが口癖になっている。
なんで60歳で区切るのかは意味がよくわからないけれど、いずれにしても、そんな長い間勤めてきたのはすごいことだし、それ以上に、人間が59年間も生き延びるのはとてもすごいことだと思う。

今月は母の日があったが、同じ週に父の誕生日もあり、来月は母の誕生日と父の日がある(ついでにわたしの誕生日もある)。
わたしはその手のイベントにはどっちかというとあまり関心がなく、忘れてるわけではないけど、ついついスルーしがちだ。ま、わたしにくれるプレゼントはよろこんでいただくのだけど。(でもいつもいつも感謝の気持ちでいっぱいなんだよ!?)

でも毎年5月になると両親はソワソワしはじめて、電話をかけてきたり、何かを催促してきたり、ほうっておくと機嫌悪くなったりしてなかなか面倒くさい

妹はそこらへんはマメなので要領よくやっているみたいだ。
友人Bちゃんは、毎年、弟さんと(勝手に)連名にしてプレゼントをしてるそうだ。
うちの妹もちょっと気をきかせて連名にしてくれるとありがたいのだが~(笑)。

自己暗示からの自由

一般に女の人はテレビやパソコンの接続が苦手だと思われがちだし、実際そういう人は多いのだが、あんなのは学習すればそんなに難しいことではない。

「できないー」と言ってる女の人は、
1)もともと覚える気がない
2)できないと思い込んでいる
3)覚える機会がなかった
4)できるけどできないふりをしている
5)ほんとうに能力がない(でもこれは少ないと思う)
のどれかだろう。

いずれにしても、面倒くさいから誰かにやってもらいたいという依存心と、できないほうが女らしいからという価値観が背後にあるのだと思う。
でも、そういう女の人ってたしかに可愛いし、個人個人の生き方の戦略もあるから、できないならできないでかまわないし、責めようなんて思わないけど、わたしが怖いのは「できない」と思い込んだせいでほんとにできなくなってしまうことだ。

たとえば絵が描けない人は、自分は絵は描けないという自己暗示にかかってしまっている。それで、絵を描くことに恐怖を感じているように見える。
誰も描くなと強制してるわけじゃないのに、描けなくなってしまう。
絵を描くということは、そういう自己暗示や恐怖から、いかに自由になるかということだ。自己暗示から解放されれば誰でもピカソになれるか、といったらそんなわけはないけれど、絵を描くこと自体は、誰にだってできることなのだ。
まあ、絵なんて描かなきゃ描かないで生きて行けるけど、描いたら楽しいよ。
これは、演劇でも、音楽でも、スポーツでも、なんでも同じことなんだろう。

政治的、社会的な圧力や、集団的な暗示(ジェンダーとか)や、置かれた環境や、戦うべきものはいくらでもあるけれど、けっきょく、一番やっかいで、最後まで自分を解放してくれないものは、ほかでもない、自分自身のなかの思い込みなんだと思う。
わたしも、まだまだ、いろんな恐怖や暗示にとらわれていて、がんじがらめになっていて、きゅうくつできゅうくつでしかたがない。

そこから少しでも自由になりたい。

「ラ…!」

わたしは中学・高校とずっと放送部だったし、高校では演劇部にも入ってたので、毎日毎日、田んぼやグラウンドにむかって大声で発声練習していた。(中学は田んぼの真ん中にぽっかりと島のように建っていて、発声練習すると、やまびこが響いてきて気持ちが良かった。)
大学のときもミュージカルのサークルに入っていて、腹筋・背筋とか鍛えていたので、そのころがいちばんよく声が出た。
じつはその後も、意味もなくボイストレーニングに通ったりしていた。

そんなわけで、わたしは声が大きいし、時々大声を出さないと気持ち悪くなる。
受験勉強のときは歌いながら勉強するとすごくはかどったし、前の部屋はマンションだったからけっこう本気で歌いながら絵を描いていた。
いまは壁のうすいアパートだからがまんしてるけど、気がつくと鼻唄を歌っている。

会社員のころは、なにが大変って、ずっと歌わずに仕事しなきゃいけなくて大変だった。
でも一度、デスクワーク中にいきなり

「ラ…!」

と大声で歌いだした自分にハッと我にかえって、すごく恥ずかしかったことがあった。
とはいえ、それを思い出すたびに赤面するかというとそんなことはなく、会社勤めが向いてなかったのだから仕方がないと思うのだった。

それより気になるのは、あのとき歌おうとした歌がなんだったのか思い出せないことだ。
歌いだしが「ラ」の歌って、なんだろう…。
「ラ・バンバ」?(←今調べたら歌いだしはラじゃないみたい)
「ラブ・イズ・オーヴァー」?
うーん、なんかキーが違うんだよなー。それにたしか裏声だったし…。
今でもときどき、あれが何の歌だったのか考えているわたしであった。

