モグラ町1丁目

前川麻子さん作・演出の、龍昇企画公演「モグラ町1丁目」観劇。(神楽坂、シアターイワト)
去年の春の「モグラ町」の続編。前回も面白かったので楽しみにしていた。

挿絵を描かせていただいている短編小説版は毎回登場人物も変わるのだが、今回のお芝居は、前回と同じ人物のその後の話だったので、観ているうちに記憶がよみがえって来た。
でも、あの人間関係は、初めて見る人にはショックなのでは。。。

きょうは初日だったから、まだちょっとあらら?ってところもあったが、あいかわらず時間とか空間とかの密度が濃くて、特に男優陣はみんな異様に生き生きと輝いてた(超キモチワルイんだけど)。

たなごころの器

横浜タカシマヤで、大鹿さん、竹村さん、原田さんと、待ち合わせて、大鹿さんのお友達で、去年の合宿でお世話になった鳥山晃さんの陶芸展へ。

釉薬として、樫、林檎、檜、マングローブの木や、椿の花びら(!)などの「灰」を、使っているそうで、それぞれ色も質感もさまざまで、とてもおもしろい。灰が、こんなガラスみたいに透明になって、不思議な色に変わるんだ。。。
焼く温度や釜の中の位置、焼くときに台として使う貝殻の話、染色との関係、灰をあつめる苦労、釉薬をかけるときのテクニック、などなどなどなど、お話を聞いているうちに欲しくなってしまった。
こういう焼き物を使える大人になりたいなあ~、と。。。

お皿も素敵だったけど、使ううちに色や手触りが変化してくるそうなので、それなら毎日使えるもののほうが面白そうだと思い、湯のみを買うことにした。
大きさも色も一個一個違うので、選ぶのにはまたすごく時間がかかって、最初は檜のちょっとマットな色合いの作品にひかれたけど、けっきょく、樫の、やや大振りで高台がなくて表面がざらざらした、素朴な作品に決めた。なんとなく手に持った感じがしっくりとなじむような気がして。

色の変化が気に入らなかったら、焼き直せば元に戻るのだそう。
もしうっかり割ってしまっても、粉々になってさえなければ、金で補修してもっと面白いものに生まれ変わる可能性もあるとか。
これからどんなふうに変わっていくのか、実際に使うのが楽しみだ。
そうだ、使う前に写真撮っておこっと。。。

観客的なるもの

昨日の晩、一ヶ月ぶりに友人Kに電話した。
友人Kは去年の暮れから先月までずっと休みがなかったのだが、ひと月前からロングバケーションに入り、最近は、毎日、「今さら観てないとは言いにくい映画」を観まくっているそうだ。(それも友人Kにとっては仕事みたいなものだと思うが。)
で、トニー・レオンにどっぷりはまってしまったらしく、彼の魅力について一晩中語り明かされてしまった。わたしはあんまり映画を観ないので、トニー・レオンというと、なんか眉毛ぼさぼさの人?くらいの印象しかなかったのだが。。。

面白かったのは、キムタクを代表とする日本の俳優との比較について。
キムタクがどの役をやってもキムタクにしか見えないのは、彼が常に相手役よりも、その場にいない観客の目を意識しているからだという。
トニー・レオンには、その自意識が元々ないのか、うまく隠しているのか、よくわからないけど、でもちゃんとカッコいいのだそうだ。
古い日本映画の役者にもそういう過剰な自意識は感じられないという。

わたしは、観客の目を意識するのはプロの役者の資質なのかな、と思っていたが、第三者から見てカッコいいオレ、という自意識が常に離れないというのは、目の前にいる相手の役者に対してまっすぐに向き合えていないということでもある。
これは役者に限らず、現代の日本のクリエイター全般に言える病的な傾向だと思う。

世の中いろんな考え方がありすぎて、どれが正しいのかわからなくなってしまって、実体のつかめない「観客的なるもの」にふりまわされ、考えすぎたあげく、作品をいじりすぎてしまっているように思う。
何かをまっすぐ表現することに、どこか照れや屈折があって、腰が引けてしまって、ついつい、観客に対して、これはわざとこんなふうに表現してみたんですよ、とか、これはこんなふうに見たら面白いでしょ、というエクスキューズを入れてしまう。
で、実際そういうものが支持を集めていたりもするのだが、、、。

