エスカレーター

関東と関西では、エスカレーターで急いでる人のためにあける側が逆になるわけだけど、じゃあ日本のどこで左右が入れかわるのか?なんて言っている人をみると、ああ、この人は都会育ちなんだなあと思う。

バリアフリーが進んだとはいえ、日本には、エスカレーターそのものが珍しい土地がまだある。
エスカレーターがあっても一人乗りのものばかりだったりする。
たとえば駅で、電車が一時間に数本しかなかったら、エスカレーターで急いでもしかたがない。
都会の常識がどこでも通用するわけではないのだ。

それにこんな常識が出来たのって、そんなに昔のことではないんじゃないのかな。
エスカレーターでわざわざ歩いたり走ったりするのって、よく考えたらけっこう変だ。
そういえば「エスカレーターではお子様を内側に…」ってナレーション、最近聞かなくなったような気がするけど、地元ではまだ聞けるのだろうか。

いろいろ

またDRIFFSHOESのライブ(渋谷WASTED TIME)。
今日はドラムが入ってハイテンションな感じだった。
ピアノ弾き語りの小林未郁さん、すてきだった。

***

で、帰宅して、押し入れからテレビを掘り出して配線して、なでしこジャパンの試合(女子W杯予選プレーオフ第2戦、対メキシコ代表)を見た。
岩清水同好会で、なでしこジャパンを応援することになったので…。ワールドカップ出場が決まってよかったよかった。

串焼きについて

飲み会で串焼きや焼き鳥の盛り合わせを頼んだときに、ほぐしてばらばらにしてしまうと、そりゃあ食べやすいけど、美味しくない。
あの風習はやめるべきだと思う。

手際よくさっとほぐしてくれる人は、気が利くなあという感じもあるが、なんとなく、もったいないと思いながらも惰性でほぐしてしまうときもある。

どう食べようと人の勝手だけど、一人で食べるときはふつう串のままなのでは。
協調性も大事かもしれないが、美味しいものはやっぱり美味しく食べたい。

レバーを食べたい人はレバーを、つくねを食べたい人はつくねを食べる。早い者勝ちで。
罪悪感をおぼえたりせずに、なんかこう、さわやかに。
そんないさぎよさも大切なんじゃないか?

迫力

大勢で打ち合わせしていて、わたしの意見が妙によく通るときがある。
自分の意見を絶対に通したいわけではないし、できればおとなしくしていたいのだが、同じことのくり返しで話がぜんぜん進まなかったりすると、ついつい発言してしまって、その意見がまたすぐ通ってしまうのだ。

そういうときのわたしの意見は、自分でもけっこう説得力があると思うけど、それ以上に、わたしは生まれつき迫力があるらしく、まわりが気圧されているのがわかる。
でも説得したいわけではないので、意見が通ると、逆にがっかりしたりする。

たまに勘違いされるけど、わたしはいわゆる姉御肌でもなくて、さほど面倒見はよくないので、ついていきますとか言われても困ってしまう。

自分の意見をしっかり持っていて、しかもわたしに気圧されないタイプの人と話すと、気楽にしゃべることができて、ほんとうに楽しいなあと思う。

ひとりごと

あれ?もう3月なのか。なんてこった。まだ2月のような気がしてた。
来週にはもう桜が咲くそうじゃあないか。
今年はどこにお花見行こうかな。お花見もいいけど、カラオケに行きたいなあ。

階段の恐怖

わたしは、駅の下りの階段がとても苦手で、階段を降りるとき(たいてい急いでいる)にちょっとでも小走りになると、「足がもつれてコケてごろごろ転がり落ちるわたし」の絵がまぶたに浮かぶ。

なんでこんな絵が浮かぶかというと、要するに何度もコケたことがあるからである(しかもけっこう派手に)。

わたしはもともと何もないところでもつまずいて転ぶたちなのだが、なかなか学習せず、何度も何度も同じことをくり返すので、ついに、うっかり自分の運動神経を忘れて走ろうとするたびに、まるで警告するかのように、おそろしい絵が頭をよぎるようになったのだ。