あーあ、いつか防音つきのお部屋に住みたいなあー。(つまりなにが言いたいかというと、カラオケに行きたいってことです。)

蝶よ花よ

ホームページのマウスポインタにちょうちょの画像をくっつけてみた。

ちょううざくてばかばかしいです。
(NetscapeとかFirefoxとかだと動作しないみたい…)

水の体質

先日「岩清水さんは岩清水という名前だけあって、水の体質ですね」と言われ、気になったので調べたら、アーユルヴェーダの体質診断の話らしい。
ネット上にたくさん診断テストがあったのでいろいろやってみたが、やっぱり、水(カパ)の体質でまちがいなさそう。(というか、そんな診断しなくても見た目からして典型的な水の体質らしい)

診断結果から性格もわかるんだけど、これがまたかなり当たっている。
自分のことが好きで、周囲に左右されず、のんびり者で、理解が遅い…とかなんとか。
うーん、やっぱり、人間、見た目でわかることって多いんだなー。
でも、べつに変化が嫌いなわけじゃないんだけどな…。
どう考えても今のままで満足しちゃだめなのは明らかだし、ってことは、まずは体質を改善しなきゃいけないってことか!

ラッキョウ ’08

まだちょっと早い気もするけど、また忙しくなる前に漬けてしまおうと、黙々とラッキョウの下ごしらえ。去年の倍量つくることにしたので、たいへん。
最初のうちは涙を流しながら作業していたが、なぜか途中から目が痛くなくなった。
去年は甘酢にざらめを使ったせいか、コクがあったといえばあったけど、くどかったといえばくどかったので、今年はざらめと氷砂糖をてきとうに混ぜてみよう。

こうして毎年漬けてたら10年後くらいには好みの味を見つけられるかな(気長すぎ)。

寒い5月

今日は大鹿さんのお絵描き教室へ。このごろ週末はいつも雨のような。

ところで、ゴーヤの芽が、やっぱり出てこない。ネットで調べたらゴーヤの発芽適温は25℃以上とのこと。今年は、5月にしては、寒いような気がする、というか、わたしがゴーヤの種を蒔くたびに寒くなってる気がする(被害妄想)。

今住んでる部屋は、東南角部屋で日あたりは良いし、ひさしが大きいせいで、洗濯物に雨があたりにくいのも便利なのだけど、ベランダの床は日かげになってしまうところが多くて、園芸には向いてない。

でも、ほうせんかは順調。
小学校のとき、日なたと日かげに植えたほうせんかの育ち方を比べて観察した。
あれは、ほうせんかが、日かげでも育つ丈夫な植物だからこそできたのだな、と今ごろになって理解した。

水菜はそろそろ収穫しても良さそうだなあ。

芸術ざんまい

今日は、大鹿さんたちと、初台の東京オペラシティに、原田さんのパイプオルガンのコンサートを聴きに行った。
コンサートホールは、ピラミッドの内側にいるみたいな、不思議な空間。
ジュアン・アラン「架空庭園」、デュリュフレ「アランの名による前奏曲とフーガ」など、わたしははじめて聴く曲ばかりだったが、どれもすばらしくて、魔法にかけられたみたいな気分になった。
演奏中の手足の動きがスクリーンに映し出されるのを見るのも楽しかったが、目を閉じてウトウトと聴いていたい気持ちもあって、悩んでしまった。

それから、大鹿さんと、建築家の野上さんと3人で、六本木の森美術館の「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」を見に行った。
じつはわたしは森美術館ははじめて(なんでだかずっとタイミングをはずしてたのだ)。
とても面白かったけど、企画の性質上、作家ひとりあたりの作品数が少ないので、なんとなく食い足りなさが残った。もっとたくさん見たかったなあ。
わたしはカプーアの作品が好きで、思わずぐっと近寄りすぎて注意されてしまった。
六本木ヒルズの展望台から見た東京のパノラマは、まるでグーグルアースみたいだった。

解散したあと、ひとりで国立新美術館「モディリアーニ展」を見に行った。
じつは国立新美術館もはじめてなのだった(なんでだか)。

モディリアーニって、ゴッホやルノワールくらいの人気があるのかと思ってたが、そうでもないんだな…。けっこうすいていたし、全体にうす暗い雰囲気で、GWがあったせいかもしれないけど展示スペースの広さと作品数のバランスがへんだった。