自意識も、ひとつの美意識だとはいえるのだけど、自意識と自分とは別のものだし、他人を意識しているようでしていない、そういう自閉的な表現には、もういいかげん飽きたと思いませんか。もっと、シンプルに、ストレートに、骨太に、表現してなにが悪いのか。
まず目の前にいる人に、何かを伝えるところからはじめなければいけないと思う。

斎藤幸子

ルテアトル銀座で、舞台「斎藤幸子」を観た。招待券をもらったので。
偶然、先月観た「EVIL DEAD THE MUSICAL」と同じ河原雅彦の演出だけど、鈴木聡のウェルメイドな脚本のおかげか、座組のせいか、今回のほうが良かった。
ハイレグジーザス時代の印象が強いからか、な~んか違和感あるけどね。。。
劇場が大きすぎたので、シアタートップスでの初演はもっと面白かったのかも。

ストーリーの舞台は月島で、二幕の頭にもんじゃ焼きの焼き方講座があった。バブル時代くらいの少し古い話みたいな雰囲気だったけど、現代の設定なのかな?
でも、すべての登場人物が最終的に落ちつくとこに落ちつくイイ話で、こぎれいにまとまってたので、金八先生とかが好きな人にはおすすめ。

主演の斉藤由貴の女子高生役は、いくら元アイドルだからって、ちょっとね。。。
演劇だからor女優だから、年齢も超えられるっていうのは、幻想だと思う。男性がお姫さまやったりするのが前提の、歌舞伎とかとは違うし。
たとえうまく化けてたとしても、いちいちその化けっぷりに感心してたりすると、その芝居の本筋がよくわからなくなっちゃうし。商業演劇って、そういうの多いよなー。
それにしても、折り込みのチラシがものすごい分量だった。不景気だと芝居の上演数は増えるものなのだろうか。

終演後は、月島に移動。「斎藤幸子」のポスターがあちこちに貼られていたが、もんじゃストリートの表通りはすごくきれいで、劇中の月島とは全然違った。
裏路地をうろうろして、適当にもんじゃ焼き屋さんに入った。美味しかったけど、エアコンが全く効いてなくて、全身がもんじゃ臭くなった。

健全な午後

昼過ぎに目を覚ましたら、アベちゃんからメールが来ていた。
ベイビーを連れて、うちから徒歩一分の公園に来てるという。

アベちゃんの実家はうちのご近所で、信号を一つも渡らずに来られるのだ。あわてて身支度して日焼け止めを塗ってその公園に行ってみると、噴水で遊んでいる親子連れが何組かいて、そのなかにアベちゃんたちもいた。
おおお、この噴水で行水しちゃうのか。。。まあ、この暑さだもんなー。(はじめから水着を着て遊びに来てる子もいた。)

一緒になってひとしきり遊んだあと、うちに寄ってひと休みしてから、駅前に出て、ファミレスでランチしながら、近況などぽつぽつおしゃべり。
バンダナを何枚か取り出し、ベイビーの前掛けにしたり食器の下に敷いたり、超手際よくご飯を食べさせる様子を眺めて感心しきり。
なんだか非常に健全な午後を過ごした感じがする。。。

豆腐の角

今週、何回か大きな地震があった。
どれも、わたしが例のでかい立体のすき間に寝転がって、眠っていたり、だらだらしていた(のだめカンタービレを読み返したりとか)ときに起きた。
最初にぐらっときて、大きな揺れがくるまえに気づいたけど、動くに動けず、ゆらゆらゆれる立体を呆然とながめているうちに揺れはおさまった。

。。。倒れなかった。。。

立体は、搬入・搬出の都合で、9個のブロックにわけて作ってあって、展示中は、両面テープとガムテとパテでがっちり固めてたのだが、部屋に持ってかえってきてからは、ただ積み重ねてあるだけ。重なってる面積も大きいし、ふつうならまず倒れたりしないけど、、、