しかしその絵をふりはらうべく、マンガみたいに頭をぶんぶん振るからよけいに危ない気もする。

お別れ

「暮らしの哲学」担当の毎日新聞社Nさん、Tさんとお食事。ビールを飲みながらしんみり。
あまりに潔い終わり方だったので、気持ちの踏ん切りをつけるのが難しい。
最終回の文章は読み返すととても力強くて、もっと明るい絵を描けばよかったなとも思った。
でも池田晶子さんの挿絵をすることができてほんとうに幸せだった。
「考える日々」のシリーズ3冊をいただいた。帯に「元気を出せ!」と書いてある。
…まったくだ。明日からまた闘いだな。わたしの絵もまた変わっていくだろう。

考える日々

考える日々

    • 作者: 池田晶子
    • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
    • 発売日: 1998/12/01
  • メディア: 単行本

考える日々〈2〉

考える日々〈2〉

    • 作者: 池田晶子
    • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
    • 発売日: 1999/12/01
  • メディア: 単行本

考える日々〈3〉

考える日々〈3〉

    • 作者: 池田晶子
    • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
    • 発売日: 2000/12/01
  • メディア: 単行本

池田晶子さんのこと

文筆家の池田晶子さんが亡くなられた。
毎日中学生新聞の「考える時間」と、サンデー毎日の「暮らしの哲学」で、1年半の間、毎週挿絵を描かせていただいていた。
まったく偶然だが、池田さんはわたしと同じ大学の哲学科の先輩にあたり、それに、池田さんといえば「14歳」のための本が著名だけれども、わたしが14歳のときにちょうど池田さんが連載開始時のわたしの年齢くらいだったということもあって、勝手に縁のようなものを感じていた。

とつぜん2週連続で休載になったが、病気のことも知らず、亡くなるなんて思わなかった。
でも、呆然とするのと同時に、なんとなく腑に落ちたような感じもあった。

***

「考える時間」の文章は、どのテーマも冴えていて、透明な宝石みたいだった。
挿絵は、文章によって描かせていただくものである。
いい文章ならいい絵が描けるわけでもないが「考える時間」はわたしの代表作だと思っている。

毎中が休刊になって掲載誌がサンデー毎日に移ると、死や老いについての文が多くなった。
わたしももう30代だけれど、そういったテーマはまだ実感としては遠くて、ほんとうに難しくて、わたしが挿絵を描いていていいのかなと思うこともあった。
わたしが池田さんの年齢になったときどう考えるのだろうかと考えさせられたりもした。

池田さんには一度もお会いすることができなかったが、毎週挿絵を描くことで、わたし自身と対話する貴重な時間を持つことができた。

もしお会いしたとしても、こちらから言いたいことなど何もなかった。
ただ、絵描きとして、一度、ご本人のお顔を拝見したかった。
わたしは優しくないので人が死んだから悲しいという感覚はよくわからない。
ましてや、死はわからないものだから怖くない、年をとるのは面白いことだとくり返しくり返し書いていらした池田さんのことなのだから、悲しくはない。
でも涙が出てきて止まらなくなってしまって自分ですごくびっくりした。

池田晶子さん、ほんとうにありがとうございました。

ブランド物

実家の母に頼んで着物を一式、送ってもらった。
その着物ケースの中に、帯やら足袋やらのあいだに挟まって、中華鍋が入っていた。
なにかのスタンプと引き換えにもらって、ずっと使わずにいたものらしいが、柄のところに黒々と「鉄人 陳建一」と書いてある。

これじゃあまるで陳さんの中華鍋を借りてるみたいだな。

退廃美?