それにしても、モディリアーニの人物の目の描き方は、ほんとに面白い。
目玉の色素が薄い人って、たしかにあんなふうな感じに見えるもの。
わたしの絵があんななのは、描いてる人物の目玉がいつも黒だという偶然のせいでもある。関係ないけど棟方志功の絵ってゴッホっていうよりモディリアーニに似てるなあと思った。
国立新美術館、5月末からの「エミリー・ウングワレー展」も面白そう。また見に来よっと。

シバザクラ

今日は、はるばると、埼玉県の羊山公園にシバザクラのお花畑を見にでかけた。
ギリギリ雨は降らなかったが、あいにくの曇り空だった。それにちょっと見頃をはずした感じだった。西武線沿線はシバザクラ押しのポスターだらけだったけど、うーん、期待してたよりは、ちょっとこぢんまりしてたかな…。
でもけっこうな観光客があつまっていた。

部分的に満開のところはすごくきれいで、あの真ん中にぼんっと飛び込みたい!と思った。
ちょうど全面的に見頃のときに来れたらさぞかしすばらしいことだろう。行き帰りの電車から新緑のグラデーションを見られたのも楽しかった。
でもなー、ああいう公園がもっと近くにあったらいいのになー。

なでしこリーグ

今日は、駒沢競技場に、なでしこリーグを見に行った。日テレベレーザとアルビレックス新潟レディースの試合。

まあわたしはサッカーとか見てもぜんぜんわけがわからないのだけど。(サッカーといえば高校のときに体育の授業でちょこっとやっただけで、グラウンドの中に入ってみたらあんまり広くてぼうぜんとした覚えがある。ボールけっても転がるだけで上に飛ばないしさ…。)
でも、わけわからないなりに、面白かった。しかも無料だよ~。

もしかしたら、こういう見方しちゃいけないのかも知れないし、超低レベルな言い方かも知れないけど、女子がやってるんだと思うと、感覚がどっかでつながるというか、ほんとにすげーなあ!って実感できるとこがある。なんかちょっとタカラヅカ見るのに近いかも。カッコイイんだもん。

いろんな表現

今日は大鹿さんのお絵描き教室に行った。

帰りに、生まれてはじめて、デモ行進というものを見た。もの珍しかったのでずーっと見物していたが、最後までなにを訴えているのかよくわからなかった。
人になにかを伝えるのって難しいよなあ、と思った。

フラッシュに挑戦

実家のネット環境は最悪なのだ。
10年前のパソコン+古いブラウザ+ダイヤルアップ接続で、とてつもなく遅い。
わたしは、自分のホームページを作るにあたって、この実家のパソコンでもとにかく開ける、というのを基準にしている。できるだけ誰にでも見てもらえるようにしたいので。
だから、つくりも簡単にしてるし、アクロバットとかフラッシュとか、ソフトをダウンロードしなきゃいけないようなコンテンツは入れないようにしている。

フラッシュについては、会社員時代にさわってみて歯が立たなかったのもあるけど。
イラレやフォトショはすんなり覚えたのに、なぜかフラッシュは全然ダメだった。それで、時間軸のあるものは向いてないのかなあと思ってたけど、最近、ミッフィーのサイトからダウンロードしてきたスクリーンセーバーを使ってて、それを何度も何度もじーっと見ているうちに、なんとなく、できそうな気がしてきた…。ようするにフラッシュ使ってやりたいことのビジョンがなかったからできなかったのかも!

と、強気になって、買ったままずっと放置してたフラッシュCS3をインストールしてみた。これからちょっとずつ、いじってみようっと。
気がかわる前にとりあえず宣言してみた。いつになるかわかりませんが、なんらかのかたちで成果をお見せできればと思います。

パンダと運命

わたしだってパンダは好きだし、そりゃあ、見られるものなら見たいけど、なにも無理に日本で飼わなくてもいいと思う。
どうしても見たかったら中国に見に行けばいい。国際化社会というのならば。(わたしには飛行機という鬼門があるけれど。)

旅行するにはそれなりのお金がかかるかもしれないが、それを目標にしてがんばれば、日々の仕事のはりあいが出るってものだ。と、前向きに考えたほうが、たのしく生きて行けるだろう。
そもそも、なんでもお手軽に見物できるほうが、ありがたくも異常な状況なのだ。
簡単に見られないほうが、見られたときのうれしさだって大きくなる。

それに、たとえ一生パンダが見られなくても、困るかというとそんなことはない。ちょっと探す手間をおしまなければ、お金なんかかけなくたって、面白いことは、ほかにいくらでもあるし、たくさんありすぎて、目が届かなくてがっかりしてしまうくらいだ。
その中のどれに出会えてどれに出会えないかは、運命みたいなものだと思う。