うーん、、、地震はこわいかも。

材料は発泡スチロールだから軽いとはいえ、とにかく大きいし、通常よりも発泡倍率が低い(つまり硬い)ものを使っているので重たいし、角にぶつかったりしたら、へたするとヤバいかも。
万が一倒れても、わたしのほうには落ちてこないと思われる角度に動かした。
大地震では重たいテレビでさえぶっ飛んだりするらしいから、気休めだけど。
でも、接着剤でくっつけちゃうと部屋から出せなくなっちゃうしなあ…。

豆腐の角にあたまぶつけて死ね、なんて言い方があるけど、それがものすごく大きい豆腐だったり、重たい豆腐だったりしたら、角にぶつかったせいじゃないにしても、ほんとに死ぬかもしれないし、日ごろから地震対策はしないといけないなあー、と痛感したのであった。
(緊急避難袋は常備してるんだけどね)

友達ランチ

きょうは、高校時代からの友人、Rちゃん&Nちゃんと池袋でランチ。
Nちゃんと会うのはもう何年かぶりだし、Nちゃんのベイビーとは初対面。パパも高校のときの同級生なので、なんだか感慨深いものがあった。
ベイビーは、色白で、Nちゃんにそっくりで、おとなしくて、絵本が大好き。いま二歳だから、大きくなるまでにわたしの絵本が間に合うといいなー。
Nちゃんは、歯医者さんの仕事も続けながら、姑とうまくやったり、しっかり公園デビューしたりしてるそうで、えらいもんだ~。

Rちゃんは、某・時計メーカーの広報室に勤めているのだが、今、わたしが日経ビジネスアソシエさんで挿絵をさせていただいてる、桂望実さんの小説「ハタラクオトメ」は、時計メーカーが舞台になっている。

これから時計の工場のシーンの挿絵を描かなければいけないし、もしかして見学とかさせてもらえないかなあ~、と思って聞いてみたら、見学は誰でもできるけど、工場は盛岡にあるのだそうで、残念ながら自腹で行くのは無理そうなのであきらめた。

が、去年、桂さんと編集者さん方が、まさにその工場を取材されたらしく、そのときにご案内をしたのが、なんとRちゃんだったそうなのだ。
よ、世の中せまいなあ。。。まさか同じ仕事にかかわる日が来るとは…!

イベント下見

来月の26日に、オールナイトのアートイベントに出展することになり、きょうは会場の下見に行ってきた。
銀座8丁目にあるバーで、おしゃれふうなつくりのお店だった。
金曜の夜だったので、おそろしく混雑してた。隣の人の声もよく聞こえないほどだったので、一杯だけ飲んで、簡単に搬入口の寸法など測って、早々に退散。
イベントのくわしい情報はまた後日。

わたしは立体の1号か2号のどっちかを展示するのと(これは非売品)、小さい立体をいっぱいつくって、販売してみようかな~と考えています。
よく、小さい作品はつくらないの?って聞かれるんだけど、小さいとかえって作業が細かくなるから、面倒くさいんだよねえ。
制作はこれから。ちょうどよい材料をさがしているところです。

…ほしい人、いるのかなあ。。。

コレクター

きょうは、アート・コレクターのTさんのコレクションの展示を見に行った。
そもそも、わたしは他の人の絵の価値があまりよくわからないし、絵を買うよろこびも正直言って理解できないのだけど、買うことの先には、集めるよろこびがあるのだなあ。なるほど。。。
さらに、集めたものをみんなに見せたい人と、こっそりしまいこみたい人がいる。
わたしは、何かを集めるという趣味も全くないので、やっぱりわからない世界だけど。
でもなんだかとても楽しそうだった。

コレクターの世界では40代でも若手だそうだ(まあそうかも)。しかし世の中には、生まれついてのコレクターという人もいるのだ。
Tさんは、デザインフェスタとかにも毎回足を運ばれるそうで、そこで安く購入した絵の作家さんが、今では超売れっ子になってたりするんだそうだ。
あのデザフェスの混沌の中からいいものを見つけ出すってすごいことだと思うんだけど、わかる人にはいとも簡単に見わけられるものなのかもなー。

ラッセラー!