以前、美術手帖の記事で、アクリル絵具の筆を洗った水が環境汚染につながるというのを読んだ。
そりゃあそうだ。工業廃水とかにくらべたら微々たるものだろうけど。
しかしだからってどうしろっていうんだ…。

大切なこと

渋谷Wasted Timeのオーナーさんのバースデーパーティにドリフシューズも出演、ということで遊びに行った。わたしもそろそろやっと曲をおぼえてきた。
トリで演奏した日比康造さんに、なんでだかピックをもらってしまった。
…よくわからんが青春って感じだ。
しかし誕生日ってやっぱり大切なものなのかなとか考えてちゃいけないな。
なんだか楽しそうだったなあ。

第二回岩清水同好会

きょうは、岩清水Pさん&Sさんご夫妻のお宅にて、第二回岩清水同好会。
前回集まった4名に、うちの妹も加わり、計5名で味噌煮込み鍋。八丁味噌とギョウザがよく合って、とても美味しかった。

Pさんはフリーの音楽関係の方で、仕事部屋で作品を聴かせていただいた。
知らないものの強みで、いろいろ突っ込んでしまって、思い出すと冷や汗が…。
で、さらにこんなことを書くとほんとに生意気であれなのだけど、自分のいいと思う音を作りたいという切実さは、信用できるなあと思った。
でも面白過ぎてついつい長居してしまった。大失敗。

あの巨大公団住宅群の、無数に見える窓の明かりの中の一つに、友人が暮らしていると思うと、なんだか不思議な気持ちだ。

着付け

今日は着付けの体験入学に行った。
わたしは時々いろんな体験入学に行っているが、着付けはちゃんと習いたい。友人から聞いた話などを参考に、器具を使わない、手結びを習うことにした。
着付け教室は、いろいろな小物を買わされるとか、悪い噂を聞くこともある。
でも、今日行ったところは和やかな雰囲気で、なかなかよさそうだった。先生もびしっとして格好良かった。
体験入学って何をやるのかと思っていたら、まず小紋の着物を着せてもらって、あとは他の生徒さんたちが豪華絢爛な帯結びをするのをじろじろ見学していた。あそこまでできるようにならなくてもいいけど、面白そうだった。
いちおう他の学校にも行ってみてから決めるつもり。

ブラティスラヴァ世界絵本原画展

テルコさんと、ブラティスラヴァ世界絵本原画展(三鷹市美術ギャラリー)に行った。
わたしは絵本を作ったことはなく、作るだけでもすごいなーという感じで、絵本界のことはとんとわからないけれど、たいへん見応えがあった。
原画もよかったけどやっぱり絵本は印刷されて製本されたもののほうが断然すてき。
素晴らしいものを見ることは、ほんとに素晴らしいことだ。

わたしが子供のときに読んでいたら一番はまったと思われるのは、青山邦彦さんの「ドワーフじいさんのいえづくり」。あと、なりたさとこさんの「かかしごん」もよかったなあ。***

こうしていろんな国の作品を見くらべて思うことは、絵のよしあしに関係なく、絵にも、それぞれの文化(言語?)ごとの文法のようなものがあるということ。
絵だから、言葉がなくても通じるかっていうと、必ずしもそうではない。(絵本はとくに言葉の力が大きいからというのも当然あるけど)

日本人が描いた絵本を日本人が見れば、言葉抜きでもけっこうわかると思うが、外国人が見た場合に、同じようにわかるとは思えない。逆もまた然り。
これは批判してるのではなく、むしろ感動しているのです。面白いなあと。

バイオリズム

鯰江光二さんの個展におじゃました(ギャラリーハウスMAYA)。
絵ももちろん素敵だけど、とにかく作品数が多いのに圧倒された。驚異的。

その後、イラストエージェントのクリ8さん主催の、グループ展(6/19~24)の説明会に参加。
ほとんど初対面のイラストレーターさんばっかりだったが、楽しみだ。

***

自他ともに認めるひきこもりのわたしではあるが、今年は春の訪れとともに、4年に一度の「お友達ふやそうモード」に突入した。
過去を振り返ると、’91年(高校入学)、’95年(大学入学)、’99年(ノストラダムス)、’03年(独立)、そして今年と、はっきりと4年周期でテンションが高くなるバイオリズムがあるのだ。

この年にがんばりすぎると、躁状態みたいになって、後でどーんと落ち込むので気をつけなければならないが、なんにせよ、今年のわたしはいつもとはちょっと違うぜ。