「オルゴォル」の連載が、青森県八戸市の「デーリー東北新聞」さんで、7/30から新たに始まったそうです。
たしか、母方の祖父が青森県人会に入っていたはずなので、うれしいです。青森のみなさま、どうぞよろしく。。。

ついったーはじめました

ついったーはじめました。
なんでかっていうと、昨日、日経ビジネスアソシエの見本誌が届いて、その記事で勝間和代さんが薦めてたので(笑)
ビジネスパーソンみたいでしょ?

堀内誠一 旅と絵本とデザイン展

きょうは、世田谷文学館「堀内誠一 旅と絵本とデザイン展」に行った。
アンアンの創刊時のアート・ディレクターで、絵本作家で挿絵画家で、絵と文によるおしゃれな旅行記のはしりでもあった、多才な人。
「たろうのともだち」とか「秘密の花園」とか、読んでたなあ…。

わたしはデザインのことはよくわからないし、なにも言うことはないんだけど、デザイナーの人が描いたイラストって、ほんとに過不足がないというか、印刷した時にいちばん映えるように最適化されてて、不要な部分は一切描いてない。
だから、額に入れて飾ったときに良いとはかぎらない。昨日見た小林かいちも同じ。
これってほんとにすごいことなのだ。デザインの力ってほんとに大きい。

イラストレーションって、やっぱり印刷されてなんぼのものだから、ほんとうは、イラストレーターの側が、印刷の条件に合わせて、出版された時に一番きれいに見えるように計算して描くべきで、「印刷したら色が再現されなかった」なんて文句をいうのは責任放棄だと思う。

でも、デザインの専門家じゃない人間が、イラストだけずーっと描いてると、どうしても、印刷で再現できないこともあれこれやってみたくなってしまうし、必要のない細部にこだわってしまったり、力の加減が難しいところがある。

さらに個展をやろうとか思うと、どうしても、文字とかは抜きにして、額に入れて展示した時にいちばんかっこよく見えるように描きたくなってしまう。
だからイラストレーターに徹するならば、個展はたまにやるサービスくらいに考えて、深入りしないようにしたほうがいいんじゃないかとも思うんだよね。
展示は営業の一環だから、それはそれで必要なものなんだけど。。。

でも、そうやって自己主張せずにいられない、性というか業みたいなものが、絵描きの面白いところなのかもしれない、と開き直って暴れるしかないのかな…。

謎のデザイナー 小林かいちの世界展

きょうは、ニューオータニ美術館「謎のデザイナー 小林かいちの世界展」へ。
最近になって注目されたそうだけど、大正~昭和初期に京都で活躍した図案家。封筒とか、絵はがきのデザインをたくさん手がけたらしい。
でもそれは10年間くらいで、その後は友禅の図案をしていたという。
そんな、経歴もはっきりわからない人が再評価されてるってすごいことだ。

かいちの作品は、アール・ヌーボー調で、ちょっとエルテ風のものもある。
金色・銀色の使い方と、薄紫のグラデーションの美しさが印象的だった。
一枚一枚を単品で見ると、絵としての完成度は高くないが、たくさん並んでるのをみると、なんともいえない情緒があるし、素朴な木版の印刷が味わい深くて、とにかくセンスがいい。

人物の顔はほとんど描き込まれてないし、手の描き方なんかも少し適当だけど、たぶん仕事が速くて、ものすごく大量にデザインしてたんだと思う。
これは絵はがきなので、買った人が上に文章を書き込んで使うには、このくらいスキのあるくらいが、邪魔にならなくてちょうど良いのかも。
世相に敏感に反応して流行を自由自在に取り入れたり、図案家に徹してるなあ、仕事人だなあ~、って感じだった。

意外だったのは、この絵ハガキを使ってたのは主に女学生だったということ。
昔の女学生、大人っぽいな!うーん、たしかに嘆美的なんだけど、少女趣味とはちょっと違うような?いや、同じなのかな?よくわからないな。
これを今このまま真似すると、関西マダム風味になっちゃう気もする。
本物は素敵なのだけど。。。

絵ハガキって、絵をかく人はみんなわりと気軽に作るし、名刺代わりに使ったり、展示のついでに販売したりしてるけど、元々、一般に広まったのは、日露戦争の時に、戦地の兵隊さんと手紙をやりとりするために使われて、大流行したのがきっかけだそう。
ハガキひとつとっても、歴史とか政治とか、関係してたりするのだな。